ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Mt. Kisokomagatake

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広い空見たさに山へと向かった。行き先は千畳敷カールで有名な木曽駒ヶ岳。いつもなら超弩級の混雑、紅葉シーズンなら超超超弩級の混雑で有名な日本屈指の人気の高山。それを知っていたこともあり、前日の深夜に出て早朝に駐車場についた。しかし、天気が曇りということもあり急遽旅程を変更して翌日に登ることにした。せっかく頑張って登っていくんだったら、それに見合う景色を見たい。その日は以前行った松本の夢大陸という最高のリサイクルショップで釣具や衣類を調達して、松本の聖なる宇宙こと「ラーメンQ」で生姜ラーメンを食べてさっさと寝た。やはりラーメンQは地球上で一番好きかもしれないと改めて思う。

早朝に起きて車を走らせ木曽駒ヶ岳の駐車場へと向かう。すでに駐車場は一杯になりかけるほどでバスの列に並ぶ人も何人かいた。ハイシーズンはバスに乗るだけで数時間待つというし、そこから登山道に向かうロープウェイも数時間待つらしい(そこで断念して帰る人もいるくらい)から、それに比べれば100倍くらいはマシかもしれない。逆に、コロナのせいで登りやすかったのかもしれない。

登山道に出るとすでに目の前は絶景だった。ゴツゴツした岩肌と青い空、深い緑が視界いっぱいに広がっていた。ここはスイスかどこかの山奥か?と錯覚するほどで、この景色をみれたら登らずにそのまま帰ってもいいんじゃないかと思えるほど圧倒的だった。7月は長い梅雨のせいでほとんど家から出れなかったこともあり、その開放感たるや全裸で靖国神社参拝に匹敵するレベルだったように思う。

大きな岩山の間がかなり急な坂道になっているがこれから登るのはその道だった。高山病にならないように息を整えながらゆっくりと歩を進めていく。振り返るとロープウェイ乗り場の赤い屋根が山間の景色と美しいコントラストになっている。まるで絵葉書のようだと思いながら、度々足を止めては周囲を振り返り写真を撮りながら進んでいった。東京はジメジメしていてクソほど暑かったのに、山の上は涼しく風が気持ちいい。汗をかいても時折吹く風が体を冷ましてくれるので、以前日向山で味わったような地獄の不快感はなかった。

ゴツゴツとした岩肌を進みながら、がれ場を通り抜け山小屋に併設されたキャンプ場へと近づいたとき雷鳥の親子が登山道脇を歩いているのを見かけられたのは本当に運が良かった。親鳥を見かけたと思ったら、岩陰から小さなひな鳥が4匹くらい親鳥のあとを追いかけながら走り回っていた。注意深くあたりを見渡していなかったとしたら見逃していただろう。

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頂上付近になると、登山道は比較的なだらかになり、それまで霧がちだった風景が一瞬で開けた。頂上付近に吹く強い風が雲をものすごい速さで押し流していったせいだった。そのおかげで僕たちがお昼ごはんを食べる頃にはすっかり空は晴れて、遠くの山並みもきれいに見渡すことができた。どんな山でも登山は楽しい、でもせっかく休みを費やして、お金と時間をかけるなら景色が素晴らしい山に登るべきだ。多くの登山ガイド本や記事では初心者は低い山から徐々に、ということを薦めるかもしれないけれどまずは登りたい山に登ったほうがいい。装備や知識、登山計画書などの準備はしっかりする前提でだけれど、楽しくなければ登る意味はあまりない。できれば稜線が見渡せる展望のある森林限界を超えた高さのある山がいい。もし途中でギブアップすることになったとしても、そこまででも十分素晴らしい景色が見れるだろうし、またチャレンジしようと思えるはず。

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登山のあとは山間のキャンプ上でひたすらにチル。それがコロナ時代の正義。僕たちがキャンプ場についたときちょうど一番いい場所が空いたので、そこに3日間の居を構えた。ありがとう給付金、ただしく消費して経済を回しながら素晴らしい体験のために道具を買い揃えることができた。ここはサイトの真ん中に透明度がとても高くて鏡のよう静かに佇む池がある。空を反射して美しいその池の淵にテントを貼ることができたのは運が良かった。椅子の向きをその池に向ければもはや他のキャンパーたちのことは全く視界に入らないので、自分たちでこの景色を独占しているかのような気分になれる。池が近いからとても涼しいのにも関わらず、蚊やハエのような厄介な虫たちもほとんどいなかった。そんな場所で焚き火をしながら適当に肉や野菜を焼いておけば、何が起きても間違いなくうまい。ちょっと欲をかいて余った具材でリゾットなんて作ろうとした日には、たとえ米を炊きすぎて明らかに食いきれない量だろうと思っても、ぺろりと食べ切れてしまう。

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もう一つ、このキャンプ上の素晴らしいところがあるとすればとても美しい釣り場が近くにあることだった。人も少なく、静かで、良識のある人々に愛されていることを感じる釣り堀だった。釣り堀と言っても釣らせるための池ではなく、本格的に釣りをする人がいくような場所だったように思う。周りでは長年フライをやってきているであろう老練のフライフィッシャーのおじいさんたちが竿を振っていたし、遠くではウェーダーに身を包んだ人たちが釣りに興じていた。魚を釣り上げていた人たちはほぼおらず、無言で、無心で釣りに取り組む人たちしかいなかった。僕はといえば、せっかくかかった魚にルアーを持っていかれたり、高切れを起こして買ったばかりのルアーを飛ばしたり散々な結果だった。この釣り場には2回行ったけれど、「僕は」一匹も釣り上げることはできなかった。とはいえ、この風景の中でルアーを投げているだけでとても楽しいし気持ちがいい。こうしたら釣れるだろうか、なにがわるいんだろうか?と考えながら夢中でやっているうちにあっという間に時間が過ぎる。ふと周りを見渡すと対岸の森の中から時折野生のシカが顔を出し、釣り人の様子を伺っていた。その時、この池が昔行ったミネソタ州のイタスカ湖のように見えてきて、風や木々のゆらめきがより一層美しく感じられて静かに一人で感動をしていた。きれいな夕焼けが沈むのを竿をしまいながら見届ける。この釣堀をあとにしながら、今回のお盆は例年に比べてとてもいい経験ができたなと思う。やはり釣りは最高、釣れなくても最高。

hiroshi ujiieoutdoor, camp, fishing