ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Be Patient Part4 (Okutama Sucks)

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梅雨明けのある炎天下の日、釣りがしたくてソワソワして奥多摩の管理釣り場へと向かった。早朝に起きて乗ったのはホリデー快速奥多摩行き。乗車率はなかなかのもので、登山リュックを背負った初老の夫婦やイキった若者、バキバキのギャルなど様々な人達が避暑を求めて奥多摩へと向かっていた。僕の住んでいるところから電車で2時間。そこから歩くこと20分。釣り場に向かう頃には途中で買った水をすでに飲み干してしまっていた。しかし向かった先で告げられたのは「ルアー釣り場が壊れてて使えないんです、、!」の一言。本当に長かった梅雨が恨めしい。この日の釣りはもはや失敗の予感しかしなかった。寝坊した仕事の同僚を待つこと1時間。奥多摩の本流での釣りを開始したが、この季節の奥多摩はもはや釣りをするというレベルではない。少なくとも人が容易にアクセスできる場所では全く釣りにならないということがわかった。川辺にはBBQをする団体がひしめき合っているし、上流からはひっきりなしにカヤックやボートが流れてくる。子供は岩の上から川に向かってジャンプを繰り返しながらはしゃいでいる。少し人がいないところを探して歩いていたら、転んでお気に入りの竿を折ってしまうし散々な事になった。運良く同僚が竿を持っていたから借りれたけれど、もはや釣りをするという感じでもなくなっていた。少しの希望を込めて青梅線沿いを歩いた。どれくらいだろうか、駅にして5-6駅分、距離にして少なくとも5-6kmは歩いたはずだ。その間に飲んだ水の量は3Lくらいで、持っていたかばんは空のペットボトルばかりだった。

ようやく最後にたどり着いた場所はもはや下流になってきており、生活排水の匂いが充満していた。加えて、海外の大きな団体が近くでBBQをしており、特殊なスパイスの匂いもしていた。僕の知らないなんとも言えない匂いがドブ臭さと混じり、奥多摩の風に吹かれて流れてきたときには感受性を全力で殺し耐えるしかなかった。

僕がこの経験から学んだことは多い。まず、釣りとはスキルではなく情報が9割だということ。その時期ごとに確実に釣れる環境に身を置かなければ釣りにならないということだった。川には魚はいる、ただしそこに人が大量にいたら魚は居着かない。そんな当たり前のことも、釣りの初心者には想像ができていなかった。あとから本を買ってわかったことだけれど、渓魚は特にその傾向が顕著らしい。シーズン終わりのほうでは魚が釣りきられてしまっている場所があること、誰かが入った沢は魚が釣れないこと。季節によって魚がいる場所は異なること。それらを加味して場所と時間を選ばなければ釣れる可能性は殆どない。逆に、場所と時間さえ適切であればあとは何をしても釣れないということはないだろうということだ。疲れ果てた体でそんなことを考えながら帰りの中央線で一人悶々と次の釣行の計画を立てていたら見事に寝過ごして無駄に疲れてしまった。翌日は日焼けの後遺症で全く動けなかった。

hiroshi ujiiefishing