Mt. Tanigawa
世間では流行しているウイルスへの対応から外出を自粛するよう促されているけれども、ひとまず「人に接しなければよい」という考えのもとで谷川岳へと向かった。新潟と群馬の境にあり、不名誉なことに「最も登山者が亡くなっている山」としてギネス記録にもなっている山でもある(しかもダントツで)。死亡率が30%を超える「アンナプルナ」でさえ死亡者数は61名だけれど、谷川岳の死亡者数は805名。8000m級の山は地球上に14座ありそのすべての山での死亡者数を足しても637名だから、その異常さをうかがい知れる。
登山の前日に 、いつもランチを食べに行く会社の近くの「ママス」という名前のお店でマスターとママと話していたときのこと。「僕が若い頃は毎週谷川岳で人が死んでねぇ」と話していた。谷川岳で遭難するケースは単純で、初心者向けの山だと見くびってしまう場合、あとは一ノ倉沢の厳冬期登山に挑んだ上級者がなくなる場合の2つ。谷川岳の厳冬期登山は日本国内では屈指の難しさを誇るルートがあり、そこで亡くなってしまうことが多いらしい。いずれにしても、きちんと装備をして簡単なルートをきちんと歩けば遭難することはあまりない。もちろん登山の性質として運が悪ければ誰でも命を落とす危険はあるけれど、結局は自然を見くびり過信をした人が一番危険だ。雪山の登山は昨年の北横岳に続き2度目、そのときはあいにくの天気だったから美しい(はずの)蓼科ブルーも見れなかったし山の稜線も大量の雪とガスに阻まれ見ることが叶わなかった。だから、改めて雪山の登山に挑み、映画や本でしか知り得なかった過酷さと美しさが同居した世界を見てみたいと思っいていた。それには雪山登山への恐怖は乗り越えるべきだし、十分に準備をする必要があった。
谷川岳はロープウェイで1400mくらいまで上がれる。そのため比較的ラクに登山ができ、行き帰りで6時間もあれば十分。コロナウイルス自粛のうさを晴らすかのように、たくさんの人がこの山に登りに来ていた。雲ひとつない快晴で、風もなくすごく恵まれた天候だった。空の濃い青色とゲレンデの白が美しいコントラストを描いている。雪に反射した日光が鋭く目に飛び込んでくるので思わず顔をしかめる。日焼け止めを十分に塗り、10本爪アイゼンを装着し、リフト乗り場の裏手にある登山道にゆっくりと足を踏み出した。アイゼンの爪を雪に食い込ませ、ストックで体を支えながら一歩一歩着実に進んでいく。今思えば、最初の急勾配が一番たいへんだったかもしれない。冷えていた体はすぐに温まる。ハードシェルを脱ぎ、フリースを脱ぎ、それでも汗が止まらない。登山では体調と体力をケアするために汗の処理は非常に重要になるので、汗をこまめに拭いたり服の隙間に空気を入れたりしながら、慎重に登った。
谷川岳は気象条件の厳しさから1500m付近で森林限界を迎えるため、周囲が木に囲まれているという場所を歩くことは殆どない。加えて、冬は雪が木を埋め尽くすように積もるため更に見晴らしが良くなる。そのため常に山の稜線を歩いているような気持ちになる。見渡す限り広がる険しい山の表情が時間とともに色に変わり、強い陰影がつき、雲の大きな影が落ちる。その光景は何度見ても飽きない。少し歩みを進めて振り返ると、自分がこれまで登っていた山や、見ていた景色がまったく別のものに見えるのも山のおもしろさの一つだろう。視界がひらけた場所にいくと如実に感じる事ができる一種の現象みたいなもので、目に映るのが空の青と雪の斜面だけだったりするわけだけれど、少し場所を変えてみるとその画角が劇的に変わる。自分の目が世界をより直感的に捉えられているような気がして自分の中の何かが刺激されているような気がする。この登山はシャッターを切る回数がとても多かった(でも、登山道で長くは構えられないからほとんどが適当なのだけれど)。やっとの思い出到達した頂上付近からはスノボードやスキーで斜面を滑降してくるバックカントリーの人たちがたくさんいた。スキーの轍が足跡一つない広大な雪の斜面に美しい弧を描き、それがいくつも重なりあって大きな絵を書いているようだった。
山頂付近は畏怖を覚えるほどに荘厳だった。トマの耳、オキの耳という2つの山頂は切り立った崖で雪に覆われている。その間を細い稜線がつないでいる。仮にふらついて転んで落ちたら死ぬんだろうなと思いながら恐る恐る歩いた。こうした恐怖心と美しさが隣り合っていることが、登山の達成感や「また登りたい」と思う気持ちにつながっているのだと思う。
★五時四十分。霧が飛び去る。薄薔薇色の山脈。歓喜の朝。
これは『アルプ』に収められた串田孫一の『岩稜の一夜 - 谷川岳東山稜にて』に書かれた一節だけれど、ここで彼が見ているのは谷川岳の夜明けまでの数時間だ。彼に代表されるような登山の随筆家達は、歩きながらどうして思索を深めることができるのか。登っている最中は暑いししんどいのにも関わらず、感覚を広げて自分の内側の知性と感性とをつなげることができるのか。もう少し山登りに慣れたら軽く手記を取ったりしながら、その時感じたことや考えたことを自分の中にとどめておけるようになりたいと思う。月曜にママスにいって登山したことを話そうと立ち寄ったら、店のマスターから開口一番「生きていてよかった」と言われた。ふと行きて帰ってこれたことが当たり前じゃないし、それを教えてくれたママにありがとうと伝えた。