Robert Frank
金曜、仕事も早々に抜け出してレンタカーをピックアップしに向かう。目的はロバート・フランクの個展をみるために清里に行くこと。彼が94年の生涯を終えたその直後だったから、何が何でもこの展示は見なければ行けないだろうという気持ちだった。朝4時、まだあたりも暗い中、眠い目をこすりながら山梨へと向かっていく。甲州街道を下道で抜けていったが、いつもとは違う少し静かな国道は旅情を掻き立てるものがあった。あたりが明るくなり始めて、青みがかった空に赤信号が灯っている様子などはかなり久々に見る。お腹が空いてマクドナルドに行こうと思っても、実は郊外のマクドナルドは24時間営業ではなく、旅のお供の朝マックはお預けとなってしまった。車で走ること4時間くらいだろうか、清里についた。清里駅付近は本当に何もない山の中の一画で、寂れた店が立ち並んでいた。美術館の会館まで時間が余ってしまったが、特にすることもないので途中の道の駅で仮眠をとった。
ロバート・フランクの展示は美術館の中の小さな2つの部屋で行われていた。壁には合計で106点の写真が飾られていた。そのどれもが普段目にする写真ではなかったように思う。一緒に行った浅倉曰く、彼の写真はマネージャーに持ち去られててしまったがゆえにまとまって保持している場所がないらしい。だから、これくらいの量を一度に展示できる機会はそうないのでは、とのことだった。
彼の写真はすべて白黒だった。彼の写真を見ていると、当たり前ではあるのだけれど本当に構図の精度が高い。トリミングを行い写真の補正を行っていくことももちろんあるが、それ以上の何かがあるような気がしていて、展示を見た一日あとの今でもそれはうまく言葉にできない。だから、写真を見た感想を語るにしてもいつも異常に凡庸になってしまわざるを得ない。一つ、彼の写真が素晴らしい理由に撮影数が非常に多いことが挙げられるのかもしれない。彼がアメリカンズを作るときに撮った写真は20000枚にも及ぶが、その中の83枚しか写真集に載っていないことを考えると、見たことのない作品が多いのは当たり前。展示の中で彼の言葉が載っていて、そこに書かれていたのは「いい本当に写真なんてそうそう撮れるものではない」ということだった。彼が94年生き、その中で常に制作を続けてきたことを考えると、彼の著作のすべてを知ることはこの先誰にもできないのだろうと思う。
写真を通して僕がずっと考えていたのは、僕自身が好きだなと思ったもののルーツがすべてここにあるなということだった。アメリカらしさを捉えたとか、そういうこともあるのかもしれない。でも、僕が好きな人達はすべからくこのロバート・フランクという写真家のことを好きだったように思う。ロバート・フランクに憧れて旅を始めたスティーブン・ショア。ポートレート嫌いな彼を無理やり写真におさめブチ切れられたライアン・マッギンレー。彼の写真集に言葉を添え、ともに旅をしたジャック・ケルアック。Sick of Goodbyesに関しては、スパークルホースの歌の名前になっている。ルー・リード、トム・ウェイツ、ローリング・ストーンズ、アレン・ギンズバーグ、他にも数え切れないほど多くのアーティストたち。僕が「アメリカの文化」に親しみを覚え、狂ったように追いかけていた頃に触れていたすべてのものがここに通じている。それが何より写真や、彼の言葉から、そして生き様から感じられたような気がした。彼のポートレートに映るその優しそうな表情の奥には、息子を失った孤独や、世界に対する怒りがある。彼なりの現実対峙の方法が写真に写りこみ、少なくない人々に影響を与え、思想や感性を育んでいる。それは国境や世代を超えて、日本の片田舎の何者でもない僕の心にもひびいいている。僕も彼の足跡をなかば辿るようにしてアメリカ中を回った。それは自分の中ではかけがえのない経験となっている。
展示の最後に、彼がキッチンで奥さんとキスをしながら踊る写真(エリオット・アーウィット撮影)や、スタジオで話をしている写真が写っていた。それを見ていると、なんともいない気持ちになる。本当に彼はもういなくなってしまったのだな、と。だいぶ長生きしてくれただけでもありがたいことなのだけれど、ダニエル・ジョンストンにしろ、メカスにしろ、ロバート・フランクにしろ、僕の中のヒーローが2010年代の終りとともに次々とこの世界から旅立っていくことに悲しみが募る。次は誰だろうか?生きているうちに会えるだろうか?そう思ってこの数年を過ごさないと、いつか必ず大きな後悔をしてしまいそうだ。
まとまっていないが、今日はこのへんで。