ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Man Became a Camera

先日の沖縄での写真

先日の沖縄での写真

友人の井戸沼さんが企画した「肌蹴る光線」(名前が最高!)の上映会についに行くことができた。メカス含めてすべてを見逃してきたので、やっと貴重な映画を見ることができて日曜の夜が充実した。中平卓馬のドキュメンタリーの『カメラになった男』の上映会だったのだけれど、近年見た中でも類を見ない示唆に富む(という表現が適当かはわからないが)映画だったと思う。

一番印象的だったのは「対立する2つの事象が矛盾なく同居している、それが中平卓馬という人間だった」という監督の言葉だった。映画は監督が22歳のくらいのころの作品だった。彼についての修論を書くために取材に訪れたのがきっかけでビデオを回すことになり、彼の足跡を文字通り追いかけながら撮りためた膨大な量のDVテープを編集し、字幕を入れ、完成させたものだった。90分程度の映画だが、利用したテープは全体の1%程度らしい。なぜ?と思うかもしれないが、それは残りの99%もまったく同じような映像の繰り返しだからだそうだ。毎日行っている定食屋や喫茶店を「ここ、初めてだけどいい店だな」と言っていたり、いつも撮影をしている場所を「昨日はここにきたんだっけ?」と聞き返されたり。もし常人の感性で付き合っていたとしたら気が触れてしまうような関係を何年も積み重ねながら撮りためたものだった。

子供のような純粋さや無垢さを持っていながらも、ときに鋭い洞察で相手に議論をふっかける。何かを忘れているようで、すべてを知っているような超越感。終始にこやかだが感情がこもっていないような目線。そのような瞬間が映画の中では何度も出てくる。毎日時計を直したり、撮った対象をショートホープにメモしたり、噂に聴いていたすべての一挙手一投足がその中に収められていた。特徴的な、ある種あざとさも感じられるようなそうした行為はすべて純粋であり自然だった。

彼を見ていて思うのは、そのとらえどころの無さと、捉えることの無意味さ、そして怖さがあると思う。初期の中平卓馬は論じることができるが、後期の中平卓馬についてはもはや論じることが不可能であると、上映後のトークで長谷先生が言っていた。その感覚はすごく理解ができる。なにか論じてやろうというその批評者の意思をすり抜け、その人間の思考の甘さや論理の破綻が明らかにされてしまうからだ、と思う。映像と言葉は不可分でありながらも、断絶しているという矛盾を孕んだ関係だと思う。元々編集者として言葉を極めた中平卓馬が言葉を失い写真を取ることによってその断絶はより顕著になったのではないだろうか。元々言葉というのはすべてを説明しうるという論理学的な態度もあるが、言語学の側面からは意味と言葉が分離する(いわゆるシニフィアン/シニフィエの関係性)でもあり、その言語学の側面というのはそのままポエジーの領域に食い込んで行く。そして彼はその言葉を失ったことで叙情/詩情を排した表現へと向かっていくことになる。その様子が(意思も含まれているはずだが)非常に自然/必然に感じられる。そのような対象を言葉によって論じることが果たして可能なのだろうか?彼はすでに写真を取るという概念そのものとして存在しているように思えた。

シンポジウムのシーンは痛快だった。東松照明や森山大道、荒木経惟といった錚々たるメンバーに対して議論をふっかけていく様子と言ったら!そもそも東松照明の展示だったはずが、テーマを無視して東松照明や荒木経惟、そして展示そのものをこき下ろしていく。

「僕は写真はメモリーではなく、ドキュメントだと思っている」
「創造だけが世界を変えるわけじゃない」

こうした言葉は彼が人生をかけて体現している(してしまっている)ことであり、写真の原理的な側面でもある。『太陽の鉛筆』で沖縄から南下し東南アジアを詩情をもってしてつないでいった東松照明に対し、沖縄から北上し沖縄県/琉球王国と本土の境目を記録しようとした中平卓馬。どちらが良い、という話ではもちろんない。が、強さという点で言うと中平卓馬に圧倒的に軍配があがる(ように見えてしまう)。どちらがより人々の生活、思想を反映しているのだろうか?詩情とは撮影者の主観(=思い込み/思い上がり)ではないか、ということが中平卓馬の言葉を通して聴衆や撮影者に暗に伝わっていく。そんな中「私はねぇ、歴史なんてことよりも、人の熱?!熱情?!ってものを撮りたいんだよ」という荒木経惟の言葉はいかに軽く、薄く見えてしまうことだろうか。

「彼と話していると、記録/記憶を扱っている写真家たちが、その記憶というものを創造(捏造)してしまう」ということを(僕の意訳も多分に含まれるが)と、監督が言っていた。記憶を失った彼を前にして、きちんと物事を記憶しているのは中平卓馬だけなのではないかと、そう思えてしまう。他の写真家が彼に弁論で勝つことができないのは、中平卓馬の持つ論理の正当性からではないし、暴力的に写真の原理主義的な側面を振りかざしているわけではない。ただ純粋に思考をしている量が違うということだと思う。それはまさにウィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という哲学論考の有名な一説に通ずるところがある。ウィトゲンシュタインの論考の中では倫理や論理といった科学的でないものを「語り得ぬもの」と位置づけたうえで、形而上学的なものの限界を定める試みを行っていく。しかしながらそれは「限界まで突き詰めたときに語りえないもの」が倫理であるだけであり、世の中に存在するほぼすべての事象(倫理や詩情といったようなもの)はそもそも語り得るものなのだろうということも示しているはずだ。中平卓馬と、それ以外の写真家では「語り得る/得ない」といった次元がそもそも違う。だから、中平卓馬と話しているだけでその表現が「語り得る」ものに暴かれてしまう。言語の限界は思考の限界であり、彼ほどその領域を拡張してきた「写真家」という存在はいない。多くの日本人の写真家が「絵ありき」の考え方からきちんと言葉を扱ってこなかったということも大きいだろう。どうだ!と言わんばかりの絵作り。突飛な被写体や設定。それをもてはやす批評家や民衆。飯を食うため、自尊心を満たすため。様々な動機はあろうが、そうした人たちが目をそむけたり、気付きもしなかったことをひたすらに追い求め、時には写真を撮ることも止め、考え、論じ、言葉にしてきた。その彼が最も写真という存在自体にに肉薄をしているのは当然ではないだろうか?そのシンポジウムで森山大道がずっと議論を避けていたのは、そうした側面もあるだろうか?

今後僕が生きている間に、彼以上に稀有な写真家に出会うことはもうないだろう。そう確信した映画だった。

hiroshi ujiiephoto, movie