American Boyfriend - Trip to Okinawa - Day 3
沖縄滞在も3日目を迎えたことになる。この旅はまだ中盤に差し掛かったあたり。この日の予定は沖縄付近にある40いくつもの離島の中の一つ、久高島に行くことだった。別の島にも行ってみたかったけれど、あいにく高速艇やフェリーのチケットが売り切れており、この島にしか行くことができなかった。しかし、この選択は結果的に自分にとっては良いことだったと思う。昨日平和通りの商店街で見つけた古本屋で、岡本太郎の『沖縄文化論』を買って読んでいたところ、この島の文化や、島に代々伝わる秘祭「イザイホー」のことが書かれていたことも、この島への渡航を後押ししている。
ここで少し沖縄がかつて琉球王国と呼ばれていたことについて触れておきたい。琉球王国はかつて「アマミキヨ」という名前の神によって作られたと言われており、その神は「ニライカナイ」という神の国から来たとされている。その神は沖縄及びその周辺の島々に神を祀るための場所として御嶽(ウタキ)という場所を全部で7つ作り、神域として今でも大切な場所として保存されている。訪れた久高島にはその御嶽の一つであるクボー御嶽という場所があり、アマミキヨが最初に降り立ったとされるカベール岬(ハビャーンとも言うらしい)もある。琉球王国は女性が開祖ということもあり、その土地の神職につくことができるのは基本的には女性のみとなる。それが本土で一般的に信仰されているものとは異なる。久高島に伝わる秘祭イザイホーでも主役は女性であり、30歳以上になった女性が神職につくための儀式として、すでに神職についている女性はさらに上位の職位になるための儀式となる。この祭りについては「岡本太郎の沖縄」という映画でも触れられているし、映像としても記録されているため今となっては誰でもその様子を知ることができる。ちなみに、1960年代に岡本太郎がこの島に訪れたときに撮った写真によって、久高島に残っていた風葬の文化が明るみに出てしまったという事実もある。それくらい文化的には土着的なものがつい最近まで残されていた地域だったらしい。
もちろんこんなゴールデンウィークの真っ只中に秘祭が行われるわけはないし、イザイホー自体1978年に行われて以来一度も開催がされていないらしい。しかし、この島には観光地化された他の多くの離島にはない神聖な風習やエリアが未だに残っている。久高島以外でも、沖縄各地にはこのような風習が未だ残っている地域はいくつかある。とりわけ有名なのは石原慎太郎の『秘祭』によって描かれているとパナリ島の「豊年祭」という祭りだと思う。オカルト的な話題が好きな人であれば一度は話を聞いたことがあるかもしれないが、完全に外部の人間を遮断した謎に包まれた秘祭である。石原慎太郎含め、外部の人間はこの祭りには参加することも見ることもできず、かつて見ようとした人間が暴行を受けたり行方不明になったりという曰く付きの秘祭。誰もみることができないのだから、小説に書かれたことが事実に基づくわけではない。しかし、この手の秘祭が都市部に住む人間が思っているお祭りとは全く違う儀式であることに気付かされる。
そんな場所に行くことができることもそうそうないということで、朝早起きをして港に向かう。青く澄んだ美しい海を高速艇でゆくこと20分、久高島に到着した。久高島は歩けば3時間程度で島中を見てれしまうくらい小さな島で、商店やお食事どころも数件しかない。近頃は観光客や釣り人が多く訪れるおかげで、若干観光地化してきている傾向にあるが、まだまだその土地の文化が残されているようには思える。琉球王国最高の聖地と言われるのが、沖縄本島にある斎場御嶽という場所なのだそうだが、その斎場御嶽には久高島から運んだ砂が利用されているらしい。斎場御嶽は既に一般に開放された場所になっているが、ここ久高島にあるフボー御嶽は一般の人間の立ち入りは固く禁じられている。この場所に入ることができるのは神職者とされるこの島の最高位の女性だけとされ、イザイホーが行われなくなった現在でも聖地として厳重に管理されている場所となっている。その場所に立ち入った岡本太郎いわく「なにもない空間」らしいのだが、神聖な空気に満ちた場所であることは確からしい。
港から離れ島の北側に進むに連れて、南国の植物が道の両脇に鬱蒼と茂ってくる。淡々と北を目指して歩きながらこの島の聖地を順番と廻る。クボー御嶽、カベール岬、イシキ浜。そのどれもがとても静かで風の音しかしない。それらの聖地は整えられているわけではなくありのままの姿であり、おそらくずっと昔から変わらない様子であったのだろうと思わせる厳かさと静けさが、神聖さを表していたように感じた。この島で出会った現地の方々も、こうした場所への信仰心はおそらくは失ってはいないだろうし、特定の年代以上の方々はイザイホーによって神職についている、人によっては現人神として崇められる対象になっているだろうと思う。そう考えるとこの島に生まれ、育ってきた人たちというのは僕たちと同じ姿形はしているが、少し別の次元を生きているように思え、このような世界が自分の国にまだ残っているということに改めて驚かされた。
一日中歩き通して疲れたので、港付近の店に入りぜんざいを買って食べて一休みをする。そのまま宿で少し寝たあとに晩御飯を食べに近くの食堂へ。沖縄の海で取れた海鮮は非常に美味しく、この日の疲れも少しは癒やされるだろう。夜になるにつれて天気は崩れ、期待していた星空は見えなかった。夜寝付く頃にはしっかりと雨音が聞こえ、明日以降の旅が思いやられた。