ESSAYS IN IDLENESS

 

 

American Boyfriend - Trip to Okinawa - Day 1

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朝5時、薄暗い初台の街をタクシーで駆け抜け新宿のバスターミナルへ。沖縄への飛行機に乗るためにこの日は朝早くから活動した。朝の弱い自分としては非常に辛いものがあったが、おかげで初日から沖縄を満喫できるはずだ。

那覇空港へと降り立ちまず感じたのは、凄まじい湿気だった。湿度で言えば500%、梅雨時の満員電車を濃縮したような湿気があたりを包んでいた。荷物を置くためにホステルに向かうだけで体は汗だくになり、そしてその汗は乾かない。海が近いせいか風が非常に強かったが、その風が湿気を大量に含み不快さをさらに増幅される。これが沖縄かといきなり面食らってしまいここから6日間も耐えられるのかどうか不安に苛まれた。アメリカ的な風景というよりもとにかくこの湿気をなんとかしてくれと、もう梅雨入りしてしまったのかと、それだけに頭が支配されていた。

ひとまず近場でソーキそばを食べる。鰹出汁が効いたそばは非常に風味豊かで優しい。少し強めの塩気がこの気候にマッチしている。島とうがらしを垂らして泡盛の匂いを嗅ぐと更に食欲は湧いてくるもので、あっという間に食べ終わってしまう。那覇市内のいたるところにあるブルーシールアイスも観光がてらに食べてみる。このうだるような暑さ、そして湿気にはやはり涼しい屋内でアイスを食べて安らぐに限る。タイモチーズケーキという沖縄でとれる野菜をブレンドしたフレーバーのアイスはまったりとした味がとてもよかった。

そのまま歩いて国際通りを渡る。もうそこは既に、明らかに森山大道が撮った『沖縄』ではなかった。彼の『沖縄』は1974年ごろの国際通り周辺で10日間の撮影期間で撮影されたものだ。戦後30年も経とうかという頃、米軍支配下だった頃の沖縄と高度経済成長時代を迎えた日本が混じった異質さが映し出されている。しかし僕の目の前に広がるのは所狭しと並ぶお土産屋やドンキホーテ、観光客向けにカスタマイズされたステーキショップや郷土料理屋だった。歩く人の多くは観光客で沖縄に来ているのに沖縄で無いような感覚さえあった。しかし、そこから一歩脇道へとそれると一気に昭和時代にタイムスリップしたような市場へと続く商店街に入ることができる。平和通り商店街とその一帯は昭和時代をまだまだ十分に引きずった、というより変わることを拒んだような佇まいの不思議な雰囲気をまとっていた。人々の感じや店の感じを見ていると、昨年に台湾を訪れたときのことを思い出す。商店街の中の更に小さな横道にそれると、どうやって営業を続けられているのかもわからない店が立ち並ぶ。おばあさんやおじいさんがだいぶ古臭いお土産物や不思議な匂いの乾物を売っていたりするのだけれど、いったい誰が買うのだろう、、。昼間だからか、それとも連休だからかほとんどの店がシャッターを下ろしていたので全貌は掴むことができなかった。

商店街を出て、ミヤギフトシさんがかつて暮らしていたあたりにあるという、かつて「パレス・オン・ザ・ヒル」という名前だったホテルへと向かいながら那覇市内の様子を観察していた。建物は基本的にはコンクリートでできていて、特に印象的だったのは一般的な家屋だ。コンクリートでできた特徴的な格子状の壁のあしらいや、トリッキーな形の窓枠。平たい屋根。平屋を積み重ねるようにしてできたマンションやアパート。そうした無機質感と街路樹や植栽が奇妙なコントラストを生み出していて、その感覚は台湾の町中を歩いている時に感じていたものにすごく近く感じた。建物の形自体も、一つ一つの家屋に特徴があって面白い。建て替えや改築を行わず、昔のモダニズムに影響されたあしらいがそのまま残ってしまっているような、、、。無機質な美しさで画一的にされてしまった東京の都心部の町並みよりも、こうした名も知らぬ誰かのエゴが無秩序にせめぎ合う地方の町並みは歩いていて楽しい。松本に訪れたときも同じように思ったけれど、今の建築スタイルでは実現できないような家屋がこの街にも残っていた。

波の上ビーチなどにも歩いて行ってみたけれど、流石に湿気と暑さには勝てずホテルに戻って風呂に入った。体を洗い汗を流して、八つ当たりとして濡れた衣類を地面に叩きつける。このままでは脱水症状で死んでしまうし疲れて死ぬほどにだるい。水を飲んで昼寝をして、体を休める。目覚めたのは19時過ぎ。そこからステーキを食べにまた街に出た。国際通りのまがい物っぽいアメリカかぶれのステーキ屋でさえ、やっぱり肉を食うのは健康にいいなと思いながら、肉を噛み締めた。肉は最高だ。

この日は4月30日だった。そして平成最後の日であり、0時を回れば新しい元号が始まる。地元の人達と一緒にその次代の節目を迎えたいと思った。平和通りの商店街でローカルさが満載の手頃で狭くて小汚い飲み屋を見つけて入ってみる。10席程度の狭い店内には馴染みの客や、海外から訪れているお客さん(よくこんな店を選んだものだと思う)が既にひしめいていた。お酒を飲みながら時間を潰していると、古臭いテレビに映るNHKでは平成の終わりをカウントダウンし始めていた。向かいの飲み屋からは三線の音や指笛の音が漏れている。0時が近づくにつれてあたりは少しそわそわし始め、向かいの飲み屋のテンションは最高潮に達し、合いの手や歓声がダダ漏れている。カウントダウンが残り1分を切った途端、店員がハブ酒をショットグラスに注ぎ客に大慌てで振る舞い始める(無料)。カウントダウンが残り10秒ををすぎると自然とみんなの目線がテレビの画面に集中し静かになる。一つの時代の終わりと、新しい時代の始まりを心の中で祝っているかのようだった。0時になったと同時に店にいるみんなでハブ酒で乾杯。店内は少しのあいだ異様な盛り上がりを見せていたが、それが収まった頃、改めてこの街の良さを、沖縄の人たちの心の暖かさを、三線の音色や沖縄民謡の素晴らしさをしみじみと感じた。

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