Joseph Cornell @DIC
31歳の誕生日を4月6日に迎えた。その日の空は透き通った青が美しい、久しぶりの快晴だった。朝日が部屋に入ってきた途端に春らしい暖かさ(そして花粉が)が感じられ、素晴らしい一日になるような予感がした。
車で千葉県は佐倉市、川村記念美術館まで行く。ここは東京近郊で最も好きな美術館のひとつ。川村記念美術館にわざわざ2時間もかけてきた理由はジョゼフ・コーネルの企画展を見るためだった。コーネルの作品の魅力は、その作品自体にも現れているが、作家自体の精神性の美しさにほかならない。彼自身が何かを生み出すのではなく、自分の好きなものを萬集し平面的(コラージュ)/立体的(アッサンブラージュ)/時間的(映像)にモンタージュをしていくという手法に端的に示される。彼のキャリアを通じてそれ以外の手法は用いられていないという事実は、この日初めて知ったことだった。自分にとってそれは「僕の好きなものはこんなにも素晴らしい、だから君にも見てほしい」と優しく語りかけられているような気持ちがして、作品を見ている間中、心が暖かくなったことを覚えている。作家自身の考えやコンセプトを体現するものとしてのアートではなく、自分の見ている世界の素晴らしさをギュッと「箱」に詰め、作品に変えるのが彼のやっていることだ。いわゆる「アート」を見ているときのような崇高さというよりも、古い喫茶店やアンティークショップに立てかけられた店主の作品を見ているような感覚に近いのかもしれない。彼の作品には見ているものを圧倒し黙らせるような力も感じないし、社会的な正義も振りかざしだれかを批判するようなたぐいのアートでもない。ものの見方を変えるような奇想天外な発想もない。あるのはひたすらに誠実な思いと優しさであるように感じられる。そして何故かわからないが、彼の作品を見ている時の感動はジョナス・メカスの作品を見ている時のような感覚に近い。それはつまり自分にとって最も「美しく、尊く、真似ができないもの」と認識されているということを示している。自分の好きなものや思い入れを優しく丁寧に丁寧に紡いでいくことによってしか生まれ得ないものこそが最も価値があり、それこそが独自性と呼べる。彼がモンタージュしてきたものすべては自分の人生であり、細やかで愛らしい詩的な作品群はその人生の集積となる。それがおそらくはジョナス・メカスと近いところなのだろう。彼のしていることは素朴なガラクタ集めのようなものではあるのだが、自分の気持ちに死ぬまで向き合い続けて好きなことをやり遂げるという、それでしかなしえない美しさがやはり僕は一番好きだと思う。