ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Mt. Kitayoko

これだけ雪が深いと写真を撮る余裕なんて生まれないな、、と実感した

これだけ雪が深いと写真を撮る余裕なんて生まれないな、、と実感した

今年の目標は登山に5回いくこと。そして来年は冬山に行くこと。そのためにまず、長野の名峰北横岳に訪れたのは3月末。頂上付近までロープウェイが走っていることから、比較的冬山の初心者でも登りやすい山らしい。しかしながら頂上からの眺望は素晴らしく、晴れた日には蓼科ブルーと呼ばれる美しい青空や、冬であれば白く染まった山々の稜線が一望できる。今年初の登山は、結果的に言えばこの山でチャレンジしておいてよかったと心から思う。なぜなら自分が思ったよりもずっと過酷で危ないものだとわかったからだ。

冬山に登ると決めてから、登山についていろいろなことを調べたり、何度も各地のアウトドア用品店に赴いて少しずつ装備を整えた。今年は例年に比べて雪がずっと少なく、下手すると雪用の装備がいらないとも言われていたが、それは全く的外れのアドバイスだった。買っておいたアイゼンやピッケルは飾りになって終わるかと思いきや、まさか使う機会が訪れるとは思わなかった。

ロープウェイの頂上につくとあたりは深い雪に包まれていたし、踏み出した足は雪に埋もれた。何度も転んだし、吹雪で前や後ろが全く見えなくなるような状況も続いた。稜線に出ると猛烈な風が吹いて吹き飛ばされるのではないかと思うくらいだった。全行程が1.5時間もあれば登りきれる北横岳だったからなんとか生還できただろうが、これがもし3000m級の山だったとしたらパニックになって遭難していただろうと思う。方向感覚もわからなければ、地図を出したりコンパスを確認するような余裕もない。周りに人がいるから迷わないだろうとも思ったし、実際たくさんの人が登っていたけれど、吹雪が強くなると視界はほぼゼロになってしまう。誰かのつけた足跡や踏み固めた地面も、ものの数分でふかふかの雪に包まれてしまう。これが自然の猛威というものか、、、と身を持って感じた。コンディションは最悪だったと言えるが、それでも山に登る高揚感は感じることができた。すべての音が雪に溶けていくようで静かで、アイゼンで雪を踏んでいく感覚も気持ちがよかった。最初は寒くてどうなるかと思ったけれど、歩いているうちに体は熱くなり、寒さを感じなくなる。樹林帯を歩いていると、木の枝の隙間から雪がさらさらと落ちてきてきれいだった。山に行く意味というのは、その場所、その季節でしか見れない景色があるからだと思っている。別に過酷な環境を味わいたいということではなく、そこでしか見れない光景を見たいという単純な発想でしかない。アメリカに行ったときに、自分の目前に広がる信じられないくらい大きな景色を見た。おそらくその光景に似たものを目の当たりにできる環境が日本の中にあるとすれば、街から離れた場所で、遠くの景色も見渡せる場所しかない。それは必然的に高い山の上ということになる、だから山に登りたいと思っていた。最初のトライは残念ながら失敗に終わってしまったけれど、挑戦をした価値は大きかった。

山登りではしゃぎすぎたせいで、冷静になると自分が軽い高山病になっていることに気がついた。ロープウェイ乗り場のレストランでご飯を食べていると、どうにも頭に鈍痛が残りしばらく休んでも取れなかった。結局翌日も含めて丸二日くらいは頭が痛いままだった。もし自分が高い山に適性がなかったとしたらどうしようと思っていたけれど、前日の寝不足が響いているだけだと思いたい。次の登山は5月、できればまた長野の山に登りたいと思う。

登山の前日には上田の街を散策した。街は閑散としていたけれど、地方都市独特の哀愁が漂っていて最高な雰囲気だった。登山に行くついでに、こうしたまだ訪れたことのない街を歩き回り、その土地の人や空気に触れることで新しい刺激が得られるものと思う。一番やばかったのは「故郷」という名前の老夫婦の営む喫茶店だった。(メニューも聞かれなかったのだが、結果的にはコーヒーやトースト、ゆで卵を勝手に出してきて一人300円しか取られなかった) 僕たち以外にまったく客がいなかったのだけれど、それを良いことになぜか日本の新興宗教の勃興秘話のようなものを2時間近く聞かされた。その結論としては「若いうちにクソほど貧乏を味わい、苦労しておけ」ということだった。上田は完全にやばい街だと思う。いい意味で。

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