ESSAYS IN IDLENESS

 

 

S/N

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今日は12月も半ばだというのに、とてもあたたかい気候だった。こんな日に美術館に行ってDumb Typeを見るなんてよほど自分のセンスがないなと思ってしまうのだけれど、家にいても何もしないような気がしたので出かけることにした。雲ひとつない日の日差しがブラインド越しに部屋に入ってくると柔らかい光の縞模様をシーツやラグに投射してとても綺麗だ。だから正直なところ家から出る必要なんてほぼなくて、家で日向ぼっこをしているのが最も有意義だとは思う。

Dumb Typeを見るのはおそらく大学生の頃ぶりで、その頃見た作品もいくつか展示されていたはず。どの展示室も静謐な美しさがあり引き込まれる。もはや、僕の個人的な趣味嗜好の範囲から言えば、彼らの表現は自分の中のベスト足り得ることはないのだろうと思う。ただ、そうだとしても彼らの作品は興味深いし、自分の中のある時代を作ったことを改めて認識せざるを得ない。
彼らの作品は僕にとっては、二項対立を極限まで単純化/抽象化するプロセスを経て、投射される一筋の光だと思っている。バイナリの信号や音の波形、光と闇といった要素に思考の対立を重ねている。見るものはそれが何であるか瞬時に察することはできないが、その一筋の光に込められた情報の純度と奥行きは他の似たようなアーティストの追随を許さない。それが作品の強さや深さであり、彼らのセンス(ナンセンス)なんだろうな、、と作品を見ながら懐かしい気持ちになった。

hiroshi ujiieart