ESSAYS IN IDLENESS

 

 

LOS ANGELES 20191116

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LA二日目。起きて向かったのはNetflixのドラマシリーズ『LOVE』や『ディザスター・アーティスト』で使われたという「アストロファミリーレストラン」という郊外のカフェだった。ミッドセンチュリーを全面に押し出した外装と、古き良きアメリカンダイナーの様相を呈した内装が同居しているという素晴らしいダイナーだった。ガラス張りのパティオを見たとき、ここが『LOVE』の中でガスが座って黒人の家族とご飯を食べたところだなと直感的にわかった。案内されたのは店の手前側の木造のボックス席。ソファの褪せたピンク色と壁の茶色い木目。そして若干暗い店内の雰囲気がとても良い。周りには僕たちと同じく朝ごはんを食べる常連と思しき家族が何組かいた。頼んだのはブレックファストのプレートとコーヒー。ベーコンとスクランブルエッグのモーニングプレートは飾り気のない素朴な味わいがとてもよい。特に、どこまでカリカリにすれば気が済むのか、という感じのまるで木の皮をかじっているかのようなベーコン。これはたまらない。同行者の浅倉の頼んだプレートが、小さなパンケーキが10枚くらい純粋に盛られたプレートでその頭の悪さに笑ってしまう。お腹がいっぱいになっても、その隙間にコーヒーを流し込んで時差ボケ気味の頭を覚ましていく。

シルバーレイクフリーという蚤の市に行った。ここはかなりヒップな店が出店しているフリーマーケットだった。欲しいものはたくさんあったが、そこまで気軽に買える値段ではない、もし金を存分に使うと決め込んでいたら$500分くらいは余裕で使えるし、一生分のTシャツとスウェットを買っていただろう。わりかしささっと見て終わってしまったが、来ていた客も含めてLAの本気のヒップスターと言わんばかりのおしゃれさだったので、目の保養的な意味でもなんとなく来てよかった。ただし、周囲の治安はあまり良くない。何故か道端には車のバンパーが落ちていたり、店の駐車場に路上生活者が屯していたり、どの家にも鉄柵と番犬がいたりする。「Be Aware of Dog」と書いてあるネイバーフッドはだいたい危ないのがアメリカの常識。カメラをぶら下げたアジア人が無防備に過ごして良い場所ではない。

シルバーレイク周辺をそのままドライブし、ストリートマーケット的な賑わいを見せる一角に立ち寄ったり、古着屋やメガネ屋に立ち寄る。小腹を満たしがてらローカルな雰囲気のメキシカンに行った。出てきたのは鳥の足がまるごと2本入ったとんでもない量のスープで、お腹がたちまちいっぱいになった。スープを一食分と換算するこのアメリカの文化には未だに慣れない。ついでに、この近くにエリオット・スミスの『Figure 8』のジャケットに使われているという電気屋があるというので寄ってみた。ここは前回のLA来訪の際に行くことができなかった場所だ。行ってみるとその店は閉まっていて中に入ることはできなかったが、ショーケースにはろうそくと写真が飾られていたり、地面に彼の名前が落書きされていたりした。

ロスフェリスという一角にも行ってみた。ここもまた相当にヒップな地域で肩身が狭い。スカイランドブックスという素敵な名前の書店を見つけ、しばし入り浸り、質の良さそうな古着屋を巡っては時間を潰した。通りに面した店はどこもおしゃれな人達で賑わいつつも、ポートランドと似たような雰囲気を感じた。その後、カロリーの暴力とでもいうべきアメリカらしいチョコがぎっしり詰まったパイを食べて、車の中で一休みした。いつの間にか寝ていたみたいで、あたりはすっかりと夜になっていた。車から降りてタバコを吸っていると外からなにかにぎやかな音が聞こえた。

音の出る方へ導かれるように歩いていくと、そこにはネオンが光り輝く小さな移動遊園地ができていた。教会の脇にできたその遊園地には、近くの子供連れの家族やご老人の方々がやってきては思い思いの時間を過ごしていた。即席のステージでは地元バンドらしい人たちの素敵な演奏。メリーゴランドやジェットコースター、フリースローゲームなども大賑わいだった。この夢のような空間を前にして、呆然と佇む自分の脇を子供達が笑顔で颯爽とかけていった。こうした映画でしか見ないような光景は、アメリカでは当たり前のことなのかもしれないと思う。どうして、日本とは後も違うのだろうと少し悲しくなってしまう。

この日の最後はアダルトスイムフェスティバルという昨年爆発的不評を呼んだスタジアムでのフェスだと決まっていた(むしろ、この旅行において決めていた予定はこのフェスと、後日行くBuilt to Spillのライブのみ)。Vince StaplesとJamie XXだけを目当てに行ったので、だいぶ遅めの時間帯からの参加になった。この日のためにこしらえたクリアバッグでスタジアムへと乗り込んで行く。正直時差ボケのこともありかなり疲れていたが、スタジアムからの眺めを見るとその疲れは吹き飛んでしまう。見渡す限りヒップスターなヤング・アメリカンだらけだし、アメリカの今っぽい感じが凝縮された空間すぎて否応なしにテンションが文字通りブチ上がる!野暮ったいアジア人丸出しの自分たちは幾分浮いていただろうが、それでも全然構わなかった。自分には手の届かなかったアメリカの若者の文化に手を伸ばせた気がしてとても嬉しい気持ちだった。フロアに降りるとあたりにはマリファナの匂いがかなり充満していた。タバコや火気は持ち込み禁止だったはずなのに、、、どうしてだろう?と思うくらい周りの人は楽しそうに吸っていた。なんならこっちまで回ってきたほどだが華麗にスルー。このフェスの面白いところは、コメディアンの出演もあるというところだ。もう半分やっつけ仕事みたいなハイテンションさですべてを回収していこうとするエリック・アンドレは、散々ステージで好き放題やって帰っていった。客にはバカウケだった。

僕らの目当てはVince Staples。フジの配信を聞く限り最高でしかないだろうと思っていたがやはり間違いがない。「Frank Oceanじゃなくてゴメンな」という皮肉とも言えるセリフを吐いてライブを始めるわけだが、マイク一本でここまでのパフォーマンスができてしまうんだなという凄みがある。ほぼ当て振りのカラオケ状態だけれど、バックトラックの爆発的な重低音はもはやロックミュージックには存在し得ない倍音を獲得していて、そのグルーヴが凄まじい。当然のことながら『Norf Norf』を最後にかまして来るわけだけれど、あたりはもうずっとシンガロングをしている。こうした音と周囲の客の一体感こそがライブの醍醐味、というとそれこそ当たり前に聞こえてしまうわけだけれど、身を持ってその感覚を体験できたことは大きかった。単純に「Long Beach Northside!」って言いたいし歌いたいしね!

Jamie XXのDJは予想通り全然良くなかった。安定しないBPMと曲のチョイスで観客を混迷の渦に巻き込んでいて、これがこのフェスの最後でいいのかよという気持ちでしかない。僕らの目の前では太ったおじさんたちのカップルが素敵なダンスを踊っていたり、めちゃくちゃ可愛い女の子が「SeeSaw」のタイミングでセルフィーを撮ったりしていていい雰囲気だった。日本でよく見る棒立ちの人塊とはわけが違う。どれだけDJが糞だったとしても音とビートがあれば彼らは輝けるし、その空間を輝かせる事ができる。こういう一歩ひいた目線を持っていると自覚することは、自分が老化していることを認識しているのと同義だとおもい少し悲しくなった。我々の中で「エモ残し」という技術がある。それはライブを最後まで見ずに、後ろ耳にラスト数曲を残して会場を去ること意味している。既にお腹いっぱいになった上で、畳み掛けてくるビートをあえて食わずに聞き流すことで余韻を味わい続けることが可能になる。つまり終わりエモ残しとはエンドレスナイトであり、大人の階段をのぼることであり、余裕の表れであり、老化の自覚である。ただし、僕はこの行為を非常に評価したい。ちなみに、スタジアムの外でさえもほぼ丸聞こえだったのでわざわざチケットを買った意味を少しだけ疑いたくなった。

帰りにお腹が空いたので、ジャックインザボックスでくだらないものを買って食べて帰った。この余分な1000カロリーが辛かった。

hiroshi ujiietrip, days, music