Parking Lot (Waves)
今年に入ってから一番聴いたアルバムはおそらく田我流の『Ride on Time』だろう。今年のはじめにリリースされたこのアルバムは、世間ではそこそこ話題になり、僕の身の回りのほんの一部で話題になり、Pitchforkなどの音楽メディアに傾倒している人たちの間ではまったくと言っていいほど話題に上がらなかったアルバムだった(と認識している)。DrakeやKanye、Post Malone、Vince Stapleを始めとして(これでも本当にほんの一例でしかないが)海外HIPHOPが一世を風靡し、その勢いは留まるところを知らない。だから、この先はずっとそういう時代なんじゃないかと思えてくる。ロック畑の自分としてはそういうのが少しだけ寂しい。もちろんHIPHOPは最高だし、大好きなんだけれど。
改めて新譜を聞き直すと、田我流の海外への憧れと彼自身のスタイル、人生を織り交ぜながら作られたものだなということがわかってくる。というよりも、彼自身は常に実直にそうあり続けていている。だからといって頑なに一つのことをやり続けるのではなくいい意味でぶれ続ける作風の中に変わらない芯が残っているという言い方が正しいかもしれない。これまでのユーモラスな作風に加え、彼のライフステージの変化。更に、トラップのフロウや海外を志向した低音やビートの作り方がリリックに絡み合うことで彼にしかできない領域の音楽になっている。このジャンルの上手い下手はよくわからないが、田我流自身のベースのスキルが本当にしっっかりとしていることによって、新しい音やリズムを吸収していけるのだろうと思う。その根幹が「憧れ」の強さではないかと考えている。
彼の歌を聴いていると「誰々/何々みたいに」というフレーズがよく出てくる(そもそも過去のアルバムのタイトルにもなっているし)。彼の中の「俺はこれが好きだ/これを好きなのが俺だ」という根幹の思想のシンプルさが、個人的にはとても共感を覚える。趣味嗜好や思考行動はその人自身と不可分であり、そうしたものからの引用によって自分自身が成り立っていると考えているからだ。逆に、これを可分であると考える人は良い意味でも、悪い意味でも大人であり、欺瞞であるように思える。田我流は「いつの間にか大人になって」というけれど、彼の言う大人という言葉は家庭を持ち誰かを支えるときに使われるような気がする。だから、真には彼は未だに子供(のような純粋な心)であるように思えて嬉しい。ライブの出来はといえばその時点で今年のベストだし、仮に今年何回ライブを見ていたとしてもベストだっただろう。彼を支えてくれた/競いあった数々の盟友のラッパーたちが代わる代わるステージに登場し、ともに歌い、お互いを讃えて感謝をし合う。彼は言っていた
「俺らくらいの年になると、もう前線でやっているやつなんてほとんど残っていない。でも、頑張っている奴らはいるんだ。そんなやつらと、人生で言うところの”パーキングエリア”のようなところで出会うんだ。そこで、お互いの近況を報告しあって、頑張ろうって言い合ってさ。」
「人生のパーキングエリア」。パーキングエリアのような吹き溜まり。この言葉はとても、とてもアメリカのような空気感をまとっていた。自分が旅をしたときの光景がそこに蘇ってきた。寝ずに一人でドライブをし続け、やっとたどり着いたトラックストップ。そこでソファで寝転んでいるドライバーや、ぼーっとテレビでアメフトを見ているおじさんの顔が鮮明に思い浮かんだ。そこで自分と似た匂いのする人たちを見つけては恐る恐る声を掛けてみたり、知り合い同士だったら一緒にパンケーキでも食べるのだろう。その比喩が、彼の歩んできた道のりを踏まえないと出てこない言葉であるということにまた自分とのつながりを見つけて嬉しくなる。
僕はまだこういう場所を見つけていない、でも確実にそれはどこかにある。もう少し疲れた大人になったらきっと分かるのかもしれない。