ESSAYS IN IDLENESS

 

 

Mt. Nishihodaka

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11月に入り、東京もいつの間にか秋を感じる季節になってきた。夜は肌寒く、早朝の空気は冷たい。仕事ばかりしていると季節を感じる暇もなく、いつの間にか夏が終り、そして秋も半ばを過ぎてしまっている。
東京から車で4時間と少し(渋滞も込みで!)、例によって松本へと向かう。北アルプスの山々を眺めながらのんびりとドライブを楽しむ。この日は明日5時半からの登山に備え、松本市内の温泉旅館に泊まり疲れを癒やすだけにとどめた。旅館は浅間温泉の近くの小さな温泉街にあって、山の斜面に面した不思議なつくりの木造の建物だった。

信じられないくらい朝早くに起きて燕岳へと向かう。山道を気をつけながら一時間ほどドライブをしていくが不思議なことに山から降りてくる車と何台かすれ違った。本来はここで気がつくべきだったのだが、なんとすべての駐車場が満杯だった。6時前後であれば空いているだろうという想定がそもそも誤りだった。11月の連休は雪山になる前、かつ紅葉も見れる絶好の登山シーズンだった。山小屋もこの日を境に営業をやめるため、山好きの人たちが最も集まるタイミングだった。自分の考えの浅はかさを感じながら、道端に車を停めて山のきれいな空気と一緒にタバコの煙を吸い込む。冷たい空気がとてもいい感じなんだけれど、とにかく虚しい気持ちになる。

まだ登れる山を探した結果、ロープウェイでかなり上まで上がることができる西穂高岳まで行くことにした。有名な西穂高山荘まで90分程度歩き、そこから1.5時間ほどで独標と呼ばれる西穂高岳の中の一つの頂上にたどり着くことができる。僕たちの残り時間から考えて、ここまで行って戻るのがギリギリだった。西穂高岳の山荘までは比較的誰でもたどり着くことができるくらい楽なコースだった。前回の反省を活かしてトレッキングポールを準備していったのが良かった。これで膝や足腰にかかる負担を腕や肩に分散することができる。(登山を始めたいと思っている方はぜひ安くてもいいからトレッキングポールを持っていってほしい)。西穂高岳山荘では名物のラーメンを食べる。山の上で食べるものとは思えないくらい美味しい。少し濃い目だがさっぱりとしたシンプルな味付けは体に染みる。何より結構寒いので体があたたまるのが嬉しい。決して広くはない食堂だけれど、年季の入ったログハウスのような作りで安心する。次々に人が入ってきては、嬉しそうな顔で温まるものを食べているのがいい。いかにも登山のプロです、という人から子連れやカップル、友達同士できている人もいる。ビールを飲んでる年配の方をみると絶対にベテランなんだろな、、、という思いで少しうらやましい気持ちになる。山荘の入り口でコーヒーを飲んでいると「一枚写真いいですか?」と何度も声を掛けられる。2,3組の人たちを山荘をバックに写真を撮ってあげるのも気持ちが良い。

少し休んだあとに独標を目指して歩き出すのだが、まず登り始めて数分でこれまで見たことがないような素晴らしい景色に出会った。これが登山を始めてからはじめての尾根歩きだったけれど、こんなにも気持ちがよいものだとは。アルプスの山々を遠くに眺めながら自然の雄大さを肌で感じる。とにかく「めちゃくちゃすげぇ、、、」と何度も口に出して言ってしまうくらい素晴らしい。直径2mは越えようかという大きな岩が3000m近い山の頂上付近にゴロゴロと転がっていて、手を使って岩を掴んで登っていく。もう少し高いところまで登ると、岩が砕けてできたであろう尖った石の上を歩いていく。もしここで転んだらかなり痛そうだ。見上げても、顔を横に向けて周りの山々を見ても、自分が歩いてきた道を振り返っても、自分を囲む景色は絶景しかない。強い風が時折吹き付けるが、それは自分のいる高さが森林限界を超えたことを示していた。

独標付近までたどり着いたとき、1機のヘリコプターが西穂高岳山頂の付近に対して何度もアプローチしていた。おそらく誰かが滑落したのかもしれないという予感が走った。予想はあたっているだろうと思った。西穂高岳の独標以降は登山のエキスパートコースとして知られている。日本屈指の難易度、そして危険度を誇る。毎年誰か事故が亡くなるが挑戦する人もあとを絶たない。馬の背やナイフリッジ、ジャンダルムといったキーワードで検索をかければその凄さは理解できる。すれ違う人たちも口々にその救助活動のことを話していた。帰り際、気になってニュースを見てみるとやはり1名の男性が滑落死をしていた。悲しいことに、娘と一緒に登山中に起きた事故だった。目の前で自分の父親が滑落する瞬間を見てしまったことを想像すると、その悲しみは計り知れないくらい深いだろうとおもう。自分にはそうした事故はきっと起きないと思いながら誰しも山を登るけれど、毎年必ずどこかで滑落や遭難事故は起きる。自然の美しさは危険と表裏一体であり、時折人間に対して容赦なく牙を剥く。奢りや過信といったものがなかったとしても、無慈悲に人々の命を奪っていく。どれだけ登山がうまくても、それが8000m級の山々を踏破する人たちだったとしても、日本の山で命を落とすこともある。

「登山」という言葉がこれほど重たく気軽ではないのだな、とこの日ほど感じたことはなかった。でも、僕はきっと山を登りにいくことを辞めないと思う。安全に、かつ慎重に楽しむすべを見つけながら美しい景色と達成感、なによりも下山後の温泉と地方の廃れた街の雰囲気を求めてまたどこかに向かうだろうと思う。

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