ESSAYS IN IDLENESS

 

 

This Is The One

全然関係ないけれど昔住んでいた練馬の家から見える夜景を見つけてしまった、、いい家だった。

全然関係ないけれど昔住んでいた練馬の家から見える夜景を見つけてしまった、、いい家だった。

宇多田ヒカルを好きと言って憚らない。彼女はおそらく現存する日本のミュージシャンの中であれば最高の才能と最高の人間性を持った非の打ち所がない、途方もないくらいに素晴らしい人だと思う。年に何度も彼女の昔のアルバムを聞き直すから、毎年何度も「宇多田は最高だなぁ」とばかり思っている。今年出た新譜「初恋」も既に何周も聴いている。新作が待ち遠しい日本人のアーティストなんてほとんど居ないけれど、いつも彼女はまったく期待を裏切らない。

今日もまた仕事に疲れて帰ってきて、「FIght the Blues 」を聴いて「Keep Tryin’」を聴いて、そして「Deep River」を聞き直しているのだけれど、ひたすらに「いいなぁ」としか思わない。彼女の素晴らしいところは一億箇所くらいあるとして、とても素晴らしいと思うところは、どんなことでも彼女のフィルターを通すことでユーモアがあり全く嫌味がなくなってしまうことだ。それはときに悲しげだったりすることもあるけれど、悲壮感を伴うようなものではなく儚い純粋な美しさが感じられる。何かを誇示したり押し付けたり、悲しみや怒りを煽ったりすることがまったくない。彼女のやっていることは鼓舞、励ましであり、アジテーションではない。どこかの誰かがやっているようにメガホンで悲しみや劣等感を叫ぶようなことはしない。彼女が代弁者でも預言者でも教祖でもないことは、彼女に狂信的なファンがいない(と、僕は思っている。)ということからもわかると思う。彼女が居なければ生きていけないと言う人はいないだろう。仮に彼女が死んだとして後追い自殺する人も居なさそうだなと思う(知らんけど)。むしろ彼女の残した歌に支えられてこれからも力強く生きていっていけるのではないだろうか。僕ならそうする。会ったこともないし話したこともないけれど、なんの根拠もないけれどきっといい人だろうと思うし友達になれるような気がする。すごくいい友達に”なってくれる”ような気がする。共感を求めるような打算も見られないし、ひたすらに丁寧に自分というものを表現しているからそう感じられるのかもしれない。自分を表現しつつも、常に真ん中にいる感覚というかメタ的な感覚というか、悲しみや嬉しさを俯瞰もしくは超越したような感覚さえ覚える。

彼女の歌を聴いた時の感触として、共感や歌への没入感のようなものはあまりない。例えばの話だけれど、アメリカンフットボールの「Summer End」を聴いた時のようなしんみりとした気持ちになるようなことはない。歌詞とメロディーから想起される情景が、自身の中の気持ちを揺さぶるような感覚とでも言えるだろうか。彼女の歌を聴いていてあるのはただひたすらな「感心」であり、その「感心」のレベルが異常なほどに高い。その「感心」がありすぎて感動してしまっている。それは音楽や詩の緻密さによって持たされているのは当然のことだけれど、それは高尚さとは別のベクトルに向いている。例えば彼女の歌詞を一つとっても、彼女自身は彼女の身に起こった何かしらの出来事について歌っているだけなのだけれど、それを自由に聞く人間が解釈できる余地がある。彼女が母親について歌った歌があったとして、それを僕は誰か友達に当てはめても、女性に当てはめて解釈することも可能であり成立する。こうして彼女の歌が誰の心にもすっと入っていくことができるのは、彼女自身の生活への深い洞察と純粋な心根の美しさや周囲への配慮からくる「感心」なのではないかと思っている。だから彼女の歌には過剰さや押し付けがましさがないし、そもそも他人に理解されることを諦めているところから全てが始まっているような気さえする。彼女の歌をよく聞かなくても、聞き流す程度に聴いていてもきっと分かると思う。日常の中でBGMのように彼女の曲を再生してしまうからそう感じるだけかもしれないけれど、ふと意識して数秒フレーズを気いただけで彼女らしさというか、月次な言い方だけれど新しい発見があるような気がする。まるで金太郎飴のような感じでどこを切り取ったとしても彼女らしさがある。そうした姿勢や在り方が真に正しいことなんだよなぁ、と思うとまた彼女に励まされているような気がしてくる。彼女のような人がその他に挙げられるかといわれたらちょっとすぐには思いつかない。少なくとも日本にはいないような気がする。

アメリカで暮らしていたときに学校の近くにあった回転寿司屋に友達とよく食べに行った。たいして安くもないしもちろん美味しくないその寿司屋に行く理由は、よく宇多田ヒカルがかかっているからだった。「Utada!」と言いながら曲を英語で口ずさむ友達を見ながら幸せな気持ちになるのが好きだった。もし彼女の歌を聴いて不幸になった人がいたら教えてほしい。もし彼女の歌が好きな人がいたら、すぐに友達になりたい。

hiroshi ujiiemusic