ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY33

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ミシシッピ川とオハイオ川の分岐点にあるフォートディファイアンスパークという場所を目指して進んでいく。この日は特別に朝早く起きれたので気分がとても良かった。天気は快晴で淡い青い色の空の下から綺麗な朝焼けが始まるころ、車を走らせてその公園へと向かった。朝焼けの光を受けてミシシッピ川はキラキラときらめいていた。川の近くだったことと、この日の気温と天気が関係していたのだろう。朝靄が物凄い勢いで立ち昇り、眼下に広がる平原全てを埋め尽くさんという勢いで広がっていく。晴れているし山間の地域でもないのにまるで光る霧に包まれたように辺りの光景は劇的に変わっていく。その朝靄の隙間から太陽の光がところどころ差し込む様子はただひたすらに神々しかった。その霧の中に廃れたガススタンドがあって、そこには壊れてボロボロに汚れた机やソファが置いてあって秘密基地のようだった。朝靄は最後に虹を作り出して、風に流されて消えていった。この一連の15分やそこらの出来事はアラスカでみたオーロラくらい自分の中では美しい光景の一つになっている。ミシシッピ川の朝靄が最高に綺麗だということはどのガイドブックにもきっと書いていないことだろう。公園の三角州の部分に車を停めて、二股に別れるミシシッピ川を眺めていた。風は冷たいし、靴には霜が染み込んできて足が冷たかった。朽ちて倒れた木の上に登って身体を小刻みにゆすりながら時が流れるのを待った。遠くから船がやって来た。蒸気船が座礁しない水深の深さを表す「水深二尋」をペンネームにしたアメリカを代表する作家のことを考えていた。それはミシシッピ川で船乗りの仕事をしていたサミュエル・ラングホーン・クレメンズ、通称マーク・トゥエインのことだ。この日の最終目的地は彼が生まれたハンニバルというミシシッピ川沿いにある小さな町だった。

カイロと言う名前の川沿いの廃れた街を見つけた。色褪せた家や車、スーパーの看板。街の真ん中には唯一真新しい大きなクリスマスツリーが飾られていた以外はほとんどゴーストタウンのような佇まいだった。街で唯一見かけた人間は教会から出てきたスーツ姿のおじさんで、話しかけてみるとその教会の牧師さんとのことだった。「日曜日のミサはまだ始まる時間じゃないけど、どうしたんだい?」と言われたので答えに窮するところだったけれど、僕のなりを見て旅人だと思ったのだろう。「よい旅を!」と陽気に声をかけて中へと引き返していった。街の外れにある古びたダイナーにはピックアップトラックに乗った荒くれのようなおじさんたちが続々と集まってきていた。外から見たら掘っ立て小屋のような外観の建物の中に、いかにも古き良きアメリカンダイナーというようなボックス席とカウンター席、そしてアルミのスツールが並んでいた。この光景はきっと何十年も変わっていないしこれからも変わらないのだろう。店の外にあったボロボロの給油機でガスを補給して更に先へと進んでいく。

山の中の道沿いにぽつんと立っていた古い教会を見つけた。その向かいにはコンビニエンスストアがあったのでそこでコーヒーを買ってゆっくりとしていた。窓の外を眺めているとその教会に向かってスキップで歩いてくる男の子たちがいた。わざわざ遠くから日曜のミサのために集まってきたのだろう。その背格好からして小学校低学年くらいと思われる少年たちはすごくウキウキした様子だった。自分が彼らの年のころなんて何をしていたかなんておもいだせないし少なくとも日曜に教会にいくなんて殊勝なことは絶対にしていない。唯一覚えていることがあるとしたら友達と汚い川に向かって毎日オシッコを飛ばし合っていたことくらいなものだった。近くに街も見当たらないこんなところにまでお祈りに来るなんて、田舎の信心深さは僕の予想を大きく超えているのかもしれない。ミズーリ州とイリノイ州はミシシッピ川を挟んで隣り合っている。その川の両側には「グレートリバーハイウェイ」と言う名前のシーニックバイウェイが走っている。そのどちらも走ってみたくて、何度も川を渡るための橋を超えてミズーリ州に入ったりイリノイ州に入ったり、川を挟んで蛇行しながらゆっくりと北上していった。ルイジアナという名前の街についたころには夕暮れになっていて、そして今日もまたミシシッピ川の畔にいた。赤く焼ける雲が水面に反射して水面が彩度の低いピンク色に染まっていた。この時、川の色が空の色と同じになっているということに気がついた。川には大きな貨物船が何隻か停泊していた。僕が車を走りながら横目に通り過ぎた貨物船もこの類だろうと思う。その大きな貨物船に乗っている色とりどりのコンテナが川の色と柔らかなコントラストを作り出していた。川の畔には犬を散歩させるおじいさんや、ランニングをしている子供がいて、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。

そのまま更に北上し、ハンニバルの街についたのは夜六時すぎだった。もう辺りは日が暮れていて、僕が楽しみにしていた博物館や目ぼしい観光施設は既に閉館となっていた。街に繰り出すとこの街が非常に美しい街であることに気がついた。観光用にきちんと整備されていて、誰もいない大通りにはクリスマス用のイルミネーションやオーナメントが輝いていた。暗くてよくわからなかったけれど、あのマーク・トゥエインの逸話のフェンスもきちんと残されていたし、その向かいには彼の父が働いていたという事務所も残されていた。街の外れの方にはマーク・トゥエインホテルがあり、川沿いの公園には船員だったころの若きマーク・トゥエインの銅像が建てられていた。街の真ん中には「マークトゥエインダイナー」という名前のダイナーがあったので、「オイオイそれは反則だろう!」と思いながらも迷わずに入ってしまった。地元の人々で賑わう店内をみると安心する。彼の名を冠したチキンを頼み、料理が来るまで店内をウロウロとしながら過ごす。お店の壁にはこのダイナーの昔の姿が写真になって壁に飾られていた。昔のメニューも額装されていた。オールディーズが流れる店内は、内装は新しくなっても来てる人たちも空気感も昔のままの様だった。冬は観光できる時間が短いけれど、こうして旅を早めに切り上げることで夕食を食べる時間ができている。「作りすぎてしまったんだけど、食べきれるかしら?ごめんね〜」と言われながら太っちょの大学生くらいの女の子のウェイターが持ってきたプレートには悪意すら感じる大量に盛られたオニオンリングと、ケンタッキーの1.3倍は大きそうなチキンのピースが山ほど盛られていた。アメリカでは、というよりダイナーではほぼ大盛りを頼んだことは無いのだけれど絶対こういうことになるのは目に見えている。今回は普通に頼んだだけなのだけれど、確実にオーダーの通しミスかいい加減なシェフのせいで僕が苦しめられている。鶏肉はぱさぱさで、オニオンはパリッとしつつも油っこい。むしろオニオンリングというより輪状の脂だ。迷わずお持ち帰り用のボックスをオーダーして明日の昼ごはん用に半分取っておく。明日の昼にはオニオンリングも鶏肉もバサバサのベタベタになっているのだろうけれど、コーラさえ手元にあればなんだって流し込める。ここはアメリカなんだから。

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