SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY31
寒い朝の景色は決まって美しい。アメリカなら尚更だし、旅の最中なら尚の事。珍しく早く起きれた朝は露に濡れた窓ガラスから差し込む燃えるような朝焼けと、地平線からうっすらと差し込む美しい光線を眺めるのが最高に気持ちがいい。霜の降りた平原を照らす淡い光、その真中を伸びてまっすぐと進んでいくハイウェイ11号線。空の色や家の壁のペンキの色が優しいコントラストを作り出す。アメリカのカラーパレットは本当に美しい。
そのまま道を真っ直ぐと進んでいくとトライオンという名前の山間のスモールタウンに着いた。村の入口のには朝が早すぎて開店していない地元らしいお店が数件軒を連ねている。入口付近にある駐車場に見慣れない黒人女性の銅像が建っていたので近寄ってみると、その女性はハープを持っていた。足元にある石碑を見てみると「Nina Simone」と書いてあった。この街はどうやらニーナ・シモンの生まれた街だったらしい。予想外の出来事に嬉しくなってしまい、山間のこの小さな街を車でぐるぐると回った。道は細くうねっていてもし対向車がきたらすれ違えないだろうと思う。山の斜面に建てられた家々の隙間を縫うように道路が走っているためとても走りにくかった。村の中腹に彼女の家はあった。これまで見てきたどのアーティストよりも小さく質素な家だった。これまで見てきた数々の芸術家の家は質素ではあったけれど決して貧相ではなかった。家も大きくどこか気品が感じられる家屋であったように思うが、彼女の家は質素で、そして貧相だった。家の大きさは4m四方程度の三角屋根の平屋で2人で暮らすのにも狭そうだというのに、よくも7人兄弟とその両親が暮らしていたものだと感心してしまう。彼女の家は小さいだけでなく、壁のペンキも剥がれ落ちてところどころ苔やカビが生えているくらいには貧相だった。中は暗くてよく見えなかったが小さな木製のテーブルと椅子が数脚置いてあり、窓ガラスは曇っていて、シンプルなカーテンが掛かっていた。もちろんその家の中にピアノを置くようなスペースはなさそうに見えたし、そもそもピアノを買うようなお金のある家にも見えなかった。彼女の歌はジャズを聞き始めた頃にCDを借りて初めて聞いた。その力強い歌声に魅了されるのには時間はかからなかった。最初はジャズ・シンガーだと思っていたけれど、元々はピアニスト、それも黒人女性初のコンサートピアニストを目指していたくらいピアノが弾けたというのもこの時調べて初めて知った。力強い彼女の歌声やメッセージがこの場所から生まれたということは純粋に驚嘆する事実だった。ジャズには明るくないけれど、彼女のことは好きで折に触れて何度も曲を聞いたし、レコードも何枚か持っている。特に『ニーナとピアノ』と題された彼女の弾き語りのアルバムは繰り返し繰り返し聞いた。このアルバムの曲を調べているうちに彼女の生い立ちに触れることになるのだけれど、彼女のこのアルバムはほとんどカバーアルバムであることを知った。「Nobody's Fault but Mine」はレッド・ツェッペリンの曲だし、「Everyone's Gone to the Moon」はジョナサン・キングの曲だった。それがなぜなのかというのは彼女が学費を稼ぐためにナイトクラブでポップスを歌うこと(ピアノの演奏ではなく)を強要されていたということから始まっていた。彼女のクラシックの素養と音楽の才能がポップスを更なる高みへと引き上げ、更には彼女という存在が全米中に知られるきっかけになった。僕達が今の音楽をきいて新しさを感じることがあるように、当時のアメリカにおいて彼女の歌うポップスは黒人の持つ音楽性とクラシックの持つ歴史とポップスの持つ新しさの融合した新しい音楽として受け入れられた。そこに磨きをかけたのが彼女の類まれなる音楽的な才能であり、そのような完成度が高い優れた新しい音楽はそれまで存在していなかった。僕が彼女の歌を聞いたとしても「とてもいいジャズだ」と思ってしまうけれど、目線を変えれば目玉が飛び出るくらいには驚きのあるものだったに違いない。古きを温めて新しきを知るとはよく言うけれど、彼女の音楽はまさにその言葉の意味するところそのものだったと思う。そしてそのような音楽がこんな場所から生まれていたなんて全く予想とは違うものだった。さきほどから貧相貧相と彼女の家を貶めるようなことばかり言っているけれど、そうした背景を頭にいれて彼女の家を見ていると何か不思議な神々しさというか、美しさが立ち上ってくるように見えることも不思議だった。
その街から少し離れたところにはアッシュヴィルという名前の街がある。グレートスモーキーマウンテンの麓にあるこの街は『アメリカ61の風景』でも紹介されていた街だった。どんな街だろうと思って少し街の中を車で走っているとポートランドと似た雰囲気がどことなく感じられることに気がついた。ガスを入れるために車を停めると遠くからスケートボードを持った男性が近づいてくる。「やぁ!」と気さくに話しかけてきたので少し会話をしてみると、この街にはスケートパーク2箇所ほどがあることを教えてくれた。スケートパークにいくと若い男の子達がバンクを攻めては転び、BMXで派手にジャンプしては痛々しく落下して、を繰り返している姿が見えた。僕は鉄柵の向こう側から彼らを見下ろす形で写真を撮っていたのだけれど、こちらに気付いた彼らは僕に向かって手を振って「ヘイ!メーーーーン!」と威勢よく呼びかけてきた。街を歩けばヒップなレコード屋に素敵なブックストア、ヴィーガンフード専門のカフェにアンティークショップ。どの店にも一捻り加えられた個性があるのは本当にポートランドに似ているところだった。数時間しかいられなかったけれどこの街のことが大好きになったし、きっと住みよいまちなのだろうと思う。
そこからチェロキーの街を通りグレートスモーキーマウンテンへと向かっていく。チェロキーハイウェイという田舎道を通ってその街まで行くのだけれど、眺めのいい高原の間を走る小さな道路だった。チェロキーというのはジープの型の名前として覚えている人も多いだろうが、その由来はネイティブアメリカンの中でも有名な部族の名前から取られている。アメリカをここまで旅をしてきて思うけれど、ネイティブアメリカンの名前が残された地名は実に多い。アルファベットの綴や音に違和感がある(印象的とも言える)としたら、それはまず彼らの付けた名前が残っていると思って間違いがない。ミシシッピと言う川の名前もそうだし、アイオワもオクラホマもそう。アメリカに入植してきたヨーロッパの人間が勝手に名前を付けて土地を呼び始める前は全てこの広い大地はネイティブ・アメリカンが名前を付けて暮らしてきたものだ。今ではどこがもともとネイティブ・アメリカンの土地で、どこがそうでないのかなんて気にしている人はそういないだろうけれど、ふとした瞬間に、街の名前や道路のサインを見た瞬間に、ここがネイティブ・アメリカンの暮らしてきた土地なんだということに気が付かされる。たまに見かけるインディアンリザベーションもそうだ。チェロキーの街がどのような街かといえば、ネイティブ・アメリカンの伝統や文化が歪な形で商業化されたなんとも言えない街だった。日本で言えばアイヌの里のようなもので、取ってつけたような伝統の品や文様がそこらじゅうにある。ネイティブ・アメリカンの暮らす街のなかでここまで発展している街を見たことがなかったけれど、これは居住地を制限されて押し込められた彼らの暮らしの中ではかなりまともな方だと思う。どこへ行っても彼らは静かに小さな露店でお土産物を売り、お土産物の入った大きなバックを抱えて電車に乗り、枯れた土地で作物や家畜を育て、ボロボロのトレーラーハウスで暮らしていかなければならない状況に追いやられている。このにわかに感じられる活気も、どこか虚構のように感じられてしまうのは穿った見方過ぎるだろうか。
グレートスモーキーマウンテンは全米一位の来場者を誇る国立公園らしいのだが、それは入場料がかからないせいもあると思う。そう聞いていたからこの山を超えるのに大渋滞に巻き込まれることも覚悟していたがそんなことは起きなかった。なぜならこの国立公園で一番の見所とされる紅葉は既に終わっていたからだ。もしかしたらまだ紅葉がのこっているのではないか、と思ったけれど無残にも葉っぱはほとんど散って裸の木立が延々と並んでいた。もちろんそれでもとても綺麗なのだけれど、どこか腑に落ちない感触は残る。ラジオからは懐かしい曲が流れ始める。クイーンの「Bicycle Race」ボウイの「Modern Love」。どちらも懐かしい曲であると同時に無性に焦燥感を煽ってくる。山道を曲に合わせてグイグイと進み、あっという間にこの裸の木だらけの深い森を抜けた。グレートスモーキーマウンテン周辺の街はリゾート化されていてどこかおかしい。熱海のような感じといえばわかり良いだろうか、特にギャトリングヴィルという街は一等おかしかった。グレートスモーキーマウンテン特需というのがあるのかわからないけれど、いい感じにセンスのない発展を見せていた。大きな道路の両脇には仰々しいネオンのダイナーやモーテルが並び、とりわけ目立っていたのは大きなカジノとビルにしがみつくキングコング。遊園地にラブホテル。なぜ自然を楽しむべき場所でこのような組み合わせが生まれてしまうのかわかってしまうだけに余計悲しくなってしまうのだけれど、それもそれでアメリカらしくもあり、見ていて愉快な気持ちにもなる。
テネシー州ナッシュビルまで一気に下っているうちにあっという間に夜になる。眠りにつこうと思ったトラックストップではパトカーが巡回している。寝る準備を整えていると警察官に「ここは私有地だから早く出ていかなきゃダメだよ」と優しく即されて、仕方がなく夜の街を車で徘徊する羽目になってしまった。ナッシュビル近郊のトラックストップやトラベルストップには須らくパトカーが停まっている。少し車内から様子を伺っていると、目の前で白人のカップルが車のボンネットに押し付けられながら車内の強制捜査を食らっていた。このナッシュビルと言う街は治安が良いとは言えない、というか郊外に関して言えば治安は良くないのだろう。カントリー音楽の街として有名なこの街を楽しめそうな雰囲気はなかった。強制捜査が終わり、手錠を後ろ手にかけられた若いカップルを心のなかで見送っているうちに深夜2時をまわる。寝るタイミングを完全に逸してしまったが、このままでは堪ったものではないと思い、そのパトカーが消えたタイミングで車をできるだけ見えない位置につけ、毛布を深くかぶり、窓を衣類で見えなくなるように塞いで眠りについた。あとは警察官に補導されないように神に祈りを捧げるだけだった。