ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY44

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長かったアメリカ全土を巡る旅の最終日の朝を迎える。もうオレゴンには冬が訪れていて、モーテルのドアを開けると駐車場にも、44日間乗ってきた僕のジープにも雪が積もっていた。荷物を整理して車に積み込む。社内に置きっぱなしにしていたコーラの缶は凍っていた。ハンドルは氷のように冷たい。エンジンをかけてしばらくじっとする。エアコンから吹き出る風が暖かくなり、エンジンも暖まってきた頃合いを見て車を出した。『スタンド・バイ・ミー』の収録の殆どが行われた街、ブラウンズヴィルと言う名前のオレゴン南部の小さな街を目指して進んでいく。山道は昨日同様雪が積もり、道路表面は薄っすらと凍っているのが見える。メインのハイウェイを選んでいても山の中だけはリスクを回避しようがない。だいぶ速度を落として慎重に、慎重に進んでいく。森の中に差し込む朝日と、それを受けて輝く湖の水面を横目に見ると緊張もだいぶ和らぐ。集中が途切れないように、短い休憩を何度も挟みながら山道を進んでいった。山の空気は冷たくて澄んでいる。その中で思い切り背伸びをして、眠気を覚ます。昨日はなんだか眠れず、ぐだぐだと思いを巡らせているうちにいつの間にか深夜もとうに過ぎてしまっていた。毎晩続けていたその日感じたことや行った場所のメモ、写真のデータのバックアップにカメラの充電、荷造りや旅程の確認作業ももうすることもなくなる。それは自分にとっての人生をかけた(と言ってしまっては言いすぎかもしれないが)旅がもうあと十何時間後には終わるであろうということを示していて、それを受け入れたくなかったということなのかもしれない。だから、この険しい山道のドライブも、ブラウンズヴィルまでの退屈な田舎の町並みも、流れる時間と景色すべてがかけがえのないものに変わっていく。

ブラウンズヴィルの街は今まで訪れたスモールタウンとほとんど何も変わらないように見えた。街の入り口にあったガソリンスタンドに車を停めてちょっとしたお菓子をキオスクに買いに行く。キオスクの入り口にはいかついジャケットを着た太い腕のスキンヘッドのおじさんや、ブロンドでしわくちゃの顔をしたおばちゃん、そんないかにも田舎っぽさのある人達がタバコを吸いながら談笑している。「スタンド・バイ・ミーのロケ地を探しに来たのですが」とレジのおばさんに尋ねると、街の中心にある資料館に行くと良いと親切な口調で教えてくれた。車を街の中心の方へと走らせると、唐突に映画に使われたあの半円状の橋脚が見える。あまりにも自然に、そして突然その光景が現れたものだから、すぐに車を降りて橋の上を行ったり来たりした。本当に何の変哲もない、どこの街にもありそうな光景だったけれど、なぜ自分はこんなに特別な感覚がするのかが不思議だ。その橋をくぐると時間が逆行していくような、自分の感覚が若返っていくような気がする。自分の視界が不思議な見えないベールに包まれて、景色が色褪せて映画のフィルムの色彩になっていくようだった。中心の通りを歩き、おそらく街に一軒しかなさそうなカフェに入る。お客さんは全員地元の人達で店員ともお客さん同士でも顔見知りのようだった。レジに並べば客同士で会話が始まるし、注文の仕方もやたらとフランクだったりする。注文したランチスペシャルと題されたスープとハムサンド、コーヒーのセットは絶品で、さくさくとしたパンと塩味がうまい具合にきいたハムがいい塩梅に組み合わされていた。レジにすがるように背伸びをする子どもたちや、店の端の方に座った親子。そうした人たちが思い思いに過ごすこの空間には、このスモールタウンの空気と時間が流れていた。店内の内装も古い家屋を利用していて木のぬくもりが暖かく感じられる。クリスマスまであと2週間を切っているので、手作り感のあるデコレーションがあちらこちらに施されている。もちろん本物のクリスマスツリーも部屋の角に置かれている。あまりにもその光景が完璧すぎるように思われて、きっと何かのクリスマス映画で全く同じようなシーンを見ていた気さえしてくる。それくらい素晴らしく愛らしいカフェだった。

ブラウンズヴィルの資料館にいくと、そこは昔の雰囲気を残したビジターセンターだった。正式にはリン郡の美術館という立ち位置らしい。小奇麗な佇まいの素敵庵なおばさんが元気に遠くから出迎えてくれた。僕が日本人たとわかると日本語のパンフレットを渡してくれた。聴いたところによるとこの街には年間150人くらい日本人がくるらしく、その全てがスタンドバイミーの映画スポット巡りを目的としている。単純計算で僕のような人間が3日に1人は来る計算になる。その人達のためにこうして日本語のパンフレットを用意してくれているなんて、なんて優しい人達なのだろうかと思う。Google翻訳でも使ったような、ちょっとだけ不自然な日本語で書かれた素朴なパンフレットはこれまで見てきたどのパンフレットよりも胸に響いた。子役として出ていたリバー・フェニックス、キーファ・サザーランドら子どもたちはこの街の人気者でみんなに愛されていたこと、パイ食い競争のシーンでは街の人たちが進んでエキストラを買って出ていたこと、今でもそうした映画に出た頃の思い出を町民同士で語らうことがあるということ。その文章を読んだ瞬間に涙が溢れそうになった感覚を今でも覚えている。文章からここまで情景が想起され、暖かさが感じられたのは自分にとっては初めてだったかもしれない。パンフレットの表面には子どもたちの顔が、そして中には街のマップと映画に使われた場所が書かれていた。その一つ一つを時間をかけてゆっくりと巡っていく。パイ食い競争をした広場は当然今ではなにもないただの公園だった。誤って銃を打ってしまうバーの裏手や、レンガに書かれたコーラの壁画は今でも当時のまま残されていた。ツリーハウスは既に撤去され、街のメインストリート脇にそのレプリカが設置されていた。僕がパンフレットを手に持ってうろついていると街の人がたまに声をかけてくれて、目的とする場所を教えてくれる。警官や消防士のような人たちも、僕のような観光客を相手にするのに慣れているのかもしれない。一つ一つの場所を巡って思うのは、この街の雰囲気や人々の暖かさは映画に映り込んでいるということだった。この都会から遠く離れた小さな町でさえ、時の流れによって変わってしまう場所は当然ある。しかし人々の努力によって残されている場所もあれば、今も昔も変わらずに使われている場所もたくさん見つけることができた。こんなに狭い場所であの映画が撮られたもいうこと、今でもその片鱗を残していることに嬉しくなる。その瞬間にこの街の全てが美しく見えて、何気ない光景すらも全て記憶に残しておきたいと思った。この日感じたことがこの旅で一番の感動なのではないかと思う。もしかしたら、アメリカで一番の光景は自分が暮らしていた場所から一番近い場所にあったのかもしれない。

昼すぎにこの街についたのだけれど、気づけばもう夕方になっていた。名残惜しかったけれどブラウンズヴィルの街をあとにしてポートランドへと向かう。5番線をまっすぐと北上する。眠気覚ましにラジオをかけるとアメリカのポップスか流れてきた。それが無性に退屈な田舎道の夕焼けにマッチして、これがきっとアメリカの風景の一部なのだろうと思った。毎日同じような曲がかかり、同じ道を同じ時間に通る。昔から変わらず続いているであろうその時間の流れを、アメリカ人でもないのにやたらと懐かしく感じる。日が沈んでいく。サインに書かれているポートランドへの距離が減ってくる。旅の終わりが近づいてくることを改めて実感する。夕焼けに染まるハイウェイの景色を見れるのもこれが最後、少なくとも自分の人生の中でしばらくは見ることはないだろう。あれほど好きだったポートランドへ帰ることが少しだけ残念で、この退屈な風景がいつまでも続けばいいのにと思う。

ポートランドに着く。見慣れた風景の中に安堵感がある。街を少しだけ歩いて写真を撮っているとまた旅が続いているような気がした。レンタカー屋の受付のお兄さんが「ワオ、だいぶ旅をしてきたみたいだね」と驚いた様子で僕に話しかけてきた。「僕も昔アメリカを一周してきたけれど、そのときは11000マイルだった。でも君は20000マイルも走ってきたのかい?!」その時まで僕は自分がどれくらいの距離を走ってきたのか数えることを完全に忘れてしまっていたのだけれど、自分が予定していたよりもだいぶ長い距離を走っていたことに気づかされた。前回の旅と合わせてだいたい35000マイルほどだろうか、キロ換算で約56000キロ程度走ったことになるようだ。地球一周分の距離が約40075キロと言われているから、いつの間にかその距離をゆうに超えるほどの距離を走り続けたことになる。しかしアメリカを知ることにおいてはそれは十分な距離ではないらしい。長田さんは20万マイルを走り『アメリカ61の風景』を書いたが、僕はまだその1/4ほどしか走っていない。そして知識や情景描写をする力は1/10000にも及ばない。僕の旅が長田さんや駒沢敏器さんのエッセイ、そしてたくさんの映画や写真、映画や音楽によって導かれ作られたものだけれど、それでもまだまだ足りていなかった。旅を終えてまず考えたことはそのことで、何をどこまで知れば彼らのような瑞々しさのある言葉で体験を語り得るのか想像もつかなかった。確かに謎の達成感はあったけれど、それ以上にもっとうまく旅ができたんじゃないかとか、既に旅の序盤で訪れた場所や考えたことについて忘れているんじゃないかとか、そういう不安や迷いがたくさん出てきた。もし、またアメリカに来ることがあるとしたらそのときはまた性懲りもなく車を借りて、行ったことのない場所や、新しくできた行くべき場所、今回行きたかったけれど行けなかった場所を巡って、この迷いや不安をどうにかするしかない。でも今日だけは、無事に死なずに帰ってくることができた自分を褒めてやることだけはできそうだ。

ポートランドでホームステイしていたハリウッドの家の近所に「山東(Shangdong)」という名前のおしゃれな白人のウェイターしかいないめちゃくちゃヒップなチャイニーズのレストランがあって、車を返す前にこの店でお気に入りの麺料理を食べた。普通盛りでもかなり量が多いから、必要以上にお腹がいっぱいになってしまうのだけれどなぜだかこの店に通うのをやめることができなかった。やはり見知った店でおなじみの味を感じると安らぎと幸せを感じる。これまで見ていたスモールタウン然とした雰囲気からは遠く離れた、年寄りも若者も、白人も黒人も様々な性別の人達も混じっているこの街らしい時間の流れ。常に不安と興奮、そして文化の違いに支配されていた旅の間とは違う感覚がある。お腹が満腹になると先程まで感じていたちょっとした後悔はどうでもよくなって、とにかくすぐにベッドに横になりたくて仕方がなかった。寝る前にこの日感じたことを軽くメモに残すと同時にベッドにダイブ。旅の総括はいつかまた。友達にもいつかこの旅の話ができたらいい。とにかく、とにかく疲れた。

hiroshi ujiietravel