ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY43

DSCF4068.JPG

今日が実質最後の旅の日になるだろう。明日、44日目でポートランドへと帰らなければいけないことを考えると、今日を思い切り楽しむことがアメリカ最後の思い出になりそうだ。オレゴンが舞台となった有名な映画はいくつかあって、名前を聞けば必ず嬉しくなってしまうようなラインナップだ。『グーニーズ』に始まり、ガス・ヴァン・サントの『パラノイドパーク』『マイ・プライベート・アイダホ』『エレファント』『マラノーチェ』、『カッコーの巣の上で』、昨年『Certain Women』を監督したケリー・ライカートの『Old Joy』にはポートランドの憩いのスポットであるフォレストパークが使われているらしい。そして何よりも、おそらく地球上の9割以上の人間が知っているであろうベン・E・キングの曲で始まる『スタンド・バイ・ミー』がオレゴンで一番有名な、そして人々の心に残っている映画ではないだろうか。『スタンド・バイ・ミー』のことを考えていると昔のことを思い出す。幼いころに金曜ロードショーで見たこと、風邪をこじらせたときに親がビデオを借りてきてくれて、布団にくるまりながらその映画を見たこと。それからもう長くこの映画を見てはいなかったけれど鮮明ではないにしろ「子供が死体を探しに、線路の上を走ったりしながら冒険する映画」である思い出すことができたし、パイ食い競争のシーンや沼地にハマって身体がヒルだらけなるシーンだとか、部分部分でやけにくっきりと記憶に残っているシーンがある。それは子供の頃に見た原風景のように自分の中に染み付いているようにも今になって思う。この映画はそのようにして世代から世代へと受け継がれていくのだろう。

『スタンド・バイ・ミー』のロケ地はオレゴン南部からカリフォルニア北部にかけて点在していて、この旅の残りの時間は許す限り彼らが辿った足跡を追おうと決めた。レディングの街のトラックストップから北上するとわりとすぐに、「電車に追いかけられて走るあの鉄道橋」にたどり着いた。山の中にあるキャンプ場の奥の方にひっそりとその橋はあって、その鉄道橋自体は鉄格子とブロックで誰もが入れないように閉鎖してあった。ただしこの橋において「入るな」というアフォーダンスはそのまま「入れ」を意味するようで、設置された大きなブロック塀にはここに訪れたロードトリッパー達のサインがひしめくように書いてあった。もちろん鉄格子の向こう側に見える、今にも壊れそうな鉄道橋の上を走る線路にも石で刻み込まれたサインやここに訪れた日時がたくさんあった。この際僕も行ってしまおうと思ってフェンスを超えて線路の上に躍り出ると思っていたよりも遥かに怖い。一歩踏み外したり、物を落としてしまったらそのまま100mほど下に流れる川に真っ逆さまに落下していってしまう。橋脚自体はそこまで細くはないが、20センチくらいの幅の渡り板の隙間からは100m下に流れる川が見える。老朽化で封鎖されているだろうに、自分の足が板を踏み抜かないように抜き足差し足で一歩ずつ進んで橋を渡っていく。冬の寒さも相まって線路には霜がおりていて一層滑りやすく、これは地味に命がけの所業になってしまった。橋の上から見える景色はとても綺麗だった。眼下には川が流れていてたいそう恐ろしいのだけれど、顔を上げれば青々とした山並みと美しい湖がみえる。湖にはボートで一人楽しそうにくつろいでいるおじいさんが点のようになって見えた。日差しは暖かく、橋についている霜が徐々に溶けてきている。一歩を踏み出すと老朽化した橋がギチギチと音を立てる。振り返ったり、進んだりしながら、ゆっくりと橋をわたった。映画だとはいえ、この端を走って渡るのは相当に度胸がいるはずで、それが映画の中で更に大人になっていく彼らの象徴として描かれていたのだと気づくことができた。橋の上に吹く風は冷たくて気持ちが良かった。聞こえてくるのは風が揺らす木々のさざめきだけだった。耳を済ませているとどこかから汽車の音がきこえて来るような気がした。

もしこの旅を振り返った時に一番やばい瞬間があるとすれば、この橋からベンドというオレゴン東部の街へと抜ける山道のことを思い出すのかもしれない。もう旅も終わるし、あとは無事に帰るだけ。自分は旅になれているからもう何が起きても心配ないと高をくくっていたフシがどうやらあったようだ。クラマスレイクの脇を通って、カスケード山脈を通りベンドへといこうと思っていたけれど、このカスケード山脈を甘く見すぎていた。端的にいえば雪道が深すぎて真剣に死ぬかもしれないと思った。低地から山に向けて進む度に徐々に高度が上がってくる。当然人里離れた場所だから周りの景色はどんどん田舎に、そして自然へと変わっていく。道路は徐々に細く一本道になり、そしていつしか道路には白い部分が目立ち始めた。それに気づき始めた頃には「まあ晴れているから大丈夫だろう」としかおもっていなかったし、車の轍が付いているから最悪スタックしたとしてもなんとかなると思っていた。車を走らせるにつれて、その轍は徐々に減ってきて、そして道路には黒い部分が見えなくなった。つまり雪に覆われてしまった。たまに見える黒い部分は「ブラックアイス」と呼ばれ、溶けた雪が再度凝固し凍りついたときに起きる現象で、最も危ないと言われている。氷の道を恐る恐る進んでいき、40センチは積もっているだろうという山道を50マイルかそれ以上も走り続けた。自分以外にはもはや誰もこんな道を通っている人間はいなくて、ふかふかに積もった雪には動物の足跡以外には何もみつけることはできなかった。車は大きく揺れ、ノーマルタイヤは横滑りをするしハンドルは取られるしで全然自由が効かない。もしこれでタイヤが深みにハマりでもしたら、通信手段が断たれている(電波なし)ことも考えるととても危ない状況だと悟った。しかしながら僕に出来ることといえば必死にハンドルを握ってゆっくり走り続けることと、恐怖感で迫りくる便意を必死に堪えることだけだった。もし一度でも車を停めたらそれこそ二度と走り出せないような気がしていたからだ。この恐怖感は正直なところ初めて車を運転したアラスカで感じた恐怖感よりも大きかったかもしれない。予定では2時間もあれば辿り着けそうだったベンドの街だったけれど、蓋をあければ5時間以上もかけてしまっていた。戒めとして、12月に入ったらノーマルタイヤで絶対に山へ行ってはいけないことを覚えておこう。

ベンドの街には初めていったけれど、既にこの街が最高であることは知っていた。友達からは「小さなポートランド」という評判を聞いていたし、実際少し町中をドライブしただけでもその雰囲気の良さは伝わってくる。もう夕暮れ時だったこともあって、いい感じのモーテルを予約し荷物を入れる。いい感じのレストランでも探そうかと車を走らせた矢先、だいぶ賑わっている開けたスケートパークを見つけた。僕がカメラを持って車を降りるとどこからともなくスケーターが近づいてきて「Sup, man!」と声をかけてくる。スケートパークにいた人たちはかなり上手な人が多くて、階段やスロープに向かって次々とトリックを決めていた。さり気なくカメラを向けると恥ずかしそうに眼を反らしつつもトリックを決めてくれるところがなんともこの街の人々の気質の良さを表している。その向かい側にあるバスケットコートでは5on5のガチな試合が繰り広げられていた。そのスケートパークのもう少し奥のところに、古くて若干小さめの別のスケートパークがあった。そちらはキックボードを持ったキッズのたまり場になっていて、気づけば彼らと日没までずっと遊ぶことになっていた。好奇心が強いのだろうか、気さくに話しかけてきてくれて、こちらの話も聞いてくれた。「俺のことを撮ってくれ!」から始まり「今からジャンプするから、トリック決まったふうな感じで撮ってくれよ!!」という無茶難題も、それに対して笑っていると向こうもおちゃらけてふざけたポーズをしてきたり、そんな瞬間を写真に撮っては見せ、撮っては見せを繰り返していたのだけれどとにかく楽しかった。本当にかけがえの無い瞬間だったと思う。「こんなジャンク野郎達とっても仕方ないぜ」と言いながら颯爽と登場したのは少し年上の、おそらく中学生高学年くらいの相当に格好いい見た目の少年だった。このスケートパークで唯一キックボードのトリックらしいトリックを決められるのは彼だけで、この場所においては神のように崇められていた。名前を聞き忘れてしまったけれど、彼ともよく話した。毎年東京に行くことや、自分の親友が日本人であること、このベンドという街のことや、かつて彼が住んでいたポートランドのこと。日が沈んでしまって彼の顔が見えなくなるまでだいぶ長いこと話していた。その少年の写真を撮り忘れたことが気がかりだけれど、そんなことはどうでもよかった。毎年東京にくるといっていたからもしかしたらまた会えるかもしれない。この旅の最後に出会った彼らの輝いた表情や笑い声はずっと忘れないだろう。キッズ達は日が沈み、時計が5時になると蜂の子を散らすようにあっという間に帰っていった。気温も低くなり、風は完全に冬の風だった。

まだお腹がそこまで空いていなかったので、近場でレコード屋を探して入った。ダウンタウンのエリアの脇にあった小さなレコード屋に入ると、そこもそこで本当に最高だった。まず何が最高かといえば店員の女の子がめちゃくちゃ綺麗だったということだろう。僕がカセットテープをかちゃかちゃと見ていると足元に何かの気配がした。それは可愛らしいもふもふとした猫だった。その猫は僕の足を引っ掻いたり登ってきたり、とにかく注意を引こうと必死だった。たまに撫でると横になってお腹を見せる。撫でまくりたいことはやまやまなのだけれど、猫アレルギーを患っている身としては非常に辛い、猫アレルギーのジレンマ的な状況に追い込まれていた。猫はレコード棚の隙間の自分のお気に入りのスポットにするすると登っていき、レコードを聴きながら眠りについた。カセットテープを両手にかかえきれないくらい、おそらく15本かそれくらい買った。この店で見つけたもので一番うれしかったのはスタンド・バイ・ミーのサウンドトラック(1ドル)で、このテープを見つけられたのは偶然ではないような気もしたし、自分にとっては特別な瞬間でもあった。このテープの小さなジャケットに自分が見てきた風景が写っているかと思うと、ちっぽけな1ドルのテープでさえかけがえのないものに感じられる。「今日、スタンド・バイ・ミーの橋に行ってきたよ」と言う話をその店員の女の子にすると、それどこだよ的な反応をされてしまったのだけれど、そこから会話がいろいろと広がった。その子と会話をしていると店のオーナーが戻ってきて、そのオーナーとも同じように話をした。この街の人たちはおしゃべりが好きなのだろうか、そしてあらゆることに対して偏見がなさそうに見える。この居心地の良さはポートランドのそれよりももしかしたら上なのかもしれないと思ってしまう。彼らのオススメだというタイレストランがあると教えてもらったので、そこへと向かうために店を出た。寒かったので身体の温まりそうなスパイシーなスープを食べた。

夜、モーテルで煙草を吸っていると明るい月が寒い空にかがやいていて、いつの間にかジープにはうっすらと雪が積もっていた。もう完全に冬だった。旅をしている間に季節は変わってしまったらしい。この旅最後の夜をこの街で迎えられてよかった。

hiroshi ujiietravel