ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY41

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朝からルート66を西へと下っていく。都会とは全く違う荒廃した光景が続く。廃墟や陰鬱とした街が朝日に照らされる様は美しい。いったいこの辺りに暮らしている人はどうやって生計をたてているのか想像が付かない。荒野に放置されたあばら家と、その向かいに置きっぱなしにされているソファに座りながらカリフォルニアの僻地の暮らしに思いを巡らせた。腰を下ろすと積もった埃が舞い上がり、朝日を受けて輝く。こうして放置された家の中にはだいたいマットレスやベッドが放置されていて、金目のものや使えそうなものは何も残っていない。天井からは梁や壁材が折れて垂れ下がり、窓ガラスにはヒビが入っている。なぜか家の庭にこうしてソファが置いてあったり、錆びついて日焼けした冷蔵庫や洗濯機が置いてある。テーブルの代わりに車のタイヤがおいてあったり、ぐらついたスツールや椅子も並べられていたりする。もちろん、壁にはグラフィティが所狭しと描き込まれている。この風景のシュールさや奇妙さというのは心地よい。街から離れすぎてもいず、近すぎない。放置されきっているわけでもなく、人がそこで暮らしていた痕跡が残っている。誰も気にもとめないように見えて、誰かは気にかけている。そんな気がするからだ。もちろん、こんなガスも電気もない場所で暮らすことなんてできないけれど、だだっ広い荒野の真ん中で友達と焚き火でもしたらきっと最高に気持ちが良いだろう。

そのまま西へ向かい車を進めると、ゴーストタウンロードという名前の道を見つけた。この開き直った感じがいかにもアメリカらしい。アメリカによくある道路脇の看板広告のことをビルボードというのだけれど、ここで初めて「OBEY」の本物のグラフィティを見つけることができた。誰も後ろから車で来ていないことを確認して道路脇に車を停めて、フェンスを乗り越えてそのビルボードに近づいた。そのビルボードの近くにはまたも小さな廃屋があり、そこに近づいてみると中には誰もいなかった。ただ、真新しい白いマットレスとビールの空き缶、そしてなぜかコード付きの比較的新しい掃除機が置いてあった。もちろんここに電気が通っているようには到底見えない。もしかしたらあのグラフィティを描く時にここを拠点にしていたのだろうか、とかそんなことを考えながらこの家主が戻ってこないうちにこの場所を去った。更にその近くには「ペギー・スー ダイナー」というドぎつい虹色の色合いの最高な雰囲気を醸すダイナーを見つけた。入り口がジュークボックスの形をしているという時点で間違いは無いだろうと思う。朝ごはんがてらに中に入るとお客さんがぎっしりと座っていて、店員や人々の会話でたいそう賑わっていた。。カウンターの一番端に席を撮り、中を落ち着いて見渡すとこのダイナーが改めてとてもよい空間であることがわかる。おそらくは数十年前から変わっていないだろうメニュー、そしてそこに描かれた軽薄な装いのウェイターのイラスト。そしてそのイラストの装いそのままの格好で接客をする白人のおばちゃん達。エメラルドグリーンをベースに、襟やカチューシャがショッキングピンクで差し色を入れてあるミニのワンピースで、時代錯誤も甚だしいのだけれど、やはり金髪の女性はこうしたファッションはばっちりとキマるようだ。内装はもちろん合皮のボックス席にいわゆるダイナー調のカウンターやスツール、そして床には市松模様が敷き詰められている。壁には昔の店の写真や訪れた人々の写真が額に入れて飾られている。その様子を写真に撮ってたら「日本人にはこれが珍しいのかい?」と隣のおじさんに声をかけられた。おそらくだけれど、アメリカの人たちはこうした空間を日本でいうところの「地元の定食屋」的な感覚で見ていて、取り立てて特別感を感じていないように思える。ちょっと昔っぽくて面白いよね、とは思っているのだろうけれど、僕が感じているような特別な思い入れは特に無いのではないかと思っている。だから、こうした空間がアメリカの人たちで賑わっているとしたらそれは間違いなく料理の味が素晴らしいということの裏返しなのかもしれないと思っている。フレンチフライにソーセージ、スクランブルエッグにビスケット。これがここのベーシックな朝ごはんなのだけれど、摂取カロリー量でいえば僕の一日分に匹敵するだろう。おまけにコーヒーを何杯も飲んでしまう。しかし、ここに来て意外にこのとんでもなく脂っぽくて重たい朝ごはんをぺろりと食べられるようになっている自分がいることに気がついた。約一年かけて、ようやくアメリカの食生活に馴染んで来たのかもしれない。

更にそこから西へと進むと、ヤルモという名前の街につく。砂漠の中にぽつんと現れたスモールタウンで町並みを見る限り決して治安が良いとはいえなさそうな場所だった。明らかに荒廃した街で、軍隊の人たちがたくさん住んでいいそうな街だった。武装したジープやハマーが大通りを行列を成して通っていくのを見たし、軍隊の人たちへのありがとうというメッセージを家の前に掲げる家がとても多かった。町のガススタンドは完全に廃墟になっていて、すこし離れたところに行くとグラフィティを描かれた建物がたくさんあった。そんな街でもスケートパークはあるもので、わりと真新しい小さなスケートパークが公園の脇に併設されていた。そのスケートパークの脇を犬を連れて散歩してるおばさんがいたので少し話す。昔ゴールドラッシュの時に近くの炭鉱/金鉱に出稼ぎに行くのに発展した街だと言っていた。その金鉱がこの街の近くにありドライブしてもいくことができるらしかった。生憎時間がなくてその街には行けそうにない。もし、またこの付近に来ることがあればかつてのゴールドラッシュの名残を味わいにその街へ行ってみたいと思った。街の至る所に放置されているソファやマットレス、古びた車、庭に建てられた小さくて素朴な十字架。それら全てが不思議な美しさを帯びていて、カリフォルニアの僻地の町並みがどんどんと好きになっていった。

更にそこから進んだ場所にあるハーバードという街でとんでもないものを見つけた。今日のメインの目的地であるデスバレー国立公園へと行く途中の道で視界の端に何か異様な物を感じた。ハイウェイを挟んだ反対路線だったので行くのを諦めようかと思ったけれど、5分ぐらい進んだところでどうしても気になって大きく迂回してその場所へと向かった。近づくに連れてその異様な物質が何であるかわかってきた。それは自分が今まで見たこともない規模の廃墟だった。廃墟はその全体が鉄柵で覆われていた。どうにかして近づけないものかとその周りを走っていると、車を停められそうな場所を見つけたのでカメラを持って車を降りた。目の前にあったのは巨大なウォーターパークだった。見に見える範囲全ての建物は破壊され、グラフィティで埋め尽くされていた。高さ10mはあろうかという巨大なビルボードでさえ全てがグラフィティに塗り替えられていた。あまりの規模の大きさに呆然とすると同時に、もしここに誰かが未だに住んでいたとしたら、自分はとんでもない目に遭うであろうことは容易に想像ができたし、誰も助けに来れないような場所だったから逃げ道はなかった。純粋にただただ怖かった。しかしここで何もせずに車に戻ってしまったら、今後一生リスクを負わないことを選択し続けるようになってしまいそうな気がして、緊張感はひたすらにあったし、もしどこかで物音がしたらすぐに走って逃げようとだけ決めて恐る恐る前へと進んでいった。進むにつれて全容が明らかになっていく。異様な迫力をもって迫ってくるこの廃墟のウォーターパークは奇妙な美しさを帯びながら砂漠の陽光の中に佇んでいた。水の枯れた流れるプールや、破壊され尽くしたレジやジュースのサーバー。チケットカウンターもめちゃくちゃだった。入り口のアーチをくぐっているのは僕と乾いた埃っぽい風だけだった。中を見て回るとやはり人がここで暮らしてた形跡がある。トイレやちょっとしたスペースにはおびただしい量のゴミとスプレー缶、ペンキ缶や刷毛が散乱していて、ひょっとしたら中からジャンキーがピストルでも持って追ってくるんじゃないかと思ってしまう。ある建物の脇に天井へと続くはしごを見つけたので登って、このウォーターパークを一望する。風の音以外何も音がしなくて、自分の声も広い地平線の向こう側に伸びていって響いて返ってくることなんてなかった。壮観な眺めは自分が今まで見てきた景色の中で一番感動したかもしれない。それは自分が恐怖を乗り越えなければ見ることができなかった景色ということも大きな理由だと思う。旅をして、リスクを冒さなければ見ることができなかった景色を自分で手に入れることができたという喜びもあった。この廃墟の建物の天井で小躍りをして、疲れたら縁に腰掛けて足を空に投げ出しながら煙草を吸って一休みをしていた。上から暫くこの建物を見ていたけれど、おそらくこの建物には誰も居ないだろうということを確信した。そうすると急に身体の中から力が湧き上がってくる。ふと、後ろを振り返ると更に高い場所に相当な長さのウォータースライダーがあった。といっても滑り台の部分は既になくなっていて、天へと続くように伸びる高い階段だけが残っていた。次の目標はそこだった。手すりはあるものの、踏み外したりしたらあっという間に40m下へと落ちていくことになるだろう。緊張とはやる気持ちを抑えながらゆっくりと登っていった。最上階は高さ的には地上6-70mくらいはあるのだろうか?先程よりも更に高い場所からこの廃墟を見下ろす(鉄柵がなくなっている箇所もあるので本当に注意しないと危ない)。そしてやはり見つけてしまうのは誰かが置いたマットレスと、そしてソファだった。荒野の中に本当にぽつんとおいてあるそれらを見ているとシュルレアリスムのようであり、サミュエル・ベケットの演劇のセットのようだったり、そして本当に世界の終わりと言うか世界の果てと言うか、そんな感じがした。この時のことは生涯忘れないだろうと思う。こんな光景に偶然出会えることなんて自分の人生でもう二度とおこらないだろうから。

デスバレーに行こうとしていたのに気づけばもう夕方近くになってしまった。デスバレーの最寄りの街でガソリンを入れるも、既にかなり値段が高騰してきていることに不安を覚える。デスバレーは夏には気温50度近くまで上がる文字通り死の谷だ。車の故障やガス欠なんて起こしたら遭難したり、熱中症や脱水状態に追い込まれて命の危険性すらありえる。そういう話を旅をした人から聴いていたから、水を買ったり食料を買ったり入念に準備をしてこの死の谷を目指していった。デスバレーまでの道のりは険しいが、その対価を払う価値が十分にあるほどに綺麗だった。道は信号もない一本道で、山の間を縫うように進んでいく。そして道全体が若干の上り坂だから、ガソリンが自分の予想よりもかなり早いスピードで消耗していくことだけが気がかりだった。切り立った岩山に囲まれた砂漠地帯には乾いた風が吹きすさび雲を押し流す。日差しは刺すように強い。巻き上がる砂埃と乾燥した空気、そして低気圧で肺が乾いて頭痛がする。険しく縦にも横にもうねる道をごりごりと進んでいく。気づけば2時間ほど前にいれたガスは残り半分を切り、焦りが生まれる。そんな恐怖に耐えながらひたすらに道を進んでいく。給油が切れそうになったその時、ようやく給油地点を見つけたけれど普段の2倍近いガス代を支払う羽目になった。ガスを一度入れればもう恐怖からは開放され、ようやくまともに景色を見られるようになった。信じられないくらい大きな砂丘や、塩でできた川を見ながら、自分を囲む高い山々が赤く染まっていくのを眺めていた。この頃にはだいぶ気温も下がり、過ごしやすい気候に変わる。何の観光ガイドも見ていないものだから、自分が見ている景色がいわゆる観光スポットなのか、なんでもない景色なのかもよくわかっていないのだけれど、少なくともこの空間の中には美しくないものなんて何も存在していなかったし、そのどれもが死ぬほど綺麗だった。自分の周りに人は誰もいなくて何の音もしなかった。やがて辺りが紫色から青色へ、そして日が沈む間際の深い青色へ変わり、星があたりにちらついて見えるようになった。完全に日が沈むと空には満天の星空が広がった。真っ暗な道の中を走りながら、デスバレーの帰路を進んでいく。暫く自分だけしかいない孤独なドライブが続くと思ったのだけれど、サイドミラー越しにやたら明るい後続車両のライトが見え始めた。しかしそれは後続車両のライトなんかではなく、今からまさに夜空に登ろうとする満月だった。すぐに車を道路脇に停めて(ハザードを点けて)、夜風を浴びながら月を見ていた。こんなに乾いた冬の空気で、そしてこの夜の砂漠という圧倒的な光景の中で月を見れるなんて。

そのあと暫くドライブを続けて、ベーカーズフィールドというカリフォルニア南部の中規模の都市でガスを入れた。ついでにIn-And-Outバーガーのドライブスルーに15分くらい(20人待ちくらい)並んでシェイクとポテト、そしてダブルダブルのバーガーを注文。この甘美な甘さと圧倒的な肉汁、そしてフレッシュな野菜の水分を補給することで自分自身の細胞が活性化されていくことを感じる。脳内麻薬が分泌され無限に起きていられそうな気がしてくる。その勢いそのままにフレズノの街のトラックストップを目指して車を走らせた。高速道路に乗って暫くすると車から異臭がする。エアコンを切って様子を見てみるも、まだ据えたような匂いが車からする。もしかしたら自分の体臭がついに世紀末の様相を呈してきたのかもしれないと思い、窓を開けてみるとその理由がわかった。おそらくこの匂いは先日の山火事によっておこされた化学物質が空気に溶け込んでいる匂いだった。そしてその当時も、未だに消火活動は続けられていた。その科学的な匂いが車のあらゆる隙間から入り込んできていたのだった。この地味に嫌な匂いが自分の体臭でなかったことに安堵しつつも、このエリアで暮らす人々にとっては健康被害的な面でも精神的なストレスの面でもとても大きなものになるだろうということは予想がついた。フレズノの街のトラックストップに着く頃には僕の鼻がその匂いに慣れてしまったのか、実際に匂っていないのかはもうわからなくなってしまっていたけれど、もうそんなことも気にならないくらい疲れていて一瞬で寝てしまっていたようだった。この日は600マイル(1000キロ)くらいドライブしていた。

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