ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY27

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マイアミ付近のパイロットトラベルセンターで見た東海岸の朝焼け。「オーバーナイトステイは禁止!」とデカデカと書かれてはいたものの、ここ以外に泊まれる場所もなく、数時間おきに目を覚まして車を出し入れたりしていたものだから寝覚めは最悪だった。ボーっとした頭で何気なく外を眺めていると地平線沿いから徐々に空が紫色へと変わっていった。そこから30分ほどで劇的に変わる光景に呆気に取られている間に眼は完全に覚める。強い日差しが顔に向かって突き刺さるように伸びてくる。昨日までの嵐はどこかへ吹き飛んでいってしまったように思えた。そこから1号線に復帰して、ひたすら南へと下っていく。道路脇に生えているヤシの木と田舎の風景が朝の気持ちのよい光に包まれているのは素晴らしく綺麗で幸せな気持ちになった。テレビCMや映画、様々なドラマに使われる7マイルブリッジと呼ばれる海の上を走る道路がある。フロリダ南部のキーウエスト諸島をつなぐ道路のうちの一本なのだけれど、それは非常に美しい。空と海以外には何も見えないその道含め、素晴らしい光景をひたすらに眺めながらマイアミから3時間ほどドライブを続けた。

キー諸島の島々に入った時にすぐに異変に気がついた。この島はほぼ半壊状態になっていた。道路脇に積み上げられた高さ3-4mにはなろうかという瓦礫の山。ひっくり返った車、真っ二つに割れたトレーラー、基礎から根こそぎむしり取られてしまったかつて家が在った土台。それらが無残に放置された住宅地。折れたヤシの木。穴の空いた店のサインや、折れ曲がった電柱。フロリダ南部のリゾート地は先日のハリケーンの影響で完璧に破壊されていた。それを見ながら僕は自分が2011年に僕の故郷を襲った津波のことを思い出した。車で地元で被害が大きかった場所を通った時とほとんど同じだった。それくらいに酷い有様で、この島に住む人達の心情は察するに難くない。かろうじて道路が通れるように瓦礫がどけてあったお陰で、僕のような何も知らない旅行者が来てもこうして観光まがいのことができていると思うと感謝の気持ちしかなかった。そんな状況にも負けず、この島の人達はたくましく日々の生活を送っていた。ガソリンスタンドやコンビニ、スーパー、レストランやダイナー。様々な場所で営業が再開されていて、陽気な人々からたくさん歓迎された。キー諸島の島によってその被害状況は大きく違っていて、僕が目指していたアメリカ最南端、ヘミングウェイが過ごしていた場所であるキーウエストは台風の被害なんてなかったかのように見えた。キーウエストは半径3キロもないくらいの小さな小さな島で、車で10分も走れば一周できてしまうくらい小さな島だった。適当に島内を走り回っていると目に飛び込んでくるのは真っ白い砂浜だった。そこで一度車を停めて外に出ると今が夏なんじゃないかと思えるくらいの日差しの強さと熱気だった。水着で海に入っている人たちや、全裸で身体を焼いているおじさんたち、本を片手に寝そべるお姉さん。バンをキャンパー風に改造していたヒッピーのような女性二人組は美味しそうな料理を作って食べていた。「食べていく?」と言われたので、申し訳程度にチョリソーを一本もらって食べていると、2人はそのまま当たり前のように目の前で大麻を吸い始めた。海の色は透明度の高い青色をしていて、いわゆる南国リゾートの海の色をしていた。僕は沖縄にもハワイにもいったことがないからこの時まで本物のリゾート地の海の色を見たことがなかったということに気がついたのだけれど、それはとても普遍的な美しさであるように思えた。リゾートというとどこか拒否反応が出てしまうのだけれど、このビーチに流れている雰囲気は日常そのもので、それはきっとヘミングウェイがこの景色を愛した理由にもなっているのだろう。僕が見ている水平線の150キロ向こうにはキューバがある。この島の雰囲気がアメリカに似つかないのもこの位置と気候によるものだろう。いずれにしても今のところこの島の雰囲気の緩さは僕の旅の疲れを忘れさせてくれた。

島内をぐるぐると周り、適当な場所に車を停めてヘミングウェイゆかりの地を回ってみることにした。32歳から41歳までの約8年間を二度目の妻、ポーリンと共に過ごした家らしく、彼がこの島にいる間に書き上げたのは『キリマンジャロの雪』や『誰がために鐘は鳴る』といった彼の代表作ばかりだ。ヤシの木に囲まれた真四角の形をした緑色と黄色を基調とした特徴的な家はアメリカ式というよりはやはりキューバ的な様式を感じる。2階建ての正方形の家屋にはプール付きの大きな庭、二階は外周をぐるりと回れる広々とした気持ちのいいベランダがついている。どの窓にも緑色の雨よけがついていて、高く育ったヤシの木から落ちる影が涼しさを感じさせた。風通しのいい室内はこのうだるような熱気のキーウェストにあって居心地がよく、観光客がごった返していても暑さをさほど感じない。彼が使っていた書斎や妻と過ごしていた寝室やロビーのソファは今では彼が残した猫とその子孫に占領され、猫屋敷のようになっている。現在では60匹ほどにもなってしまったという猫達のうち半数が6本指の足をもっているのは、ヘミングウェイが愛したスノーホワイトという一匹のメインクーンが多指症であったからだと言われている。人になれきっているこの猫達には一匹ずつきちんとした名前があり、この家を管理している人たちによって丁重に扱われている。こんなに素晴らしい家に暮らしている猫には今まであったことがなかった。庭に備え付けられたプールには1セント硬貨が埋め込まれているのだけれど、ガイドの方いわくポーリンがヘミングウェイに無断で2万ドルを使って作ったらしく、ヘミングウェイが「もうお金がないよ」という意味で未だ乾いていないセメントに埋め込んだものらしい。そのプールは彼がこの世を去り、この家が売り払われたあとも丁寧に管理されていて、まだ建てられたばかりのようだった。綺麗なエメラルドグリーンの水面に日光がきらきらの反射し、庭に映える木々の緑はその美しい水面に写り込んでいる。気持ちのよい潮風が流れている。この一連の爽やかな心地よさはここでしか味わえないものだろう。

ヘミングウェイが足繁く通ったというスロッピージョーという大きなバーが近くにあり、そこで昼ごはんを取ることにした。ニューオーリンズのバーのような佇まいの室内は広くて賑やかだった。キーウェストでもかなり有名な観光地になっているだけあって観光客で賑わっている。昼間だと言うのにバンド演奏やピアノの弾き語りが次々と行われ、時折観客の歓声や拍手が聞こえた。僕は一人で来ていたものだからテーブルではなくバーのカウンターに座ったのだけれどこのエリアは半分くらい地元民の方々が座っているように見えた。ビールのタップの脇には「フローズンダイキリ」というヘミングウェイが愛したお酒を作るための「ダイキリマシーン(そう勝手に呼んでいる)」が置いてあった。半固体状になったダイキリがシェイクを作る機械のよう羽でかき混ぜられている。そのダイキリマシーンには「世界の最果てのバーのダイキリ」と書かれていた。頼んだ代表メニューらしいハンバーガーをちびちびと食べながらこのバーの雰囲気を楽しんでいると、近くのレストランやオフィスの人たちがテイクアウトでいくつもハンバーガーとダイキリを持ち帰りしているのを見かけた。彼が愛したというハンバーガーはトマトソースがたっぷりとかかっていて食べ終わった跡には手も口の周りもベトベトになってしまうものだったけれど、いかにも豪胆な彼が好きそうな素朴なざっくりとした味わいがした。

キーウェストの真ん中には小学校があり、その日はどうやら休みだったらしい。ただ子どもたちが集まるところといえば大きなアメフトのグラウンドの脇にあったスロープだった。偶然見かけたそのスロープの脇をカメラを持って歩いていると「ねぇ!写真撮ってよ!」とヘルメットにキックボードを携えた少年が金網腰に話しかけてきた。「おい!写真家がいるぞ!」と彼が叫ぶと彼の仲間が集ってきた。「これから俺がトリックを決めるから、それを撮ってくれ!」と言うと彼はジャンプ台から高く飛び、空中でボードをくるくると器用に回した。フェンスがなければと思ったのに。こういうストリートキッズの良いところは気さくで自己顕示欲があることだ。そして他人へのリスペクトがある。「旅、気をつけてくれよ!」と言って別れたのがなんだか嬉しかった。ちょうど彼らと別れたあたりで鼻先に雨のしずくが落ちてくるのを感じた。まさかとは思ったが空がだいぶじっとりとした暗さを伴った雲が多い始めている。キーウェストで夕日を見れるかと思ったけれどそうはいかず、行きはあれだけ美しかったセブンマイルブリッジももはや豪雨にまみれて何も見えない。一面灰色に包まれた視界は恐怖でしか無い。一刻も早くこのスコールから逃げ去りたい気持ちで車を走らせているといつの間には朝いたマイアミのほうまで戻ってきているらしかった。マイアミ近郊のハイウェイはこれまで生きてきた中で一番と言っていいほど気性の荒いドライバーしかいない。それはなんとなく映画を見ていたころから薄々感じてはいた。しかしその危険が自分の身に迫ってくると堪ったものではない。こんなに雨が降ってて滑りやすくて視界も最高に良くないのに、そんなに割り込んだりするかよ!レースゲームじゃないんだからと心の中で叫んだりもしていた。ラジオからは地元のラジオDJが流すEDMが流れていた。とにかく流れてくるのはLogicの「Logic - 1-800-273-8255 ft. Alessia Cara, Khalid」だったのだけれど、全く違う意味で「I don’t wanna die!」という気持ちだった。でもこういう曲をリクエストしてくるティーンエイジャーがこの地域のどこかにいると思うとそれはそれでエモーショナルな気持ちにならざるを得ない。なんだかんだこの旅の間にこの曲は200回くらいは聞いているのは間違いがない。そういうときはラジオに合わせて大声で歌う。車に打ち付ける雨の音が酷い調子の僕の歌をかき消していった。マイアミの夜はそういう感じだ。

hiroshi ujiietravel