ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY38

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アラモーサのモーテルはとても素晴らしい場所だった。昨夜も今朝も、気のいいインド人のおじいさんが優しく話しかけてきてくれて、近くの観光地について事細かに教えてくれた。そのどれにもいけないことはわかっているのだけれど、こうした優しさは旅を続ける上ではかけがえのないものだった。朝ごはんつきのモーテルは最高だ。しっかりと椅子にすわってコーヒーやオレンジジュースを飲み、温かいワッフルにバターやシロップをかけて食べるのはすごく久しぶりな気がした。安っぽいワッフルのふわふわした食感とカリカリとした焼き目の部分に感動してしまう。車中泊の生活に慣れすぎてしばらくきちんとした宿に泊まるということをしてこなかったけれど、こんなに身体が軽く疲れが取れるのだったらもう少しお金を払ってでもモーテルに泊まればよかったと思ってしまう。早朝にモーテルの周りを散歩していると風が冷たく辺り一面に霜が降りている。サクサクという音を建てながら地面を踏み抜いていく感覚が気持ちがよかった。

ルート160沿いは美しい山道だった。コロラド州には海以外の自然の絶景が集まっているに違いがない。森林や切り立った岩山に囲まれながらどんどんと西へと向けて進んでいく。途中で見つけた小さな村や街も美しい佇まいで、いちいち降りて写真を撮りたいところなのだけれど、時間がないから泣く泣く諦めて前へと進んでいく。もしいつかまたコロラド州に来ることがあるなら(絶対に来たいのだけれど)、この道をもう一度通ってゆっくりと景色を楽しみたいと思う。メサベルデ森林公園の近くには美しい川が流れていて、その公園への観光客でかつて賑わっていたであろうモーテルや酒屋のサインがとても趣があった。カンザスやネブラスカ、モンタナといったグレートプレーンズの州とは違い、走るだけで絶景を楽しめるのがこのコロラド州の大きな魅力。しかしこうした自然の本当の楽しみ方は眺めるだけでは味わえないこともまたわかりきっていた。道路脇で釣りやキャンプ、バーベキューをしている人を見かける度に、いつかこの地でキャンプをしてみたいと強く思う。この州に来てからまだ二日しかたっていないけれど、やり残したことがたくさん出てきてしまった。

デュランゴというコロラド州南西部の街がある。ここにはシルバートン・デュランゴ渓谷鉄道という名前の風光明媚な鉄道が今でも走っている。山肌に沿って絶景の中を進んでいくこの列車はコロラド州の立派な観光名所の一つとなっていて、シーズンには多くの人で賑い予約を取るのも困難らしい。例に漏れず自分もその鉄道には乗れず、仕方がないのでその線路に沿って車で行けるところまで走っていった。この鉄道を有名にしていたのは「明日に向かって撃て」という古い映画だった。僕はこの映画がとても好きで(というかアメリカン・ニューシネマと呼ばれる類の映画がとても好きで)、映画を見始めた頃になんとなく名前がかっこいいと言うだけの理由でDVDを手に取った。アメリカン・ニューシネマに描かれるモラルもクソもない純粋な悪、それはアメリカの政治やベトナム戦争を通して正義というものが疑わしく思えた時代の反動だった。その悪の描き方は至極スマートでユーモアがあり、そして単純に格好が良かった。この類の映画に憧れているのは悪そうに振る舞うことや横暴に振る舞うことへの憧れではなく、そうした批判的な精神のあり方への憧れだったように思う。そしてそれこそがアメリカらしさなのかもしれない。本質をありのままに描くのではなく、その周縁を描くことによって本質を浮き彫りにし、かつ想像の余地を残すことを同時に行っているかもしれない。悪役がヒーローに見えてしまうということ、ウソのようなストーリーが事実を元にして作られていること、そうした「明日に向かって撃て」に表現されるような一見矛盾に見える設定も、当時の自分にはとても魅力的に映ったしそれは今でもさして変わってはいない。線路沿いを走っていると彼らが実際にこのあたりで列車強盗をしていたのだろうかと思いを馳せる。実際に映画に使われた場所のいくつかにも行ってみたけれど、残っている場所もあれば既に失われてしまっている場所もあった。線路を走る列車と並走してすすんでいくのだけれど、道路と線路が徐々に離れていって僕だけがどこか違う場所へと運ばれていくように感じた。この映画に使われている音楽がバート・バカラックだったこともこの時に知って、アメリカの音楽を知る切っ掛けの一つになったのはだいぶ昔の話。iPhoneにかろうじて入っていた彼の曲を繰り返し聴きながらデュランゴの街の周りをぐるぐるとまわった。

コロラド州の南西部の一番端の部分は「フォーコーナーズ」と呼ばれる一風変わった観光地になっている。コロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、ユタ州の境界が存在する場所で、実際のところは何もない場所なのだけれど記念にと思って道中に立ち寄ってみることにした。その4州の境界点の上にある大理石のプレートには方角と州名が記載されていて、そのプレートの上ではわずかなの観光客達が場所とタイミングを譲り合いながらセルフィーを一生懸命に撮っていた。アリゾナで見たような赤く険しい山に囲まれた場所にネイティブアメリカンの人たちの出店が並ぶ。おそらくは特定の部族が特定の州のエリアにあてがわれているのだと思うけれど、そのブースはスカスカだった。この周囲はまるで世界の果てのような風景なのだけれど、その中にバーベキュー用のピットとベンチが置かれているとリチャード・ミズラックの写真のようにも見えてくる。バーベキューエリアの脇には休業中のアイス屋とタコス屋のフードカートが並んでいる。ここから更に進んでユタ州南部とアリゾナ州北部にかけて広がるナバホ族の聖地、モニュメントバレーを目指す。

モニュメントバレーを目指す道すがら、たどり着くまでに日が沈んでしまわないかだけが心配だった。寄り道をしすぎて到着が予定時間よりも一時間も遅れてしまっていたからだ。それくらいにこの荒涼とした景色は美しかった。真っ赤な砂漠地帯の真ん中を道路がただ一本だけ通っていて、その道路をスピードを上げてどんどんと進んでいく。目に入る全てが綺麗だった。日が傾いてくるとあたりに生えるようにそびえ立っている真紅の岩山に陰影がつきはじめ、旅の初めの頃にみたアリゾナの風景を思い返した。モニュメントバレーまで通じる道はまさに様々な映画や映像で見たそのままだったように思う。もちろん、「フォレスト・ガンプ」もそうだしジョン・フォードが監督した西部劇の数々、「イージー・ライダー」、「テルマ&ルイーズ」、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」。たくさんのアメリカの映画によってアメリカの象徴的な存在であるこのモニュメントバレーは使われてきた。モニュメントバレーという名前を知らなくても、この風景やメサと呼ばれる岩山の形を想起する人は多いに違いない。前から古い車が走ってくるのを見たときには今自分が2017年現在に生きているとは思えないくらいタイムレスな気分がしてくる。目に入ってくるもの全てが太古の昔からあるものだった。モニュメントバレーの一番近くの場所は当然のことながらナバホ族によって管理されており個人の車では入れない。近くにあったホテルの駐車場に車を停めて、そこから日が沈み、月が昇るまでの間、この美しい自然の風景を眺めていた。見るまでは正直何も期待していなかったというか、映画や本で見るそれ以上のものではなく新しい発見が自分にとってないのではないかと思っていた。しかし実際に見てみるとその自分の考えがいかにおごりに満ちていたことだったかというのを実感する。古くからこの地に住んでいたネイティブアメリカンの人たちがなぜこの地を聖地としているのかは体感的にわかる。ここにたどり着くまでに似たような形状の岩山なんて腐るほどあるのに、自分の目の前にある3つの大きな平たい頂点を持つ岩山はとりわけ特別なものだった。それぞれの位置関係、形、月の登り始める位置や周りの他の岩山との距離感、そうした目に見えてわかる要素では説明がつかないような得体の知れない力を感じるのは旅のせいでも長時間ドライブによる疲れによるものでもなく、この場所が特別であることの証拠だった。正直なところ自分がスピリチュアルに目覚めかけていることを本能で感じつつもそれはやばいだろうと思い必死に制止する感覚もあった。日が傾くにつれて赤く染まり、そして青く、暗くなっていくモニュメントバレーは、かつてネイティブの人たちが崇めたというその意味がわかるほどに畏怖が感じられる。月が空に輝き、この世の終わりの様な、いまここで死ねと言われれば死ねるのではないかと思えるくらいの凄みがあった。帰り道は真っ暗な道を進んだが、よく目を凝らすとあたりは絶景が隠されている。うっすらと月明かりに照らされる岩肌や、シルエットだけになった剣山のような岩肌がひたすらに神々しかった。

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