SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY25
この写真を見返して思ったけれど、座右の銘は「It's All Good」にしよう
アラバマといえば日本人にとって馴染み深いのは「アラバマ物語」ではないだろうか。実は洋題が「To Kill a Mockingbird」だというのはアメリカに来てから知った。人種差別が残るアメリカ南部の街を舞台に描かれたこの映画は同名の小説が元になっており、900万部以上をも売り上げたこの小説のお陰でモンロービルというこの小さな町は一躍有名になった。それは作者のハーパー・リーがアラバマ州の片田舎のこの街でその偉大な小説を書き上げたことによる功績だった。ミシシッピ州の北東からアラバマ州へと入り何時間かそのまま南下をしていく。森の中を抜け、こんなところに人は住んでいるのだろうかと不安になるようなくらい閑散とした田舎ともいえない場所をひたすら下っていくと、ようやくその街の名前の書いてあるサインが見えた。街の真ん中には映画の中で使われた裁判所が当時の様子そのままに残り、資料館として使われていた。裁判所を中心に円状に走っているロータリーの周りにしかお店はなくて、2分もあれば一周できてしまうくらいだった。ひと目でその街の全貌が見渡せるくらい小さな街だった。その裁判所に入ると彼女の生い立ちや映画の解説、当時の世相などが緻密に紹介され、観光客として訪れる人達で静かな賑わいを見せていた。実際に使われた法廷は誰でも入ることができた。誰もいない法廷は美しい昼の光が窓から差し込み、静けさを湛えた凛とした雰囲気は高く美しい天井と白い壁に包まれていて、まるで古い教会に訪れたような気持ちがした。一歩足を踏み入れると背筋が正されるような緊張感があり、椅子や演壇に刻まれた傷や古びたアメリカ国旗からはここに流れた時の長さを感じた。日本に暮らしている限り知り得ないであろう、人種差別によって引き起こされる問題について否応なく考えさせられる。僕がこうしてこの法廷の中心に立って当たりを見回すと、かつてそこには引き立てられた黒人の青年がいて、周りには白人の陪審員がいて、そして一段高い演壇には白人の裁判官がいたということがおぼろげながら見えてくるような気がした。本当の意味で僕がそのことについて理解できる日は一生訪れないだろうけれど、過ちを正し罰するためのこの場所で誤った判断が下されたであろうということはたとえそれが映画の中のことであったとしても受け入れがたいものがある。それはきっとそうしたことが事実として起きていただろうことは想像に難くなかったからだった。二階の傍聴席からその法廷を見ていると、ぽつりぽつりと他のお客さんが入ってきた。彼らはみな一様に白い肌をしていた。少なくともこの場所が残されている意味はあって、みな神妙な面持ちで演壇を見つめたり椅子に腰掛けたりして物思いにふけっているところを見ると、考えていることは僕とそうは違わないように思えた。余談だけれど、カポーティも幼いころにこの街に住んでいたらしく、ハーパー・リーとは幼馴染だったようだ。彼の肖像画はこの裁判所のある一室に飾られていた。裁判所から出て空を見上げるとちょうどお昼くらいで、あたりの小さなお店が営業を始めていた。
街からでて更に中をしていくとどんどんとリゾート地の佇まいに変わっていく。見かける街には立派な住宅が立ち並び道路や街路樹も整備されてくる。地域全体が小奇麗になっていく。道路脇の森ではハンティングを楽しむ人達で賑わいを見せている。紅葉と立ち枯れた木々の隙間から差し込む光は筋のように光って地面を照らし儚い美しさがあった。アラバマ南端の街、モビールについた頃には街の様子は大きく変わっていた。みんな半袖で出歩くのもわかるくらい空気はカラッとしていて日差しが強い。これまで見てきたアラバマの街の中で一番大きくて、発展し整備されていた。街はリゾート風の佇まいで、市内ではなにやら大掛かりなパレードをやっていた。街には吹く気持ちのいい風は海の匂いがした。モビールの市街を走るハイウェイはこれまた奇妙な、でも間違いなく最高のハイウェイだった。なぜならメキシコ湾に沿って海の上を走っていたからだ。アラバマから東に向かって伸びるこの道路は、右手はメキシコ湾、左手は湿地帯が一面に清々しく広がる絶景を臨むことができる。高速道路の縁からは強い風よって起こされる高い波が打ち付け、打ち付けというか道路に海水が大量に入ってきてしまってすらいた。そんな道を暫く、暫くと言っても数時間も、走り続けているといつの間にかフロリダ州に入っていた。フロリダ州は南北に長いと思われがちだが実が東西にも長い。アラバマ州とジョージア州の南側に滑り込むようにして入り込んだテトリスのL字ブロックのような形をしているのだけれど、そんなに東西に長いイメージが無かったからだいぶ驚いた。ポートランドから出発して25日、ようやくアメリカの東側までやってくることができた。フロリダ州に来たのだからまず目指すはビーチだろうと思い、さっそく海沿いの街へと向かう。その途中で大きな田舎の交差点があり、その角ではだいぶ大きな規模のヤードセールと、ローカルさが満天のバーベキュー小屋を見つけた。最初はその小屋を写真に撮ろうと思って近づいたのだけれど、バーベキューのスモークのいい匂いが店の前に置かれたドラム缶から匂ってきて朝からほとんど何も食べていないことを思い出した。僕はカメラを持ってうろついていると小屋の中のおばちゃんとおじさんがひたすらに手招きをしてきたので中に入ることにした。陽気な白人のおばちゃんにバーベキューサンドを注文すると「Slaw or a biscuit?」と聞かれた「す、スロー?」と聞き返すと「あんたスローもわかんないの?!コールスローよ!!やだね若い人は!」と笑いながら言われた。僕の後ろで煙草をふかしながら「お兄ちゃんアメリカに来るなら英語もっと勉強しとけ!」と野次を飛ばされ、バーベキューの煙でもんもんとする小屋が少しだけ明るい雰囲気になった。そのおじさんと、その隣に座るおばちゃんがおもむろに悪態をつき始めたと思ったのはなぜだろうと思い注意深く会話を聞いていると、贔屓にしていたラグビーチームがボロ負けしているらし。「あーやってらんねー!」という感じのノリで煙草を灰皿にねじりつけていた。「お前はどこから来たんだ?」「オレゴンのポートランドです」「めちゃくちゃ遠いな、お前は写真家か何かか?」「まぁ、、、あー、そんな感じです」「こんなバーベキュー小屋撮っても仕方ないんじゃないか、海にいけ。フロリダの白くて美しい砂浜に」こういう地元らしい会話ができるといつもとてもうれしくなる。おそらくは毎日見ているであろう砂浜にきちんと愛着を持っているということが強烈に訛った乱暴な言葉に混じって聞こえてくるのがとてもたまらない。やっと出来上がったバーベキューにはなんだかんだコールスローもビスケットもついていて、バーベキューサンドはスモーキーな肉がたんまりと挟まっていた。もうそろそろ日が沈んでしまう時間だったので、小屋にいた愛すべき地元民の皆さんにお礼をいってビスケットを片手に海を目指した。フロリダの海は本当に真っ白だった。今まで見てきたどの海よりも白い。おそらく西海岸の海とは違う成り立ちで砂が構成されているのだろうと思う。風は強かったけれどTシャツでも汗をかいてしまうほど暑くて、今がもう12月になろうという季節であるなんて微塵も思えなかった。広いビーチにまばらに人がいて、みんな水着を来ていたりカラフルなパラソルを開いていたり、ビーチチェアを広げている。誰かの上げていた凧は風にのって100m程も上空に上がっているように見えた。もちろんビーチでは普通に泳いでいる人もいるし、日向に椅子を広げて日光浴をしたり本を読んだり何もしていない人たちがたくさんいて、想像していたフロリダのビーチとはかなり違ったのだけれどゆったりとした時間がとても素敵だった。日が傾くと白かった砂浜は黄色、オレンジと色を変え、日が沈み切る前は美しい青色になった。あたりはだいぶ冷たい風が吹くようになり、少しだけ騒がしかった海辺も静かになった。こんな綺麗な景色を見たあとに4時間も運転してタンパまでいくことなんて考えたくなかったけれど、それを許さないくらいにはフロリダ州は広かった。