SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY13
朝起きるとまず見えるのが車の窓から見える朝焼けだ。外気温との差で窓ガラスが結露していて、その靄越しに燃えるような朝焼けを覗くと今日も1日やっていけそうな気がしてくる。昨日までの遅れを取り戻すために急いで出発する。アルバカーキ周辺、ニューメキシコ州北部のハイウェイは荒野の中を走る一本道。青い空と黄色の大地が続いていて、朝方は空気が澄んでいて気持ちがいい。今日目指すべき最初の街はサンタフェ、アメリカで一番美しいスモールタウンと呼ばれている、建物のほとんどが赤土で作られた特徴的な街だ。その町並みは美しく南米の都市にいるような気持ちになる。車を降りて街を少しだけ歩いたり、お土産物屋を覗いたりするとそれはよりはっきりと分かってくる。街中でも道は細く入り組んでいて人をひいたりしないように気をつけながら慎重に進んだ。あちらこちらにアメリカの様々な場所から来たであろう観光客がごった返していて小さな街が更に狭く感じる。少し息が苦しくなったので郊外にでると、小さなスケートパークで子どもたちが果敢にトリックを決めようと躍起になっていた。学校の先生はサンタフェのことをアメリカで一番美しい街だと言っていたけれど、僕にはもう少し手狭で廃れた町並みのほうが合っているのかもしれない。
そのままサンタフェから少しだけ北上すると、チマヨという街がある。ここに立ち寄った理由はおそらくエグルストンの写真がこの街でどうやら一枚だけ撮られていたようで、地図にピンが落としてあったからだったと思う。この街は割りと有名な街なのだけれど、その理由は赤唐辛子の名産地だからである。全米の赤唐辛子の生産量の9割近くをこの街が占めているらしいし、なによりその品質がいいらしい。遠くからこの小さな何もない街までわざわざ赤唐辛子を買いに来る人もいるくらいだった。事実、赤唐辛子の露天商が通りにいくつも並んでいて、赤唐辛子が1000個くらいついてそうな大きな束をたくさんの人が品定めしていた。この街の美しさで印象に残っているところといえば、少し遅れてやって来た紅葉だろう。住宅街を走っていると黄色や赤に染まった木の葉が青い空に映える。10月も過ぎて紅葉シーズンも終わりかと思っていたけれど、こんな景色のいい静かな街で美しい紅葉を見れるなんて思ってもいなかっただけに、ガソリンスタンドに車を停めてしばらく辺りを歩き回りながらゆっくりとしてしまった。「よう兄弟!」と声をかけてくるのはいかにもガラの悪そうないかにもアメリカ人といったようなおじさんだった。
「何をしてるんだ?こんな何もない街で。」
「特に何も。旅をしているんです。」
「じゃあサンタフェに行くといい、ここはつまらんぞ!ガハハ」
僕は心の中ではこの街はとても美しいと思っていたけれど、このあたりの人にとっては当たり前の光景のようだった。「そんなことないですよ、木がとても綺麗で」と返すと、後ろ向きに手を振ってコンビニの中に入っていった。
この日の次の目的地は、ジョージア・オキーフが晩年を暮らした街アキビュー、そしてもう一つの家ゴーストランチだ。チマヨから車で走ることおよそ2時間、ニューメキシコ州の北部の山間の道路をぐいぐいと登っていくとアキビューについた。途中、くずれかけた教会とそびえ立つ巨大な十字架を見つけ立ち寄ると、その崩れた教会の内部には今でもたくさんの花やろうそく、マリアの肖像などが添えられていて、その光景自体が非常に尊く美しかったのを覚えている。山間の崖の上にたったこの教会とその風景の美しさはずっと忘れないだろう。アキビューという街はサンタフェのように土造りの家屋が並ぶスモールタウンだったが、その様相はだいぶ違っていた。鉄柵で囲われた家や、壊れた家屋がそのままになっている若干危ない雰囲気のする街だった。その街の一角にジョージア・オキーフのかつて暮らしていた家があるのだけれど、完全予約制のようで中に入ることはできなかった。もし彼女の家に入ることができていたら、彼女の暮らしや、その家のパティオから見れるという彼女の愛したペデナル山が見れたのだけれど、それがこの街についてのただ1点の後悔だった。街を歩いている間、誰ひとりとしてこの街の人間をみかけなかった。少し狭い通りに入っていこうとすると番犬があちらこちらから飛び出してきては、殺さんばかりの勢いで吠えかけてくる。こういう場所は得てして近づかないほうが身のためだ。この日は風が強く黄色い砂が舞い上がって渦を作る。それがこの若干荒廃したこの街の美しさをぐっと引き立てていたように思う。
彼女のことを知っていたのは、アルフレッド・スティーグリッツという写真家を知ったあとだった。20歳前後の頃に写真に興味が湧いた時、写真史に関する本を読んでいるとたいていこの名前に行き当たる。「ストレートフォト」「ピクトリアリズム」といった作風で知られ、写真史初期に、当時絵画の模倣でしかなかった写真の地位を芸術にまで高めた第一人者、と紹介される。彼の撮った写真を最初に見た時の印象は、厳密な構図と非常に高い写真技術によって作り上げられた写真だという漠然としたものだった。写真の入りとして森山大道や中平卓馬といったセオリーから外れたところから入った自分としては、さも当たり前の風景のように見えて退屈だったことを覚えている。しかし彼の写真の中で非常に素晴らしいと思った写真があった。それは当時の彼の妻であったジョージア・オキーフのポートレートだった。ポーズをとり、目線をカメラに向け、完璧な構図で撮られるオキーフの姿は美しく、かつ彼らの関係の緊張感を現すものだったと思う。しかしその一方で湖に入る瞬間や、庭先で絵を描こうとする姿を捉えたものがあり、僕が一番好きなのはその親密さの描かれた写真だった。その被写体としての美しさと、彼女に関する映画を見たことがきっかけで知った彼女の人間的な強さ。それが今回はるばるニューメキシコの僻地まで訪れた理由だった。
アキビューの街から更に一時間、ゴーストランチという彼女のもう一つの家でありアトリエとして使われていた場所へと移動する。このゴーストランチまでの道は圧巻で、地層がむき出しになった岩山が様々な自然の色合いを発しながら延々と連なっている。彼女がよく訪れたという湖を眼下に望む。山々に囲まれた低地に大きく円形に広がるその湖には今から沈もうとする太陽の光が強く反射してとても眩しく、綺麗だった。ゴーストランチは牧場で、今は知る人ぞ知る観光施設として開かれている。入り口にはアメリカの牧場によくあるアーチを描いたサインがあり、そのアーチをくぐって奥へとゆっくりと進んでいく。一番奥の山に囲まれた平地の部分に彼女がかつて暮らしていたという施設があり、それは今はビジターセンターとして使われていた。僕以外にもたくさんの人がこの場所を訪れていたようで駐車場はほぼ満席。その中で一人、おばあちゃんがイーゼルを出して、夕焼けで赤く染まる山並みと眼前に雄大に広がる平地を絵に描いていた。それはオキーフが生きていた時に、きっとこうして毎日この圧倒的な光景に向かい合っていたであろう彼女の晩年の姿を想起させた。オキーフがニューメキシコの奥地にこうして居を構えて制作していたことを、スティーグリッツと距離を取るをためであったり、富や名声といった概念から離れるという厭世観によるものだとよく言われる。またそういったことが一人の自立した力強く生きる女性として憧れの対象として見られていることもあるだろう。しかしそういった側面よりも彼女自身が絵画及び彼女の人生に向ける真摯な思いこそがこの光景を見た時に感じられる最も印象的な部分ではないかと思う。この地に根を下ろして暮らしている人間にとっては当たり前の風景を何十年にもわたり一人で描き続けたということ。それは彼女の強さや知性、ユーモアさ、そして感性の豊かさをもってこの風景に向き合って日々を大切に生きていたことを端的に示すものだと思う。彼女がこのニューメキシコの人里離れた僻地で書き続けたのは家から見える空、山並み、花や動物の骨といったモチーフであって特別なことなど何もない。奇をてらった描き方もせず、ありのままの自然を彼女自身のやり方で(色合いや描き方はニューヨーク時代のものをそのまま使っているように見える)、延々と描き続けていたのだと思うと、この地に対する彼女の途方もない愛情を感じる。夕焼けに染まる山並みに囲まれた牧場をひとりで歩いていると、草を踏み分けるときにサクサクという音がする。そして涼しい風があたりの木々を揺らす音がする。そうした普遍的な自然の営みの僅かな変化を常に捉えながら生きていたのだと思うと、その執念にも近い彼女の生き様は素直に尊敬せずにはいられないのだった。日がある程度傾くのを待ってから、近くにある湖へと行き、夕日がその美しい鏡のような水面に反射するのを畔から眺めていた。僕以外には誰もいなかったのだけれど、彼女や、スティーグリッツがここで過ごしていただろう姿が思い起こされるようで感動的な風景だった。日が沈むと湖は深い青に変わっていき、やがてあたりは星がくっきりと見えるほど暗くなった。空は満天の星空だった。
このあたりには当然の事ながら食事が取れる店などなかった。気づけば朝から何も食べていなくて、とてもお腹が減っていた。時間はかかるけれどサンタフェまで戻って、郊外にあるイカした看板のダイナーに入った。今でも一人でこうした地元民の来るようなダイナーに行くのは緊張する。勇気を出して扉を開けるといかにもローカルな感じの残った素晴らしい内装だった。壁には誰かが描いた風景画が飾られていて、若い人たちがテーブルに陣取ってテレビに映されるフットボールを見ながらあれやこれやと言っている。その反対側にあるカウンターに備えついた丸いスツール(ダイナーによくあるやつ)に腰掛けてメニューを見る。よくこういうダイナーには「〇〇スペシャル」みたいな名前のメニューが表の一番上にあって、要するに定番メニューなのだけれど、それを頼むことにしている。以前フラッグスタッフの外れにあったダイナーでは似たように注文をして4000カロリーくらいはありそうなアメリカを詰め合わせたようなプレートが出てきたけれど、それも思い出としては悪くない。この店のスペシャルは何種類かあったので適当に注文すると「俺はこっちのほうが好きだけどな」とカウンター越しにお兄さんに言われたので、迷わずそちらを注文した。グレービーソースのかかったチキンフライトコールスロー、そしてマッシュポテト。プレートの上が茶色〜クリーム色の間の色相で満たされる感じはアメリカを感じる。もちろん味も想定通りで最高で、雰囲気も味もいいと自分がこの店を選んだことを無駄に誇りに思えてくる。こうしたダイナーでは注文を待っている時間、そして食後にコーヒーを頼んで無駄に居座って店内を眺めている時間も楽しみの一部だ。というよりもむしろ食べたものの味よりもそうした雰囲気を味わうためにお金を払っていると言ってもいい。質素な内装の中にも日常的な美しさがあり、椅子の座面や壁かけ時計、カウンターに整えて置かれたシルバーなどのコントラストはどうも日本で見るものとは違った良さがある。そうした美意識は間違いなくニューカラーの写真によってインストールされたものだろう。食後のコーヒーを必要以上に時間をかけてゆっくり飲んではおかわりをもらい、今日ゴーストランチを見て感じたことを拙くはあるのだがメモを残す。そうしているうちにお店は閉店時間が近づいてしまったので、お礼を言って店を出た。
お腹も満たされたところで寝床を探さなければいけないのだけれど、困ったことにこの近くにはトラックストップがない。たまにウォルマートなどの駐車場を利用して寝ることもあるのだけれど、サンタフェのウォルマートの駐車場には定期的に警備員が巡回していてまったく休めない。このあたりを1時間以上走り回ってやっと見つけたのが郊外にある大きなリゾートカジノだった。もう深夜も過ぎているというのに客足は途絶えず、1ヘクタール以上はありそうな駐車場にはびっしりと車が停まっている。このカジノは24時間営業ではないけれど、宿泊客もいるしまあ大丈夫だろうと思って車を停めて寝る準備を整えた。しかし寝ようと思ったその時、自分の周りの車が次々に減っていることに気がついた。窓ガラス越しにたくさんの光が見え、遠ざかっていく。眼を覚まして辺りを見回すと前よりも車がぐっと減っている。「まだ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、また眠りにつく。光を感じたらまた起きて辺りを見回す、すると更に車は減っている。時間は深夜3時。この時間から寝床を探すのはつらすぎると思い、毛布をガバッと被って光を遮り眠りについた。若干の睡眠不足を感じながら眼を覚ましたのが朝の六時前、恐る恐る窓から覗き見るように辺りを見回すと、あれだけ広かった駐車場に停まっている車は僕の停めたジープだけだった。駐車場の清掃に来ているおじさんがあたりを箒で掃きながらこちらへ向かってくるので、慌ててエンジンをかけて隣にあったガソリンスタンドに車を移動する。それにしてもあれだけの車がいなくなっているのは衝撃だった。僕が恐れていた警察の職務質問にあうこともなく、無事次の日の朝を迎えられたことを嬉しく思ったけれど、毎朝楽しんでいた朝焼けの風景を楽しむ余裕は一切なかった。