SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY14
カジノの駐車場隣りのガススタンドでトイレを済ませ、顔を洗って歯を磨く。ここから少し離れたところにあるロス・アラモスへと向かう。この旅2度目のロスアラモスはエグルストンが実際に訪れた場所だ。その街の名前を冠して付けられた写真集は日本でも、アメリカに来てからも何度も眼を通した。実際にそこがなんの施設なのかは調べるまでわかっていなかったのだけれど、どうやらここは原子力爆弾の研究施設として使われた街らしかった。街の入口には「Where Discoveries Are made!」とサインが添えられていた。その少し奥には実際の研究施設や、当時研究に使われていたスペースのメインゲートがあり、今では道路脇のレストエリアとして使われているようだった。空は灰色の雲に覆われていて、何か陰鬱な雰囲気が漂っているように感じるのは先入観のせいかもしれない。ただ、この街を歩いていて思ったのは、こんな僻地にあるスモールタウンなのに社会インフラやサービス、研究施設が高い水準で整っていることだった。これまでの経験から言えばこうした場所にある街はある程度荒廃していてバスもなければ、大きなモールや娯楽施設なんてまずないはずだった。しかしこの街ではそうした設備は整えられ、そしてメンテナンスもされているのは見ても明らかだった。そしてこの街がなぜ経済的に潤っているのかは誰に問わずとも自明であったように思う。そして残念ながら、僕はこの街の中でエグルストンが写真に捉えたであろう瞬間に一度も出会うことはなかった。彼らしい色も被写体も何も見つけることができなかった。それは既にこの街が変わっていたせいなのか、彼が写真を撮っていた時間帯と僕が訪れた時間帯とが違うからなのかわからないが、本当にこの街から何か美しい瞬間の一つも見いだせなかったことは自分にとってはショックだった。しかしそれはこの街の風景が凡庸なのか、僕の見る目が凡庸すぎて美しさを拾いきれていないのかわからなかった。街の至る所に教会があることも、そこに頻繁に人が訪れていることにも何か違和感を感じた。救いを求めているのか、それが日常なのかはわからないけれど、この街に流れる空気はどこかぎこちなく、不気味な気がしていた。
その後、ルート66へと向けて車を南へと走らせる。ラスベガスという名前をサイン上に見つけて一瞬道路を逆走しているのかと思ったけれど、ニューメキシコ州にもラスベガスという街があるらしかった。近づくにつれて徐々に街の具合がわかってくるのだけれど、想像していたラスベガス的な雰囲気とはまるで違う寂れた地方のスモールタウンだった。ラスベガスにあやかってラグジュアリーな雰囲気で押してくるものと思っていたけれど、街の中で目立つのは「LOAN」と書かれたサインだったりする。貧富の差というのは残酷だと思うけれど、こればかりは仕方がない。そのままルート66へと戻りツカムカリという名前の街に訪れる。ここもおそらくエグルストンが訪れた街で、それをメモしていたのか地図上にピンが落とされていた。ここも廃れて荒廃したスモールタウンになっていて、大通りを通る車もまばらだった。店はどこも開いていない。少し裏手に回ればヒビだらけで今にも崩れ落ちそうな建物がたくさんある。郊外の建物には信心深さを表していそうな壁画やサインが殴りつけられるように書いてあったりした。ここまで彼の足跡を少しだけ追うように旅をしてみたけれど、当たり前のことだけれど、彼と同じ場所を訪れたところで彼と同じものはもう見れないのかもしれないということに気づいてきた。彼が写真を精力的に撮っていたころと今ではまるで時代が違う。当時ルート66沿いに位置していたこの街は当時の水準で言えば発展していたはずで、ある程度有名な場所に違いはなかった。それにより街の様相は徐々に変化し、エグルストンが撮ったころの光景に上書きされるように新しいものが作られていった。しかしルート66が使われなくなってからはこの街の経済状況は悪化し荒廃が進み、今のような状態になっているものと思われた。ショアやエグルストンが旅をした足跡を丁寧に調べていくと、このルート66は重要な役割を果たしている。そして同時に分かるのが彼らが写真に収めているのはそれなりに大きな街や都市だけだ。大きな地図に乗らないような小さな街には(おそらく)訪れていないし、そもそもそうした街にたどり着くルートを取っていない。そうした街の光景は今では近代化、更新され続けているため、僕の望むような光景を見つけられることは稀だと思う。もし、僕がまさにエグルストンの撮ったような光景を見たいと思ったならば、彼の足跡を追うのではなく、より開発の進んでいない、時代に置き去りにされたような小さな小さな街を見て回らなければ行けないのかもしれない。もしくは被写体に「彼らしさ」をもとめるのではなく「彼のものの見方」を現代の被写体に対して適用する必要があるということだった。そしてその後者については途方も無いほど遠いところにあるものだということもわかった。
ニューメキシコ州とテキサス州の境にはファーウェルという名前の街がある。「さよなら」という英語の響きに似た名前の街があることを知ったのはおそらく長田弘さんのエッセイによってだったと思うのだけれど、もしかしたら違うかもしれない。それよりもタイベックの『シカゴ育ち』の中で自分がいちばん好きな短編の名前が「ファーウェル」だったので、地図上でこの街の名前を見たときには絶対に立ち寄ってみたいと思っていた。本当のファーウェルはシカゴの中のどこかの通りの名前らしい。ファーウェルに着くためにはメインの道路から外れてしまうので、この街にいくのはたいそう時間がかかった。無駄にニューメキシコ州を南北に長く移動してしまったせいでこの日は丸一日ドライブに費やしているようなものだった。しかし、ニューメキシコ州北部は荒野や赤茶けた美しい山並みが印象的だったけれど、南部になると牧草地体が広がる緑色の景色が広がっていた。思い返してみると旅を始めてからこのような美しい緑色の景色を見るのは久しぶりで懐かしい気持ちになる。前回の旅でアメリカの真ん中を走り抜けたときには分け入っても分け入っても緑色の牧草地や畑が続いていたことを思い出した。ファーウェルは言ってしまえば平凡なスモールタウンだった。街の真ん中には広めの道路が通っていて、そこはテキサスとニューメキシコの間を通るトラックによって主に使われていた。州境には線路が通っていて、ファーウェル側は街やガソリンスタンドやガレージが。テキサス側には大きなトラックストップがあった。街の中は綺麗で、公園や小学校などの公共施設がよく整えられているのがわかった。質素な平屋が多いのだけれど、荒れた様子もなく、ファーウェルと書かれた給水塔は青い空に突き刺さるように高くそびえ立っていた。あまりにもこの街の風景が普通すぎてなぜこの街を訪れたのか忘れてしまったのだけれど、のどかな風景を眺めていると旅の疲れも癒えてくるし、何よりこういう景色が好きだったんだなということを何度でも思い出させてくれる。何故だかわからないけれど人から話を読んでよ、と言われる機会が少なからず過去あった。僕が読んでいるものといえばだいたい小説でしかなくて、その中でも短編小説が多い。その時読んでいるものを適当に読んだりするのだけれど、そのうちの一つが『ファーウェル(Farwell)』だったのを覚えている。冬のある日に一人の少年が元先生だった人に会いにいくというただそれだけの話なんだけれど、読んでいるだけで雰囲気も温度もこちら側に伝わってくるほど素晴らしかった。微妙に綴りが違うけれどその話はFarewell、さよならということを表していたはずだ。その話とこの街は一切関係がない。ただ、「さよなら」という響きに似た地名がニューメキシコとテキサスの境界にあることと、『ファーウェル』の中で部屋の中と外で静かに会話を交わすということがどこかシンクロしているように思えて仕方がなかった。このファーウェルという街ではトラックが音を立てながら線路を超えていくだけの味気のないものだったけれど、その昔は、きっと『ファーウェル』のように誰かを素敵に見送っていたのではないかと思えた。
そのファーウェルの街から更に南下したところにあるのはロズウェルという街で、もちろんこの街はあのロズウェル事件が起きた場所だ。その昔特命リサーチ200Xというテレビ番組があって、それを家族で見ていた時に警察に両脇を抱えられた宇宙人が連れ出される写真を初めて見た。今から70年前にニューメキシコ州ロズウェルから100キロくらい離れた場所に宇宙船と思しき物体が墜落して、その詳細についてはアメリカ政府が徹底的に隠蔽をしたため真実については憶測が飛び交うのみで一切わからないというオカルト界隈では伝説的な事案。それがこのロズウェルという街だ。ついた頃にはもう夜も遅かったから博物館も何も開いていなかったのだけれど、この街が宇宙人を全面に押し出して街を活性化していることはすぐに分かった。あらゆるところに宇宙人の看板が設置され、ちょっとした料理屋の壁にも宇宙人がペイントされている。これだけアメリカが広いと言ってもここまで宇宙人を使ったブランディングが許されるのはこの街だけだろうと思う。思えばアメリカは宇宙人を描き続けていた、それはもちろん映画の中での話。『E.T』『未知との遭遇』『M・I・B』に始まり『インディペンデンス・デイ』『エイリアン』『プレデター』『スターシップトゥルーパーズ』そして『Xファイル』に『スピーシーズ』。B級C級も含めればきりがないけれど、そうした映画は自分の中に刷り込まれいつまでも残っているのだろうとこの場所に来て思う。なぜならこんな看板を見ているだけでとても楽しい気持ちになってしまうからだ。そしてこの場所が僕に思い起こさせるのは、幼いころに金曜ロードショーで家族で一緒に見ていたアメリカのSF映画の記憶だった。養命酒やらバンテリンやらのCMが15分刻みに入りながらも、集中力を切らさずに夜の9時から11時まで張り付くようにして映画を見ていた頃の懐かしい思い出。同じ映画を何度見ても楽しめたし、ストーリーがどうだとか演技演出がどうだとか、今みたいにごちゃごちゃ考えずに純粋に映画を楽しむことができていた。とりあえず飛行機で敵艦に突っ込めだとか、とにかく大砲ぶっ放せみたいな全部パワーで乗り切る宇宙大戦争系の映画を見ては大興奮し、怪奇系の映画を見ては夜眠れないほど怖がっていた時代。そして今、街中に立つエイリアンの看板を見ながら、アメリカ人のグルーヴで全て解決していくスタイルがこういうところに表れているのかとわかると、この国のことを愛さずにはいられない気持ちになってくるのだった。
更にこの日はこのロズウェルの街から更に南下をして寝床を求めてエルパソの街へと向かう予定だった。もう時計は午後の10時を回っていて、そこから3時間ほどのドライブになる。そもそも距離が遠いというところと、ハイウェイがないこと、そして山の中を通り抜ける必要があるためにこんなにも長時間の運転をしなければいけなかった。夜の山中の運転はとても孤独と恐怖を感じる。街灯はなく、道はうねっていて見通しが良くない。ロードキルや対向車に常に気を配っていなければいけないのだけれど、そもそも既にかなり疲労をしている。コンビニで買った顔くらい大きなコップに入ったコーヒーや、箱買いしたコーラとレッドブルを10分に一度くらいずつ飲みながら集中力を切らさないように慎重に運転を続けた。この時のBGMはコルトレーンのジャイアント・ステップスで、真っ暗な中で運転をし続けるのに非常に役立ったことを覚えている。そしてこれまでの晴れが嘘のように強い雨が降り出した。山の天気は変わりやすいと言うけれど、前が見にくくなるくらい強い雨が降るなんて全く思っていなかった。BGMを大きくして恐怖心を抑えながらぐいぐいと前へと進んでいく。そうすると道脇にカラフルな電飾があるのを見つけた。それは山の中にぽつりとただ一件だけあるモーテルだった。濡れた窓ガラス越しに見えたその電飾は光がぼやけて拡散され、うっすらと見えるモーテルの姿も相まって本当にトッド・ハイドの写真のように見えた。モーテルの駐車場に車を停め、雨が止むまでこの電飾のキラキラと光る様子を見て時間を潰した。ワイパーが雨の雫を拭うと電飾の光は明瞭に見える。そこに天井から流れ落ちる雨水が筋を作るように流れ落ち、その光が歪んでぼやける。窓に打ち付ける雨水はさらにその光を乱反射させる。そしてその光がまたワイパーによって拭われる。そんな瞬間を眺め続けているうちにどうやら少し眠ってしまっていたようで、気がつくと雨が上がり水滴のない窓をワイパーが必死に拭いているところだった。眠気覚ましにコーラをまた一口飲んで、エルパソの街へと進んでいく。山の上からエルパソの街の灯りが見えたときには安堵と、その宝石を散りばめたようなキラキラとした輝きの美しさに感動をした。前々から思っていたけれど街の灯りは旅人のためにあると感じるのはこうした瞬間だ。マラソンランナーにおけるゴールテープのようなものだろうと思う。ハイウェイに乗り、その灯りが徐々に自分に近づいてくるのがわかると、ようやく今日を終えることができるという実感が湧いてくる。エルパソのトラックストップに車を停め寝る準備をする前に自分が物凄くお腹が減っていることに気がついたので、併設されたデニーズに寄ってワッフルを注文した。ガランとした店内には長距離トラックの運転手がポツポツと座り、深夜とは思えないメニュー(肉とかフライドポテトの山盛りだとか)をガツガツと食べている。彼らを横目に見ながら、疲れた表情のウエイターさんに食後にコーヒーを一杯頼んで、今日あったことや感じたことを思い出しながら少しずつまとめていった。どんなに疲れていてもその日のことはその日のうちに書き留めることだけが、この旅において自分に課した唯一のルールだった。深夜のデニーズはそんなことをするのにはうってつけの場所だった。書きながら、今日はドライブしかしていないのにたくさんのことを考えて、それはそれで旅らしいと思えたことが一番の幸せだった。