SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY12
朝起きるとだいぶ寒く、スリフトストアで買い足しておいた毛布三枚でも心もとない。9時なって暖かくなってきた頃に重い腰を上げて車を走らせると、ウィノナという街を見つけたので入ってみる。街というよりただの線路でしかなくて本当に何もない街だった。その後「Two Guns」と書かれたサインを見つけ、ハイウェイを降りて立ち寄ってみると、そこは完全に廃墟とかしたガススタンドと家屋がグラフィティだらけにされている場所だった。もはや街でもなんでもなく、なぜこの場所を指し示すサインが未だに残っているのかが不思議なほど、荒廃した場所だった。その異様な雰囲気は近寄りがたくも、神々しいまでの美しさを放っていた。手前には完璧に廃墟になったガススタンドがあり、窓という窓は破られ、天井や壁には無数の穴が。全ての壁に落書きが施されそこらじゅうにスプレー缶やらなにやらが残ったまま。その裏にはボロボロのトレーラーや家屋が建ち並んでいて、その中には埃を被ったソファがぽつんと佇んでいた。一つ一つの建物に信じられないくらいたくさんの言葉が書きつけられている。建物の外にある壊れかけたサイロの裏側に至るまでびっしりと。全てを眺めながら読んでいるうちにそれが一枚の風景画のように見えてきてしまうから不思議だった。破れた窓からは日光が差し込んでいて、室内の埃がその光を受けて筋のように光っている。敷地の奥に進むとボロボロの一軒家の脇にグラフィティに彩られた大きなスケートプールが作られていた。廃屋の一軒家に差し込む冬の光は埃だらけの椅子やら床やらを照らし出し、とても美しい空間を作り出していた。なぜこの場所にスケートプールが作られているのか、僕にはわかる気がした。今では誰も使っていないように見えるこの空間だけれど、きっとここで一晩明かしたとしたらその魅力はよりはっきりと理解できるだろう。お酒を飲んで、音楽をかけながらスケートをして、そのへんでおしっこをしたりして、疲れたら焚き火を囲んで友達と話して、眠くなったらボロボロのマットレスを持ってきて星空を眺めながら寝る。その光景を想像しただけで、信じられないくらい美しいものなのだろうと容易に想像がついた。もし僕が絵を描けるとしたら間違いなく繰り返しこんな風景を探して絵を書き続けるだろうと思う。なぜ、このような空間がアメリカでは成立しうるのか。なぜこのような空間は日本では成立しないのか、そんなことをこの光景を見ながら考えていた。僕がこの廃墟の周りを歩き回っている間、数人のアメリカ人がこの場所にきては写真を撮っていた。みな一様にこの場所を感心した様子で眺め、手に持っているカメラを構えては、写真を撮るのを楽しんでいたように見えた。アメリカの人たちは多くのことを許容できるように感じる。それは自分のかつてのホストマザー(還暦超え)がグラフィティアートを肯定的に捉えていることや、ヒップホップを聴いたり踊ったりしているのを見ていても思った。異質なものを肯定的に捉えようとする心をもっているのかもしれない。もちろんそれは人によるものだろうけれど、なぜかそうおもわずにはいられない。こうした廃墟が残っているのはここだけではない。街中にも、そしてこんな荒野にも。そうした環境を受け入れているのか、ただ広すぎて管理が及ばないのかわからないけれど、少なくともいろいろな人がこうした光景を美しいと思っていることは確からしかった。いや、誰だってこの風景を見たとしたら圧倒されて、ここを撤去したいだなんて思わないだろう。
ウィンズロウ、ジョセフシティというは小さな街を次々に通り過ぎる。ジョセフシティには機嫌の悪いロバが一匹いるだけで人一人みかけることはなかった。予定では今日のうちにアルバカーキまで行くはずが全然進まない。被写体となるものが多すぎて予定よりも全然遅れてしまっている。更に、道中でクレーターが見れる場所があるというので寄り道をしてしまう。バリンジャー・クレーターというアリゾナ北部にあるこのクレーターは5万年ほど前に隕石の衝突によってできた大規模なクレーターで、深さは170m程度、直径はなんと1.4kmにも及ぶらしい。降ってきた隕石は直径20-30m程度と言われているが、それが時速4万キロで地面に直撃した結果、こんなにも大きな穴が空いてしまうのだから驚くしか無い。観測施設でそういった当時の状況を語る資料を電子辞書片手にうんうんとうなりながら読み、頭の疲れたところで実際のクレーターを見に観測台へと出てみた。外に出た瞬間に強い風があらゆる方向から吹いてきて、帽子が飛ばされそうになる。一番上から持っている中で一番広角のレンズを付けてカメラを構えてみても、ぎりぎり画角に収まらないくらいこのクレーターは大きかった。そういう光景を前にすると「すごいな、、、」くらいの事しか言えない。
ホルブルックは観光地化されたルート66沿いの街で、インディアンゆかりの品々やモーテルなどがたくさんある。映画『パリ、テキサス』に出てくるのと同じ名前の「エルランチョ・モーテル」を発見しテンションが上がる。どうやらこれはアメリカ南部に展開されているチェーンのモーテルらしい。もちろん映画に登場したモーテルはテキサス州にあるようだ。ホルブルックの街をぱらぱらと眺めたのち、ペトリファイドウッド国立公園まで少し走る。化石の森と呼ばれるこの場所は、美しさとスケールの大きさで言えば今までみた国立公園の中でもトップクラスに入るかもしれない。延々と続く道の両脇にはペインテッド・ヒルズばりの美しい地層、そしてグランドキャニオンのような岩石地帯が延々と続く。公園自体もとても広く車で早足に回っても1時間はかかる。アメリカの国立公園のいいところは、鉄柵や説明板が少ないというか、ほぼ無いことだ。落ちたら死ぬ、というような高さの崖にも平気で何も設置していないからその分見晴らしがいいし、みんな好き勝手な場所で見るから混雑していてストレスが溜まるということもない。ただこの圧倒的な自然の力に打ちのめされて、自分の存在の小ささだとか、地球に流れている時間の長さだとか、見た人が100%考えるであろうことを考えるのに没頭できるのが素晴らしいところだと思う。実際のところそれしか考えられない。こうした景色を見ながら奇をてらったことを述べる人がいたとしたらその人のことを信用しないと思う。この国立公園のいたるところに転がっている岩のように見える鉱物は、実は太古の木が化石化、結晶化したものだった。断面をよく見るとつやつやと光り輝いていて宝石のように美しい。木が結晶化するなんて人生で考えたことも思ってみたことも一度もない。いつか将来人間が結晶化して、何万年後かの未来の人たちに掘り起こされて出てきたらそれは美しいものになるのかもしれない。アリゾナは人類の起源、というより地球の起源が感じられる場所だった。歴史という言葉が作られる前の、原始の風景。夕焼けになってくると、西部劇に出てくるような芸術的な赤色がバックミラー越しに広がる。急いでギャラップに向かい、日が落ちる直前の街を写真に撮り、日が沈んでから輝くネオンサインの数々を写真に撮った。その中にまたエルランチョ・モーテルの光り輝くサインを見つけた。