SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY21
ミシシッピ川の最下流はルイジアナ州からメキシコ湾へと流れ出ている。アメリカを東西に分断するこの川の始点と終点を見ておきたかったという一念からニューオーリンズから車を走らせて更に南下していった。その末端のエリアはバイユーと呼ばれる湖沼地帯になっていてワニがたくさんいるらしい。ルイジアナではワニも食べられるらしいのだけれど今のところそのようなメニューには出会っていなかった。ニューオーリンズから出ると風景はあっという間に田舎になる。青い空と道路脇を流れる大きな川、そして青々とした芝生を庭に生やした住宅地。アメリカの大都市均衡の川沿いは基本的にリゾートとして使われていることが多い。たいてい豪華なクルーザーやヨットの停泊する場所があったり、豪華で大きな家がひしめき合うように並んでいるのだけれど、このエリアに関しては質素な家が多かった。道路脇や橋の上から釣り糸を垂らしている人達を何人も見かけるのだけれど、ここはいい意味でゆったりした時間の流れる田舎なんだなと思った。休憩がてらに通りがかったグロサリーストアに車を停めて、瓶のドクターペッパーを買った。受付のお姉さんにミシシッピ川について話を聴いてみると、そのままだいぶ長いこと話し込んでしまった。このエリアは以前ハリケーン・カトリーナによる大規模な被害を受けたところでその傷跡が未だ癒えていないことや、その際にこのバーも天井の高さまで浸水してしまったことなどを聞かせてくれた。見てみる?と言われたのでついていってみると、奥にあるバースペースの天井近くの梁にはその時にできた染みが未だに残っていて、その被害の大きさが伺えた。レジの裏手にはその時に撮った写真を収めたアルバムがあって、それも丁寧に1ページずつめくりながら説明をしてくれた。「水が手に入らないからまずビールを売るしか無かったのよ、というかみんな水よりもビールを買いたいしね」と言って説明してくれた写真は、店の前にうず高く積み上げられた瓦礫に立てかけられた「ビールあります」と書かれたダンボールが写っていた。彼女が撮ったと思われる写真はどれも凄惨な景色が写っていながらも、美しくて、そして何より常にユーモアがあった。「まあとにかく壊れたものは直すしか無いし、ここに住んでいる以上は竜巻や台風のことは考えなければいけない。それが嫌なら故郷を離れるしか無いんだから!」と陽気に話すこのお姉さんは本当に強い心を持っていたと思う。その景色を見ながら僕は6年前に地元を襲った東北の大震災のことを思い出した。携帯電話に入った写真を見せてその時の様子を伝えながらお互いの故郷の話をした。最後にお姉さんのお気に入りの場所を教えてもらってこのお店を後にしたのだけれど、気づけば1時間くらい居座ってしまっていた。
お姉さんのお気に入りの場所だというフォートジャクソンに行ってみると、なんということはない静かな河口だった。そこから見える茶色く濁ったその水はミネソタで見た美しく透き通った湧き水ではないし、アイオワで見た自然豊かな川とも違っていた。その水の濁りはイタスカ湖から3700kmもの距離を淡々と流れてきたこの川を物語っているように思えたし、この川が育んできた人々の生活が映し出されているようにも見えた。川べりには昔のフランス領だったころの牢獄か基地のような施設がかつてがあり、それらの施設は風化し、レンガや鉄格子はボロボロになっていた。朽ちた施設には風に揺れる周りの木々が綺麗に影を落としていた。もう冬もやって来ようとしているはずなのに、夏の終わりのような強い日差しと気持ちのいいそよ風が吹いていた。このあまりにも普通な景色を眺めているとこれがミシシッピ川の最終地点だということを忘れてしまう。それくらいこの景色は普遍的で優しかった。ここ流れる時間とこの川の流れはこのこの先もずっと変わらないだろうし、僕が生まれるずっと前からもこうして人々の生活を支え続けてきたのだろう。なぜだかわからないけれど、この川を見た後にはYo La Tengoの曲を無性に聴きたくなってしまったのだけれど、それはおそらく分かる人はわかってくれるのではないだろうか。
川べりでだいぶゆっくりとした時間を過ごした後、ニューオーリンズへ戻りしなローカルな雰囲気の漂うダイナーへと入ってみることにした。面白いのはこのあたりのレストランの多くがザリガニなのかエビなのかわからない不思議なキャラクターを店先に飾っていることだった。中に入ると予想外に店内は広く100席以上はありそうだった。真ん中の机ではアルバイトで働いている地元の高校生くらいの女の子が3,4人くらい座っていて、僕の姿を見るなり「今休憩中だから働かないよ!」とふざけながら声をかけてきた。奥から出てきた元気なおばさんが窓際の席を案内してくれた。その席について店内を見渡すと本当に僕以外の客がいなかった。その店で一番のおすすめと思われるローカルフードとガンボを、とそのおばさんに注文すると笑顔で「ビールはいるの?」と聞かれたけれど、これがジョークなのか本気なのかはわからなかった。出てきたのは店の看板にも描かれていたシュリンプのバーベキューと大きな器に盛られたガンボだった。昨日食べたダイナーのガンボとは別の味わいがあり「ガンボは店ごとにレシピが違う」と言われていたことを思い出した。そのおばさんにも改めて聴いてみたのだけれど、店ごとというか家庭ごとに味が違っていてこれと決まったレシピは無いものらしい。「それは日本で言うところの味噌汁みたいなものだね」と答えると「確かに私もほとんど毎日ガンボを食べているわね」と彼女は答えた。いずれにしてもどのガンボも今のところ最高だということは変わらない。シュリンプのバーベキューを食べ始めたときにわかったのだけれど、クレオール料理やケイジャン料理は非常に味が濃い。確かに物凄く美味しいのだけれど喉が乾いて仕方がない。だから彼女はビールを薦めてきたのだとその時に理解した。もちろんこの店にたどり着く方法は車しか無いのだけれど、それは田舎の特別ルールのようなものなんだろうと思う。
ニューオーリンズ市内へと戻ったのは「ベニエ」と呼ばれる揚げパンのような名物料理を食べるためだった。フレンチクォーターの辺りにはそのベニエの名店があるらしいのだけれど一人で入るのは忍びないくらいに観光客でごった返していたので、ローカルなエリアにある居心地の良さそうなカフェを探して入った。このベニエにはカフェオレを合わせて注文するのが鉄板らしい。スモールタウンを巡るのも楽しいけれどこうして観光客らしく都市で振る舞うのもとてもいい(お金に余裕さえあれば)。僕ができる観光らしいことといえばガンボやベニエを食べることくらいなのだけれど、美味しいものは疲れた身体や心に実に良く効くものだと身を持って感じる。そしてその気付きは大きな後悔になってしまった。ここまで食べてきたものはM&M’sの特大パックやビーフジャーキー、みかんやリンゴ、バナナといったカロリーと最低限のビタミンを取るためだけのものだったから、それがいかに心を貧しいものにするのかもわかってしまった。地元の人で賑わうカフェで過ごすのは豊かな時間だった。子連れのママからおじいさんおばあさん、学生からサラリーマンまで誰しもが夕日の差し込む綺麗なカフェで食事を取っていた。ベニエはさくさくふわふわとしていながら、甘さ控えめで素朴な味わいだった。もちろんカフェオレとの相性はバッチリだった。夜食用に更に何個かベニエをテイクアウトで持ち帰り、素晴らしかったニューオーリンズの街から出発することにした。
ニューオーリンズからどうやってミシシッピ州へと上がっていくかを考えるため地図をみていると、ポンチャートレーン湖という大きな湖が街の北側にあることがわかった。その対岸にはマンデヴィルというという街があり、ニューオーリンズからそのマンデヴィルまで湖の上を真っ直ぐに道路が走っていた。その長さは実に30マイルもあり、キロメートル換算だと45キロ以上にも及ぶ。日が沈むまでの間を過ごすにはこの道路以上の場所は考えられないと思い急いで郊外へと抜け出した。運良く渋滞にも引っかからず、夕焼けが始まった時間丁度に湖の際までたどり着くことができた。片側1車線ずつの細く長いこの道は、辺り一面淡い青色とピンクに染まって非現実的な美しさになっていた。見渡す限り広がるその綺麗な湖は大きくて対岸が全く見えない。鏡のように静止した湖面には空の美しい色が写り込んで、空との境界がわからなくなるくらいだった。時間に合わせて少しずつ変わっていく空の色と湖の色はこれ以上無いほどに綺麗だった。その上をひたすら真っすぐに30分ほどドライブするわけだけれど、こんな道を毎日通って通勤できたら嫌なこともすぐに忘れられるだろう。