ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY19

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最後の目的地はテキサスのパリ。この数日間で広いテキサス州を西から東へと渡ってきたが、ここから目的地までひたすらに北上していく。テキサスの内陸部の天気はだいぶ崩れていて、途中豪雨に見舞われることもあった。なぜだかわからないけれどパリ市が近づくにつれて緊張が高まっていった。見てはならないものを見にいくようなそんな気持ちだった。映画『パリ・テキサス』の中で唯一出てこない場所がそのタイトルだなんて見る前は知りもしなかったし、そんな映画があるなんて当時は思いもしなかった。紙切れに書かれた住所だけが手がかりだったトラヴィス、彼にとってパリ市はどのような場所に映っていたのだろうか。

道のりはひたすらに長い。途中途中で休みながら、更に北上していく。目的地まであと数十キロにせまったところで緊張が強くなりすぎたので車を停めて最後の休憩を入れた。その場所はボタガという名前だった。車を停めた理由はもう一つあって、ここで初めて南部国旗を掲げた家を見かけたからだった。街に一つしか無い廃れたガソリンスタンドでガスをいれ、店の前に置いてある吸殻入れの前で煙草を吸っているとキオスクに入っていく人たちが訝しげにこちらを見てくる。こんな場所に日本人が訪れるのは余程珍しいのか、それ以外の理由なのかはわからない。そのガススタンドの前にはプリマスやフォードのトラックが山のように放置されていて、長く雨風を浴び続けたせいで全てのパーツが錆びてボロボロになっていた。

ボタガの街から30分くらい運転すると「パリ」と書かれた物凄く野暮ったいデザインの看板が見えた。どうやらここからがパリ市らしい。予想よりもだいぶ大きいパリ市は今のところ見渡す限り牧草地帯しかなかった。市街地へと向けて更に車を進めると風景が街に切り替わっていく。大きなマーケットや平屋が現れ、道路も徐々に広くなってくる。曇り空も相まって街はどんよりとした雰囲気で何か特別なものがあるようには到底見えなかった。ダウンタウンの辺りは発展していて、その中心部にはロータリーがあり飲食店やお土産屋などが軒を連ねている。ひとまず情報収集のために車を停めて散策をするのだけれどまったくお店が空いていない。日曜の昼間だと言うのに車も走っていなければ、街を歩いている人もいなかった。ビジターセンターも閉まっているし、カフェも開いておらず、何か食べ物が食べれそうなところは郊外のファストフードチェーンくらいしかなかった。この日はここまで何も食べずにここまで来ているためひどい空腹に苛まれた。ダウンタウンから少し外れた路地裏のほうまで細い道を縫うように歩き回ったけれど多くの店はシャッターを下ろしているか、それか既に閉店してしまっていた。テキサスのパリ市は死にかけた田舎の小都市と言った様子だった。そんな中、唯一空いていたのが古本屋さんだった。店の名前は「THE BUOK C NIER」と書いてありいくつかの文字が歯抜けになっていた。その店名の下には「Half Price Books」と書かれた看板が出されていた。いい具合に色褪せた青色の外装がこの店の雰囲気を物語っているように思え、恐る恐る空いたドアの端の方から店内を覗き込むと優しそうな顔をした店主が僕の方を見ながら「おいで」と手招きをしてくれた。中には山積みになった雑誌や本やDVDが所狭しと並べられ、レコードは綺麗に陳列されていた。店の裏側にはビデオもあるから見ていきなよ、と言われたので裏手に回ってみるとこれまたぎっしりと並べられたVHSが棚いっぱいに並んでいた。古い本のなんとも言えない匂いが室内に篭っている。いくつかの本やレコードを手にとったりしているとあっという間に手が埃でガサガサになってくる。店を一通り回りながら店主の様子を伺っていると、カウンターの奥に置いてある小さなブラウン管のテレビで暇そうにVHSを見ていて、それが『トゥルー・ロマンス』の主人公のようだと思うとなんだかおかしかった。それに気付いたのか、彼が急に顔をあげてこちらに訪ねてくる。

「君は写真家なのかい?」と予想外の質問の答えにまごついていると
「『パリ・テキサス』を見てここに来たんだろう?日本人はあの映画がとても好きだからね」
「はい、そのとおりです。『パリ・テキサス』のロケーションを巡ってこの州を旅しているんです」
「ハハハ!テキサスは広いだろう。いい写真は撮れたのかい?」
「いえ、、たぶんまあそれなりに。そういえば日曜だけどこのあたりで開いてる店は無いんですか?」
「日曜日はどこも休みなんだ、だから俺の店だけでもって思って開けているんだ。ゆっくりしていってよ」
「はい、ありがとうございます」

こんな感じで店のおじさんと少しだけ、映画や写真、そして自分がしてきた旅についての話をした。僕の拙い英語も我慢強く聴いてくれたから、気持ちの良い会話ができた。テキサスの片田舎まで来てもしどこの店も開いていなかったらと思うとやりきれなかっただろう。せめてものお礼にと思いカウンターの脇にあったカセットテープの棚からドアーズとナット・キング・コールのカセットを、店の奥にあったポラロイド写真のコーナーから信心深いモチーフの写真を数枚手にしてレジへと向かう。「ありがとう、いつかまた来てよ」と言われてこの店をあとにしたのだけれど、そういえば店の名前を聞くのを忘れていた。本当はなんという名前の本屋だったのだろうか。兎にも角にも、もしこのおじさんに出会っていなければテキサスのパリについて後生思い出すことはなかっただろうと思った。店から出るとさっきまでしばらく降り続いていた雨はあがって、夕焼けがくたびれた街を綺麗に染めているところだった。店から出て夕焼けにそまるこの不思議な本屋を写真に収めた。

少し時間があったのでこの街の住宅街の辺りも見て回ったけれど、正直なところ雰囲気は良くなかった。道路はだいぶ荒れたままになっているし、空き家や廃屋が目立つ。経済的な状況や治安の面では良いとは決して言えないだろう。こういった場所には長居は無用、車を走らせてこの街を出た。しかし、たすらに見ないふりをしていたのだけれど、この街を歩いている時に街のいたるところに「エッフェル塔」のモチーフがあるのを見つけてしまっていた。絶対に見るべきではないと思っていたけれど、僕はなぜかそのエッフェル塔へと車を走らせてしまっていた。徐々にその姿が見えてくるとなぜか笑いがこみ上げてきてしまう。郊外のある一角にそびえ立つ実物の1/10くらいのサイズのチンケなエッフェル塔は、なぜかてっぺんに赤い帽子を被っていて、しょぼいイルミネーションがちらちらと色を変えながら光っている。率直に言えば絶望的にセンスがなく悪趣味な田舎のモニュメントでしかなかった。「ああ、こんなもの見なければ良かったのに」と思いながらもこの街が映画の中に出てこなくてむしろ良かったのではないかと安堵した気持ちがあった(この塔がいつ作られたのかも1984年当時の街の様子もわからないけれど)。なぜ、「パリ・テキサス」という名前なのか。それを寝床に決めたトラックストップへ向かう途中にずっと考えていた。理由については諸説あるだろうけれど、自分の中では「交わることのない至近の2点」の隠喩なのではないかという一つの考えにたどり着いた。僕が最初に勘違いしたように「パリ」と「テキサス」は大体の人にとって別々のものに思えるだろう、そしてそれはアメリカ人にとってもそうなのかもしれない(何人かに聞いてみたけれどテキサスにパリがあることを知らない人がほとんどだった)。フランスのパリ、そしてアメリカのテキサス、この一見交わりそうにない2点が奇跡的に合致している点がテキサスのパリなのだけれど、それは劇中では描かれることはなかった。更にいえばこれは元々ドイツで生まれ育ったヴェンダースがアメリカという国にひたすらに憧れているという点の隠喩にも捉えられるのかもしれない。また、この『パリ・テキサス』の映画の見方として一つあるのはその劇中の色使いのルールから、アメリカという一つの大きな共同体と、その中に描かれる家族という小さな一つの共同体を表しているというものを以前見かけたことがある。それに照らし合わせるとするなら、覗き部屋でかつて夫婦だった男女が電話で会話をしたりすることも、父親と子供がトラックの荷台と運転席でトランシーバーを使って会話をすることも、その女と子供がビルの中で抱き合っているのを外から窓越しに見つめるラストシーンも、全てが「交わることのない至近の2点」という隠喩に合致するように思えた。劇中では、かつて親しい関係だった人たち、一般的には共同体という一つの枠の中に収まるはずだった人たちが遠く離れてしまう。そしてどれだけ近づいてもそれは背中合わせだったり、ガラスや鏡といった透明な、しかしそこに絶対的に存在している見えざる壁によって阻まれて一つになることはない。むしろ人と人とは近すぎてはいけないのかもしれないとすら思う。何かを強く愛しすぎても憧れすぎても、近づきすぎてはお互いのことはよく見えない。結局のところどんなものであれ一つに交わることなんて起きないのかもしれない。この広いテキサスでまた三人が巡り合った事自体奇跡に思えるほどテキサスは広い。しかしその奇跡ですら人々をまた一つの点に収束させることはできなかったというのが、このふざけた帽子を被ったエッフェル塔を見て考えたことだった。こんなことを考え続けていても明確な答えなんて出ないし、答えが出たところで大きな意味は無いのだけれど、まあとにかくこのエッフェル塔が『パリ・テキサス』に出てきたとしたらそのままテレビを窓から投げ捨てていただろし、パリ市にくることも、テキサスに来ることも、ましてやアメリカを旅することも、もしかしたらアメリカに来ようと思うこともなかっただろう。ありがとう、ヴィム・ヴェンダース

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