ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY18

DSCF4085.JPG

テキサスの南部のコロンバスという街からガルベストンという海沿いの街へと向かう。この街の海岸線から望むのは大きなメキシコ湾だった。この街も『パリ・テキサス』のどこかのシーンかで使われていたらしいのだけれど詳細はわからなかった。おそらくだけれど、この世界にする映像の中で最も感傷的で美しいものの一つである、トラヴィスとジェーンの記憶が撮影された場所ではないかと思っている。映画以上に何度も見たのが彼ら、トラヴィスとジェーンの関係が破綻する前の愛に溢れたあの瞬間だった。色褪せ、感光した懐かしい色合いの映像の中で、どこかのビーチで釣りをしたり、抱き合ったり、キャンパーに乗ったり、ごく自然な家族と恋人のいる風景だ。正直なところこの映像については自分の持っている言葉では表現することが全く能わない。作られた記憶であり記録であるはずなのに、どうしてあれほどまでに感動的で美しいのか今になっても理解が追いつかない。僕が今立っているテキサスの浜辺にもう冬になろういうのに照りつける強い日差しと澄んだ海と空の青さだけが、その映像と自分を結ぶ唯一の手がかりのような気がしていた。

そのまま海沿いを走り、フェリーに乗ったり、砂浜に車を寄せて一息ついたりしながら更に東へと向かうとポート・アーサーという街へたどり着いた。この街は最後にトラヴィスとジェーンがマジック・ミラー越しに会合する覗き部屋のあった街だとされている。ポート・アーサーの街についた頃には既に日は沈みかけていた。その覗き部屋があった周辺はかつて港の歓楽街だったであろう雰囲気が今でも残っていた。道路は広く、コンクリート造りの建物がその両脇に並び、そしてその建物の多くは崩壊していた。その建物を注意深く観察するとそこが昔パブだったり、少しいかがわしい店だったことが伺える。今ではその大通りは人一人歩いていなくて、広い道路には車も通っていない。文字通り廃れきったゲットーになっていた。映画に出てきたように、入り組んだ道の奥に自由の女神の壁画があるものだと信じ切っていた僕は、車から降りて指定の住所のあたりをずっとうろうろと歩き回っていた。しかしいくら探せども自由の女神は見つからなかった。もしかしたら、その建物はまるごとなくなってしまったのかもしれない。その住所が指し示す建物は赤いレンガ造りの大きな倉庫のような建物で、壁が剥げてしまっていた。『パリ・テキサス』が1984年に公開されて以来、もう30年以上が経つけれどその時の流れは残酷なまでに全てを変えてしまっているように見えた。そのかつて覗き部屋であったであろう建物から音が漏れてくるのが聞こえたので近づいてみると、誰かの誕生日のお祝いだろうか、子どもたちとその家族、親類によるささやかなダンスパーティーが開かれていた。色とりどりの風船と小さなドレスを着た子どもたちが大人と手を繋いで踊っているところだった。奥には真新しい安っぽいスピーカーが設置され、そこから現代風のポップスが大きな音で流れていた。この通りを歩いているうちに太陽は徐々に西に傾いていく。空の色がオレンジに変わると同時に、この廃れた港町の建物全てが美しい色に変わっていく。道路の向こう側から金色の光に包まれるかつて覗き部屋だったと思われるこの建物を見ながら、映画のシーンを何度も思い起こした。トラヴィスが電話越しに静かに語るかつてジェーンが見た夢の先がこの港町なんだということ。裸でハイウェイを走り、荒野を走り、トラヴィスから逃れるために走ってたどり着いた先がこの港町だったということ。彼らはメキシコ湾にほど近いテキサスの田舎に住んでいて、そこで生活が破滅したこと。トレーラーが燃え上がり全てを消滅させ、二人の生活が終わったこと。ジェーンは彼の元から逃げ去り東へと向かい、トラヴィスは記憶を失うまでそこから西へとただひたすらに荒野を走り続けただろうということ。彼らの行った行為の全てが僕の頭の中の地図の上で繋がり、よりありありとした光景を映し出すようになった。トラヴィスが走り続けた荒野は僕が走っても走っても延々と続く退屈な景色で、彼らが短かったけれど楽しい時を過ごした海辺は、今でも彼らと同じように家族や恋人達が連れ立って遊ぶ場所だった。日没とともにその美しいオレンジ色に染まった廃屋は徐々に深みを持った青色に変わっていき、冷たい風が海から吹き込むようになってきた。日が沈みきるまでこの建物を眺めて、ポート・アーサーの街をあとにした。車の中ではライ・クーダーを聴いていた。僕が好きな『流れ者の物語』を聴いているとなぜ彼がこの映画の音楽を担当することになったのかがよくわかるような気がした。

夜ご飯はトラックストップの脇にあったワッフルハウスで取ることにした。相変わらずスタッフは優しい。仕事をよく間違ってしまう70歳くらいのおばあちゃんが一人働いていたのだけれど、仏頂面をしたスタッフのお兄さんやドレッドヘアの黒人のお姉さんが優しくフォローしていて微笑ましかった。例によって店員に絡む常連のおじさんらしき人がいたり、向かいに座っている客に話しかける陽気なおやじがいて店内は賑やかだった。食後にコーヒーをひたすらお替わりしながら、この日感じたことを書こうとするけれどやはりどうにもまとまらなかった。

hiroshi ujiietravel