SEE EVERYTHING ONCE -DAY12-
モーテルのカーテンから日が差し込んできている。気持ちのよい快晴で、エリー湖から吹き抜けてくる風を感じることができる。そのままリンゴをひとかじりして、湖のビーチへと向かう。毎日りんごとバナナとみかんしか食べていないのだけれど、それは一番安く栄養とカロリーを摂取できるからだ。でもそういう生活も慣れるといい感じだ。
車ですぐのところにあるビーチへいき、煙草を吸いながら湖を眺める。湖も毎日見ている気がするのだけれど、いつもどおりあまりの大きさにこれが海なのではないかと錯覚する。ペンシルバニアから北上してニューヨーク州の西側の方へとドライブしてバッファローと言う街へ向かう。この街の名前を聴いてもしかして、と思って調べてみるとやはりバッファロー66の舞台となった街だった。自分がこじれるきっかけとなった、おそらく人生で一番初めに見たミニシアター系の映画で、その影響は甚大だったように思う。当時田舎の高校生だった僕は洋楽も聞いていなかったし、本も映画もほとんど見ないような、文化とはまったくかけ離れた人間だった。同じ学年の高校の軽音楽部にやたらとかっこよくて、演奏の上手い松坂君という人がいたのだけれど、彼の影響は大きかった。彼は金髪のボブカットに丸メガネ、モッズコートにボーダーのモヘアニットみたいな感じでカート・コバーンのような格好をすることもあれば(普通にクソかっこよかった)、革ジャンに赤いブーツ、スキニーパンツを併せたまんまヴィンセント・ギャロのような格好をすることもあった。ベースを始めて1年で3フィンガー奏法とスラップをマスターしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズをバキバキに弾きこなす彼は(誇張抜きで天才だと思う)、僕の学年でも飛び抜けた才能とセンスを持っていたように思う。そんな彼から薦められたのがバッファロー66だった。初めてあの映画を見たときに、あの映画の色合いや登場人物のファッション、レストランの内装、ストーリーに感じた違和感、ボーリング場でムーンチャイルドをBGMに踊るクリスティーナ・リッチ、そして最後に流れるイエスのHeart of Sunrise(ベースを始めてからすぐに練習した)。その全てが新鮮で、かっこいいというものの定義がここから作られていったようなきがする。今でこそ見ていることが当たり前の映画と言われるようになって、全国どこのTSUTAYAにも置いてあるけれど、僕はこの映画を探すのに本当に苦労したし、これを見ていた人は本当にクールだと思われる時代があった。そのロケ地となった場所がこのモーテルの付近に点在しているらしかったので一応見にいってみることにした。彼が最初に入っていた更生施設は確かに存在していたが、夏の陽気に照らされて陰鬱な雰囲気はしなかった。ひとしきり感動しながら周りを歩いて写真を撮っていると、1分くらいで係員がジープにのって3台ほど寄ってくる。「ここで何をしているんだ!!写真を見せろ!」とまくしたてられ、ああ、俺はついにここで警察のお世話になってしまうのか、旅も中断か、、、と思っていた。カメラのモニタを見せながら撮った写真を消去する。すると奥の方からゆっくりと近づいてくる彼らの上司と思しき人物。「そんなに怖がらなくてもいいよ、どうしたんだい?」と優しい口調で話しかけてくる。「この更生施設は僕の好きな映画のロケ地になっているんです。僕は写真家で自分の好きな映画のロケ地をめぐるプロジェクトをやっているんです」と半分うそをつきながら必死に対応した。自分でもびっくりするくらいスラスラと嘘を言える感じになっていて、英語の成長を実感した。「そうなのか、でもここは公共施設だから写真はNGなんだ、せっかく日本からきているのにごめんな」と言われ、そのまま出口まで案内される。車に乗って出口から出るまでは僕の左右と後ろに怖い顔をした係員の乗ったジープ3台が追従してきていた。もし隙があれば、、、とも考えたけど次何かをミスったら警告では済まないだろうということで素直にその誘導にしたがった。まるで彼らはマシンのように任務を遂行していた。
その後、あのボーリング場へと向かう。現在は閉店しているらしく中は見れなかった。予想していたよりもずっとこじんまりとしていたし、何よりオーラがない。どれだけ待ってもキング・クリムゾンは聞こえてきそうにもないし、タップダンスを踊ってる人も絶対いないだろうと思う。それくらい気のきいた演出がもしあったとしたら、きっともっと繁盛しているのかもしれないのになと思うのは身勝手なエゴだろうか。ヴィンセント・ギャロ扮するビリー・ブラウンの家はもう塗り直されて誰かが住んでいるようで、真新しいパステルカラーの壁と目の前に泊まったピックアップトラックは本当に普通の家でしかなかった。彼の泊まったモーテルはよくわからない中東のダイナーみたいなものに変わっていた。作中に出てくるデニーズはもう味気ないレンタルスペースになってしまっていた。なんだか全部変わってしまっていて切なくなったけれど、彼がどのような場所で撮影したのかわかったのはとても良かったと思う。本当にあの決して大きいとは言えない街で全てを賄っていた。彼の生まれ故郷であるバッファローで、彼がおそらくよく行っていた場所を繋いで作られたストーリーなのだろう。
普通の人にとっては、バッファローという街はナイアガラの滝のある町として有名だ。せっかくなのでと思い立ち寄ってみるけれど、滝に近づくには2時間以上も待たなければならず、人混みにも辟易していたので10分くらいでその場をあとにした。やはり有名な観光地には行くべきではないだろう。確かに滝はすごかったのだけれど、それはなんというか、今まさに世界遺産を目の当たりにしているという感覚よりも、アミューズメントパークにいるような感覚に近い。沢山の人がごった返していて、思いを巡らせるような余裕もない。これよりももっと自分で探し当てた静かな湖や、名もないような荒涼とした風景のほうが自分には合っているということを確信した。この落胆もおそらく忘れることはないだろうと思う。
その後マルボロを目指してひたすら東へと車を走らせる。ニューヨーク州の田舎のど真ん中をぶった切るように駆け抜ける。BGMはトーキング・ヘッズだった。アップダウンが激しくて、何もしなくても勝手に下り坂を進んでいく。ぼーっとしていると時速100マイルを簡単に超えてしまう。そのうちに日が暮れて、街灯もなく文字通りあたりが真っ暗になる。勾配の激しい道はまるでジェットコースター、というよりスペースマウンテンのようで、上下左右に揺られる車体は絶叫マシンのようだった。闇に向かって突っ込んでいく時の恐ろしさったらない。坂を登りきったあとに感じる一瞬の無重力や、急に見えてくるガードレールの脅威。深夜の運転は光がないと危険すぎる。それはそれで楽しかったりするのだけれど。そんな調子で車に揺られながら、深夜近くにバーモント州マルボロについた。しかしそこは山のど真ん中の森の中の街で、車を停められそうなところも見当たらない。もちろん電波もなく、ガソリンもそこを尽きかけている。街灯もなく、狭い林道はどこに続いているのかすらもわからない。おそらく昼間であれば美しいこの道も今は自然の怖さを感じる。ガスが付きたかなり面倒なことになりそうだし、道の真中でスタックしたら事故で死ぬかもしれないという恐怖もあった。燃料を節約するためにアクセルを極力踏まないようにして山を降りていった。50分くらい下り坂をぐるぐると回りながら山を降りていくと街の灯りを見つける。うれしさのあまり、一時停止のサインを見落としたら警察に捕まってしまった。
「お前一時停止無視したやろ?」
「え?すみませんガス欠寸前で焦ってました」
「それにしてもオレゴン州からきてんの?(車のプレートを見つつ)」
「はい、ロードトリップをしている最中で、ニューヨークまで行くんです」
「すごいじゃん!なら、じゃあもう行っていいよ!気をつけてね!車を停めて悪かったね!」
「いえいえ、お疲れ様です」
この日わかったのは、ロードトリップという言葉とフォトグラファーという言葉は免罪符として機能することがあるということだった。もしかすると、アメリカ人はアーティストとトラベラーには優しいのかもしれない。それにしてもバーモント州の端の街なのに、なんでこんなに警察が多いのだろうか。深夜も近いのにかなりの数の警察がパトロールをしている。それはこの街の治安が悪いのか、それとも社会的なインフラがしっかりしているからなのかわからなかった。そしてこのあたり一帯では、深夜をすぎるとガソリンスタンドではカードで決済ができなかった。そのためバーモント州とニューハンプシャー州とニューハンプシャー州のちょうど境目にあるガソリンスタンドの裏手に車を隠してそのまま寝た。警察にはそれぞれの州の管轄があり、別の州に行った人は取り締まれないということを思い出したのは、バニシング・ポイントという映画から得た知識だった。