ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE -DAY11-

モーテルの一室

モーテルの一室

冷たい空気の満ちる森を抜けて落水荘へと向かう。ライトの作品の中でも最高傑作の一つに数えられるこの建築を見れる機会が自分の人生の中でやってくるとは思わなかった。車がなければアクセスできない場所にあるから、この機会を逃したらもう訪れることもなかったのかもしれない。

落水荘へと続く道は細い山道で空気が新鮮で気持ちがいい。ただそういった場所では何匹もの動物が道路脇に転がっているのを見つけることが多かった。ひっくり返って固まった鹿は椅子をひっくり返したように4本の足を空に向けて放り出していて、真っ黒な目の焦点はどこにも合っていない。

落水荘へと着き、駐車場へと車を停める。森の中のアプローチを順路に沿って進んでいくと、木の枝や葉っぱの隙間から、異様な雰囲気をもちながら荘厳な雰囲気で佇んでいるのが見えた。思っていたよりも壁は赤色に近い土色で、タリアセンウエストを思い出すのはこれがライト独特の色だからだろう。建築自体の有機的さと幾何学的さが一瞬で見て取れる。自然との調和、という言葉を聞くとイメージするものは人それぞれ違うと思う。風景の一部に溶け込んでいるのか、それとも自然やその土地の持つ力を利用したものなのか。ライトの落水荘は自分の考えでは後者に当てはまる。森の中の滝の上に建てられた落水荘は、森の持つ魅力を建物の中に存分に活かした、気持ちの良い空間だった。

落水荘が建てられたのは大恐慌時代であるにも関わらず、これほどの建築を作れるのも、作らせることができることももはや自分には計り知れないことだ。当時の価値で言えば$155,000ほどかかったらしい、現在の価値に直すと$2.4millionなので、3億円弱くらいだろうか?とんでもない額である。ちなみに修繕費用はその4倍くらいかかっているというから驚きだ。家の中の細かな仕掛けが面白い。基本的な作りや発想はタリアセンウエストの時の印象に近いが、川の冷たい空気を入れるための滝壺に続く家の床に作られたガラス窓、鉄枠のない部屋の角に作られたガラス窓(開けると視界が180度広がる)。ドアを開けると滝の音が部屋全体に満ちる。狭いはずなのに全く狭さを感じさせない書斎と寝室。部屋よりも広いテラス。低い天井とガラス張りの壁は閉塞感を感じさせず、低さの統一された家具に誘導する仕掛けとなり、訪れる人達にゆったりとした時間を意図せず過ごさせるように設計されているように思えた。都市の若者のための別荘という発想で作られたらしいのだけれど、確かにそんな雰囲気が漂っている。このテラスでシャンパンやワイン片手に夏を過ごす人々の姿が思い浮かんでくるようだった。部屋の壁がガラス面になった最上階の部屋は明るく開放的、ゲストハウスの前に添えられたプールは深さが180センチもある。ここで育った依頼主のカウフマンの息子は建築家を志し、コロンビア大学でロイド建築の教授にまでなったそうだ。彼に言わせると、この家は「ロマンス」の一言で表せるらしい。どの季節、どの瞬間でもときめきを感じることができることがその理由だそうだけれど、それは行った人なら誰しもがわかるだろう。このような家が存在し、世界中から人が訪れるのには理由がある。その来訪者の中にはなぜかアーミッシュの人たちがいて、彼らはいったいどうやってここまで来たのだろうかとふと思った。馬車で来るには遠すぎるし過酷すぎると思うのだけれど。

先日、ミネソタで起こしかけたロードキルのせいで車のブレーキもしくはサスペンションが何かしらの故障を起こしていたらしく、ひどく癇に障る異音が聞こえることが度々あった。車の交換のためにレンタカーのサプライヤーに電話をするも、オフィスも担当もたらい回しにされてしまい途方にくれる(英語が不自由だと電話先の対応も非常におざなりになる)。おそらく10回以上電話し、5箇所以上のオフィスを回ったけれどどこも利用可能な車はなく、このトラブルを抱えた車で残りの旅路をドライブすることになった。この日はわりと散々で、ペンシルバニアの交通状況によって何度か死にそうになったり、事故を起こしかけて本当に今までで一番危ない日だったと思う。なぜ高速道路の乗口に一時停止の看板が置かれていたり(普通は加速レーンじゃないのか!)、マリファナを吸いながら何度も追い抜きをかけてくる白人の若者がいたり、長い長い渋滞に巻き込まれて眠りかけたり。そんな状況をコーラとレッドブルで気合を入れながらなんとか持ち直しつつ、エリー湖沿いの道まで出てくる。モーテルにチェックインし、優しそうなおじさんに挨拶をしてチェックイン。アンゴラインというこのモーテルは廃れているが独特の美しさのある、まさに欲していたモーテルだった。壊れかけた窓やドア、蜘蛛の巣のはった電灯、ワインのシミの付いた引き出しや、タンスの脇にはさまった1ペニー硬貨。傷だらけの椅子や机は愛おしさすら感じる。その地域にあるフランチャイズでないモーテルに泊まることは自分にとっての密かな楽しみなのだけれど、それは無性に「旅をしているな!」と感じることができるからだった。映画で見ていたモーテルの風景や、そこに泊まっている人たちの姿、夜に駐車場へと流れ込んでくるピックアップトラック、カーテン越しに透けて光る電球。それらは僕にとっては憧れていたロードトリップの大切なピースだった。

hiroshi ujiietravel