ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE -DAY10-

DSCF1037.JPG

旅ももう10日目になる。朝起きると身体がカチコチになって、寒さもだいぶある。9月も初旬を迎えたけれどもう本格的な秋なのだろうと思う。つい10日前までライブを見ながら日差しがダルいなんて言っていたのがウソのように思える。

デトロイトの興奮冷めやらぬまま、クリーブランドへと向かう。エリー湖の辺りをずっとドライブしていると眺めのいい街を見つける。湖にかかる橋の向こう側に見える遊園地を眺めながら気分のいい午前中を過ごした。湖に吹く風は冷たく、サンダルとジャージでは寒いくらいだった。そのままクリーブランドへと向かうのも勿体無いので、そのまま湖の畔をぐるぐると回りながらゆっくりとクリーブランドへと向かった。オハイオ州クリーブランドと言えば、僕にとってはバスケットボールの街であると同時に、ジャームッシュのストレンジャー・ザン・パラダイスの舞台でもある。「クリーブランドのおばの家に行く」というようなフレーズを今でも覚えているんだけれど、白黒のスクリーンの中にかっこいい若者がかっこいい車に乗って走っていき、辻褄のよく合わない会話をしていたような気がする。当時は映画を見始めたばかりの頃で、なんとなくかっこいい映画だろうと思って見た映画がなんとなくかっこよくて、正直に良くわからなかったんだけれど、なんとなくかっこよかったからまあそれでいいんじゃないかと思って頭の片隅に仕舞った。あとから振り返っても未だになんとなくかっこいいの域を出ないのだけれど、それは今の自分にものすごく大きな影響を与えている。街は高度に近代化した大都市で、ミルウォーキーやシカゴと同様のイメージを抱く、ただ、五大湖沿いの大都市はどうしてこうも危ない街が多いのか、というのも気になるところ。本当なら行きたいところは山ほどある街なのだけれど、どうもロードトリップに大都市というのはそこまで相性が良くないらしい。美術館や本屋などももっと回ってみたいけれど、大都市というのはどうにもこうにも何をするにもお金も時間もかかってしまう。もっと時間があれば何日もかけてゆっくりと見て回れるのに、一ヶ月という旅は長いようで実はそこまで長くない。というよりも自分の行動範囲があまりにも広すぎるために結果的に時間がなくなってしまっているのだろう。町外れの方にアンティーク街と思しきエリアを見かける。黒人の子どもたちや高校生がわんさかといる。通りもいい感じに廃れてきて、雰囲気がある。こうした街で青春を過ごせたとしたら、本当に映画のような高校時代を送れそうだ。

そういえば、ガンモの舞台となったゼーニャという街はオハイオの南部にある。今はそこにいくには遠すぎるのだけれど、途中にあるアーミッシュに行くことにしていた。田舎の街を見ていて思うけれど、そりゃあれほどの閉塞感を感じるだろうなとも思う。街にはバーとキオスクと教会と学校が必ず一個しかなくて、いつも同じ顔ぶれの人たち。確かに客観的にみたら美しいのだけれど、当事者視点にたてば奇行に走る少年たちの気持ちがなんとなくだけれどわかってくるような気もする。

アーミッシュの街へと行ってみると、自分の抱いていた想像と全く違う光景が目につく。現代文明と隔離されたもっとハードコアなものかと思っていたら、普通のスモールタウンだった。ガソリンスタンドもあればコンビニもあるし、電気を使うものならなんでもある。ぱっと見ではここがアーミッシュの街なのかどうかも一切わからない。車通りも非常に多い。確かに馬車は走っていたり、アーミッシュの格好をした人たちをちらほら見かけるのだけれど、コンビニで買い物もするし携帯電話で電話をしているアーミッシュすらみかけた(聞いた話によると、特定のアーミッシュのコミュニティでは、そのコミュニティ内でそういう役割を担う人もいるそうだ)。彼らの街はアーミッシュということで観光地化されていて、外部からの客を招き入れることでその生活が成り立っている部分もあるのだろう。それがダメだとかそういう話ではないのだけれど、これもある意味アメリカの側面として強く脳裏に刻まれる出来事になった。

hiroshi ujiietravel