ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE -DAY9-

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なんだか疲れていたみたいで、11時過ぎに眼が覚めた。昨日砂丘ではしゃいで走ったから足腰が地味な疲れが残っているみたいだ。ミシガンの夜は寒くて、寝袋に毛布をくるんで寝たはずなのに足先が冷えていた。そういえば昔、ミシガンの山小屋での生活をイメージして山奥の木造のロッジに泊まったことがあったっけ。窓をあけると雪が深くて、1mくらいのつららがそこらじゅうにはえてて、タバコが一瞬で燃え尽きて、暖炉の火が消えたら室内でも信じられないくらい寒かった。もし冬にミシガンに来ていたとしたら、車の中に泊まっていることなんてできなかっただろう。昼前までグタグダしていると、暖かい陽気が窓から差し込んでようやく動けるようになった。

ミシガン湖から離れて、州都であるデトロイトまでいく途中、フォードレイクという湖を見た。街の中にはフォードストリートという通りまであるデトロイトという街は、自動車メーカーのフォードがあるところだ。グラントリノでイーストウッドが演じていたのはフォードを退職したおじいさん役で、この街の話だったはずだ。デトロイトのイメージというと、「アメリカで一番危険な場所」「8mile」「家が$1で買える」というのが一般的だと思うが、それは間違いではない。中心街を少し入っていくと、焼け落ちた家屋や落書きだらけのボロボロのビル、穴だらけで道路や投げ捨てられたゴミが半端じゃないくらいある。こんなところに人が住んでいるのかというレベルの家にも、平日の昼間からかなり怪しげな人たちがたむろしていたり、とある通りには門番のように怪しげな目つきでこちらを見てくるおじさんたちがいる。デトロイトの風景と言われて思い出すのはジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』という映画なのだけれど、その家を探す余裕もなく、というかどの家があのヴァンパイアの住んでいるとも思えてきそうなくらい、おどろおどろしい雰囲気を持っていた。焼け落ちた家をよく見るのは、空き家を不審者がアジトにしてしまうからという話を聞いたけれど、そんな世紀末な状況に直面するのは人生で初めてだった。不穏な空気の漂う場所というのは近づけばすぐにわかる。淀んだ空気が質量を持っているかのように自分にまとわりついてくるような気がするからだ。それは誰かの視線なのかもしれないし、何かの匂いなのかもしれない。目に見えない圧力が無性に心を忙しくさせるのだった。数え切れないくらいの数の廃屋を通り過ぎたあと、勇気を出して少し大きめの廃ビルの中を覗いてみる。すると中には人がいたらしく、大声でこちらに向かって何かを叫んできたので、死ぬほどの勢いで車に大急ぎで逃げ帰りドアを締めて出発した(向こうは銃を持っている可能性が大いにあるので何が何でもトラブルは避けないといけない)。麻薬の売人と思しき人達を何人も見たし、正直なところ挙動不審な人たちやホームレスの人達も多かった。そしてそのほとんどは黒人だったように思う。通りを一本挟んだだけでがらりと雰囲気が変わり、白人の住むエリアと黒人の住むエリアが分かれている。白人はというと湖沿いの優雅なエリアや、貧民街から少し離れたところにまとまって住んでいるようで、そのあたりは道路もお店も整備されている。少し安全そうなエリアを見つけるまでは安心してトイレにも行けなかった。街の中にこれほどかというほど教会や宗教の宣伝?用のビルボードも多く見かけた。これまでの経験から察するに、教会が多い場所は信心深い田舎か、それか本当に危ないところだ。煙草を吸えるような場所も、落ち着けるような場所もなく、一息つこうと思ってたどり着いた湖の畔の駐車場では怪しげな草の入った袋や、マリファナの吸いさし、注射器なんかが転がっていたりして、入ってくる人たちもなんだか危なそうな人たちが多かった気がする。溢れかえったその辺に落ちているゴミを鴨やら水鳥が一生懸命についばんでいて、空間全体が嫌な臭がした。

でもなんとなく、この街はいずれポートランドのようなクリエイティブな街になるだろうと思ったのも確かだった。なにか熱気のようなものを感じるし、僕自身がこの環境を十分に楽しんでいた。スリルや興奮が間違いなくあった。間違いなく一番シャッターを切ったし、リスクを承知で危ない橋をわたることができた。たまに見かけるファッショナブルな黒人のおじさんや、陽気におどる子どもたちやおじさんのばさんは、アフリカの国の風景をみているような気さえした。この街はフォトジェニックだったし、独特の美しさや、ストーリーがあるように感じる。その証拠に、その廃屋の真ん中には廃屋を利用したアートプロジェクトが展開されていて、気の良さそうな黒人のお兄さんが元気に挨拶をしてきてくれた。あの雰囲気の中に現代アートが佇んでいるとそれはもう狂気としかいいようがないくらい怖いのだけれど、それでも、この街が少しずつ良い方向に向かっていることの証だった。

街から出るときに通った通りが偶然「8 mile」という名前だった。その名前を見たときにこれがデトロイトの中の地名だったということを思い出した。そしてその時、エミネムへの尊敬の念が止まなかった。あの映画に描かれていることはおそらくそこまで誇張ではないだろう。いまよりも20数年も昔、もっと危なかった時代に当時は異端とされた白人のラッパーが一人でデトロイトのクラブで危ない奴らに囲まれながら一人で戦っていた。僕はクラブにも入っていないし、なんならこの町で何も成し遂げてはいないけれど、彼の体験は背筋が凍るようなものであったことは間違いがない。今はだいぶ丸くなってしまっている彼だけれど、そんな彼への尊敬を胸にデトロイトをあとにした。

hiroshi ujiietravel