SEE EVERYTHING ONCE -DAY7-
モーテルのベッドとシャワーは最高に気持ちがいい。車中泊で寝袋に寝るのにも慣れて、わりと疲れが取れるなぁなんて思っていたけれど、空調の効いた清潔な部屋で寝るのは段違いに快適だった。警察に職務質問されたり、何かの物音に敏感にならずに一晩寝れるということはものすごいストレスになっていたんだと気づく。しかし、もっと爽やかに目が覚めるかと思いきや、よく眠りすぎてしまったせいか身体が重い。ちょっとだけ二度寝をした後に一服して、食料を買い足してから南下していく。すっきりした頭でモーテルを出てウィスコンシンの田舎を川沿いに少し走る。窓を開けると夏の朝の風が吹き込んできて気持ちがいい。牧草の匂いがほんのりと入ってくると、都市から離れていることを実感できる。山道の景色は素晴らしく、少しだけ日本の田舎を思い出したりもした。少し小高い丘に出るとコーン畑が果てしなく広がるのが見える。コーン畑の間のうねる道をただ一人で何時間も走っていく。対向車は10分に1台すれ違うかどうか。たまに農作業用のトラクターや、牧草を積んだトラックが走っているだけだった。山間の小さな村をいくつも通り過ぎるが教会はどこの村でも立派で、このあたりが信心深いエリアなのだろうという予想がつく。度の家も裕福とは言えない外見なのに、教会だけはどの街にもあるし、どの街の教会も立派だった。アーミッシュもこのエリアにはあるらしいが、それも納得できる。
イリノイ州に入っても暫くは田舎道で、景色は同じように続いていく。もちろん車のBGMはシカゴ出身のバンドに変える。シーアンドケイクやWilco、大学生の頃から今でも聞きつづけている音楽だ。Via Chicagoを聞くと、まさに今だろう!という気分になるし、空は青いからSky Blue Skyも聞かなきゃならない。早くシカゴに行きたいというはやる気持ちを抑えられない。とはいっても長いドライブだから、眺めのいい街で止まりながらゆっくりと進んでいく。オーロラやガレーナと言ったシカゴ近郊の有名な街にも停まってみる。本当はファンズワース邸やその他の著名な建築作品ももちろん見て回りたかったし、なんならミルウォーキーでは美術館とタリアセンに行きたかった。でも欲張るのも、十分な時間も取れなさそうだったから諦めて次回に回す。この人生に於ける宿題がまた一つ増えてしまった。イリノイで立ち寄った街はカジノや劇場が豪華だったけれど、町中で見かける黒人の数が圧倒的に多いことに気づいた。ウィスコンシンではほとんど見かけなかったけれど、イリノイではかなりの数の黒人を見かけた。警察の数も如実に増え、救急車や高速道路で検挙される人たちの数も増えているように思った。ただそういった人たちも話してみると気さくな人が多いし、実際何かしら危ない人なのかもしれないけれど(好き好んでアジアンの旅行者に話しかけてくる人なんているか?)、経験から言うと危ない目にあったことは一度もない。
高速道路を東に走らせること100マイルほど、車がどんどんと増え、車線も増え、シカゴに近づいていくにつれて運転の緊張感が一気に増す。左右から物凄いスピードで抜きに来る車や、いかついマスタングのオープンカーに乗ったヤングサグ、イキった白人の若者の運転する古いダッジ。そいつらに囲まれるとなんだか心が萎えてきて、さっきまで爆音でかけていたBGMも小さくなる。道路の混雑に反比例するかのように、左右どちらにもEXITが出てきて運転が難しさが増していく。そんな中をこわばりながらハンドルを握りしめてひたすらシカゴを目指して走った。しばらくすると、遠目にシカゴのビル群が見えた。Wilcoのアルバムでみたあのタワーのような気がしたけれど、多分そうだと思う。そうじゃなくてもいいんだけど、なぜだかわからないけれど異様な達成感と感動があった。ここまでひたすら田舎道を走ってきたこともあるだろう。都会らしい風景というものは割りと嫌いではないのだけれど、自分からしてみると感傷的なものであって、なぜか都市を見ているというより、客観的に自分を見てしまっていることが多かったように思う。でも今は完全にお上りさんのような心持ちで、『スミス、都へ行く』で主人公がフィラデルフィアにはじめていった時のような、主観的な体験からもたらされる感動を味わっていると確信できた。その光景はロードムービーのようにも思えたし、近づいていくにつれて増えていく建物や、豪華になっていくビル、光り輝く看板を見るたびに都市に没入していくような感覚を覚えた。自分でもやればできるんだなと、正直シカゴにこなくても良いかなと思ったけれど逃げずにここに来た意味はこれだけでもあったのかもしれない。シカゴに来たらやりたいことや言ってみたい場所がたくさんあったけれど、着いた頃にはもう8時を回っていた。ダウンタウンのクソ高い駐車場にとりあえず車を停めて、急いで走って向かった先はシカゴシアター。無論、OwenのO, Evelyn…の映像が撮られたあの場所だ。そう言ってわかってくれる人がほとんどいないことは知っているのだけれど、初めてこのPVを見たときに、絶対にここには来なければ行けないと思っていたことを思い出した。たぶんその時は大学の2年か3年で、高円寺の部屋で彼の新譜の動画をみんなで見ていたはずだった。まばゆく光り輝く入り口の天井と、カラフルにきらめくシアターのサイン。閑散としたシアター前でギターを弾き語るマイク・キンセラに話しかける黒人の二人組。そして演奏をしながらそれに答える彼。少なくとも当時の僕らにとってはこの光景、この音楽、この雰囲気、全てがアメリカの塊に思えていた。日本には確実に存在し得ない、アメリカにしかない風景。それを追い求めてここまできたんだなぁ、と。酒の勢いもあったのかもしれないけれど、「これ見るまで絶対死ねないよね」なんてことを話していた気がする。だから、もう夜も遅かったけれど、シカゴに来たからにはシカゴシアターに真っ先に行かなければいけなかった。ウィリスタワーやカプーアのクラウドゲートよりも、何よりも先に、あの日夢見た劇場に行かないといけなかった。
駐車場から走って15分くらいで、シカゴシアターにたどり着いた。しかし僕がそこで見たものはすべての照明が落とされたシカゴシアターの姿だった。息を切らしながら近づいて呆然と立ち尽くしていると、ホームレスの人にタバコをせがまれたり、小銭をせがまれたりした。落胆というよりも、なにも考えられずそこに立ち尽くしてたという感じだったと思う。もう諦めて帰ろうとしたその時、パッと背中越しに何かが明るくなるのが見えた。振り返るとあの日パソコンの画面でみんなで見たシカゴシアターがそこにあった。キラキラと輝くネオンとエントランスはあの時から何も変わっていなかった。嬉しすぎて、いろいろな角度から何度も見直してみたり、エントランスの前を歩いたりしてみた。あのPVと同じように通りは閑散としていて、たまに人がその下を通り過ぎると映画をみているかのように美しかった。旅をはじめて1週間、ポートランドからは3500km以上も離れていた。