SEE EVERYTHING ONCE -DAY5-
アトキンスの街の夕暮れ
デトロイトレイクで眼を覚ます。夜に到着するとわからないが、ここは湖沿いのリゾート地のようだった。だいぶ早朝だったので車通りが少なく、白く綺麗に整った家並みを静かに通り過ぎた。デトロイトレイクはノースダコタとミネソタ州の州境に位置する街なので、今日の旅はミネソタ州を巡るということになる。この州で一番行きたいところは、もちろんイタスカ州立公園、それは長田さんのエッセイの一番最初の章に描かれているミシシッピ川の源流のある場所だ。これまで4日間ほど旅を続けてきてわかるのは、人々の暮らしは川や湖に沿うようにできているということだ。ミシシッピ川は北米で最大の流域面積をほこり、僕の好きな町や文化、ひいてはアメリカというものを作ってきた重要な側面であることは間違いがない。その他、この州はボブ・ディランの生家や彼がアルバムタイトルにしたハイウェイ61が通っていることでも有名だ。
イタスカ湖へと向かう道は今でもその光景を思い出せるほど、この長かった30日間の旅の中を振り返っても1,2を争う位の美しさだったと記憶している。これまでの荒涼としたアメリカの風景から一転し、道路脇を深い緑を湛えた森林が覆っている。それは日本のような色合いではなく、より緑が濃く、密度も濃い。様々な緑が深々と夏の朝のひんやりとした空気でキラキラと輝いているのだった。水場が近いからだろうか、時折アスファルトの上に局所的に靄や霧のようなものが発生しているのも非常に非現実的な光景で美しい。その靄が登ってくる朝日の金色の光を受けて輝くのは筆舌に尽くしがたいほど感動的な光景だった。自分一人でこの澄んだ空気と美しい景色を進んでいく感覚というのは、これまでの旅の中で一番気持ちのよい瞬間だったかもしれない。願わくばこの光景がいつまでも続いて欲しいと思いきや、その自体は突然訪れた。フロントガラスを覆い尽くさんばかりの巨大な白い羽、そして黒い下半身から生える細い足と鋭い爪。どこかで見覚えのある巨大な猛禽類が餌を追って僕の眼前に飛び出してきたのだった。急ブレーキを踏み込むと同時にパーキングブレーキを同時にいれ、急ハンドルを切る。どうやら僕はアメリカの象徴たる鳥、アメリカンイーグルをあやうく殺してしまうところだった。
この朝の気持の良さから一変し、とてもナーバスな気持ちになりながらイタスカ州立公園へと向かう。イタスカは美しい森林地帯で、小さな湖がその森林の間に点在している。水は透き通ったように綺麗で、太陽の光を受けて輝いている。湖には何匹もの魚。そして白鳥。ゆっくりと視界の中に現れる鴨やそのたぐいの鳥たち。朝露に濡れた色とりどりの湖畔の草花も同様に輝きを放っている。背の高い木の間から漏れてくる太陽の光が森の中に篭もることで幻想的な雰囲気を生み出している。たまに聞こえる鳥の鳴き声や、風によって木の葉がこすれる音以外にはなにも聞こえない、完璧な美しい静寂に満ちた空間だった。自分の体をすり抜けるように吹く気持ちのいい秋の冷たさを湛えた風と、この景色。そして静寂。これほど豊かな空間はこれまでの人生で味わったことがないと思える程だ。少し奥のほうに行くとキャンピングリゾートがあり、そこでは古いSUVを乗り付けたおじいさんやおばあさんが美味しそうな朝ごはんを食べているところだった。人で賑わってはいるものの、子供の笑い声が森の中にこだまする以外には何も聞こえなかった。使い込まれたガーランドで控えめに飾り付けられたキャンピングトレーラーやダイニングテーブルは、いやらしさのかけらも感じさせず、この美しい森の様相と完璧に調和を保っていた。
イタスカの近くのドライブウェイを時速20マイルくらいでゆっくりと回る。いくつもの湖のそばを通り過ぎる。ランニングをしている人たちや自転車で走っている人たちと挨拶を交わす。こちらの湖は水面に水生植物が生えていたり、朽ちた倒木などが湖から出ているのでオレゴンやワシントンの湖とはだいぶ印象が異なり、まるで時が停まっているような感覚に陥る。そんな湖の脇を通りすぎて向かったのがミシシッピ川のヘッドウォーター、つまりミシシッピ川が湧き出ているまさにその場所だった。長田さんはこの場所をまたいだ時に、アメリカで一番大きな川を一跨ぎした!という感覚を得たらしい。僕がその場所にたどり着くと何人ものこどもがきらきらと輝く水面をバックに今まさにその川を渡らんとしているところだった。そのうちの一人、スーパーマンのTシャツを着た女の子が必死になっているところを見ていたときに、思わず笑みがこぼれた。たぶん長田さんが来たときは冬で、より厳しいミネソタの冬の景色が広がっていたに違いない。ここに今見て取れるのは平穏でどこまでも平和なアメリカの夏の風景だった。
その後、ボブ・ディランが過ごした家があるというヒビングの街へと向かう。到着してみるとメインストリートに無数にアメリカ国旗が並ぶ品格漂うスモールタウンだった。ボブ・ディランの家は今は熱心なファンが住んでいるらしいのだけれど、意外と小さくてなんとも形容し難い青色の奇妙な建物だった。彼の通っていた高校はその目の前に堂々と佇んでいて、彼の家の目の前の通りはディランストリートと名付けられていた。この街の見どころとしてはここと、彼の熱心なファンが運営しているバーなのだけれど、そこはスルーし彼の生まれた家がある街ドゥルースという五大湖沿いの街へと急いだ。
ドゥルースは僕の予想を遥かに超える発展した街だった。小さなシアトルかサンフランシスコとでも言おうか、ハイウェイはしっかりと整備されているし、街が斜面にできているところもシアトルそっくりだ。この町では年に一度ディランの歌縛りのコンサート?があるらしく、もし時期があったらそういう面白そうなイベントにもいつか行ってみたいものだと思う。坂の上からダウンタウンへと下ってくる時に五大湖の一つであるスペリオル湖がまるで海のように広がっている。街を一周りしたら眺めのいいハイウェイでも走りに行こうかという気持ちになる。ドゥルースの街のダウンタウンまで降りてくるとこの街もそこまで治安がよくなさそうなことがわかるが、こういった街特有のわけのわからない活気の良さに溢れていた。乱暴にバイクや自転車を乗り回す人たちからどんどんと声をかけられるし、昼間から酒の飲めるバーからは大声でスラングが響いてくるのが聞こえる。廃れた裏通りを写真に取りつつ、日が暮れる前にスペリオル湖沿いのシーニックバイウェイへと向かった。スペリオル湖沿いは完全にお金持ち用のリゾート地で、ピカピカに輝く大きな家がこれでもかというくらい立ち並んでいる。どの家も自家用ボートやキャンパーを持っているのは当たり前。丁寧に整備された芝生と広い庭が彼らの生活の豊かさを物語っている。所々にあるパーキングエリアに車を停めてスペリオル湖を見渡すも広すぎて本当に海にしか見えない。向こう岸に見えるものは水平線以外にはなかった。このスペリオル湖から南下していく道すがら、ハイウェイ61というハイウェイがあるのだけれども、これはボブ・ディランのアルバムタイトルにも使われているあの道路なのだ。ミシシッピ川、そしてそのそばを通るハイウェイ61からたくさんのブルース・ミュージシャンが生まれたことからブルースハイウェイとも呼ばれるこの道は、通ってみるとバイクツーリングのおじさんおばさんや、クラシックカーの交通量がこれでもかというくらい多いアメリカを感じられるスポットだった。もちろん車のBGMはボブ・ディラン、追憶のハイウェイ61である。
そこから、ミシシッピ川沿いを下っていきアトキンスという小さな街にたどり着く。源流からゆったりと流れ出たミシシッピ川が通っているのはこういう田舎街でもあるのかと、街の真ん中に静かに流れるミシシッピ川を見ながら思う。既に沈みかけた夕日によってうっすらと輝くミシシッピ川は田舎に馴染んだ名も無き川のようで、まるで何の特別感を主張することもなく当たり前のように佇んでいた。すると後ろからシャーという音が聞こえてきて、振り返ると太っちょのスケートボーダーが田舎のガラガラの道路をスケートボードで進んでいくところだった。思わずその姿を写真に収める。やはりミシシッピ川沿いはなにかあるんだという気持ちにさせられる。そもそもこの全く有名でないアトキンスという街に立ち寄ることになったのはまったくなんの理由もなくて、ただミシシッピ川沿いの暮らしを見てみたいと思ったからだ。それはアレック・ソスのスリーピングバイザミシシッピという伝説的な写真集の影響でしかなくて、俺もいっちょうその河のほとりで寝てやろうというただそれだけの話だった。ただこの町で見ることができた些細な光景と、この些細な出来事は自分の中にいつまでも残り続けるだろうと思った。