SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY6
LAから車で一時間ほど南へいき、ハンティントンビーチへと向かう。改めて思うがこのLAという都市の大きさは東京の比ではない。LA=ビーチ、のようなイメージを抱きがちだけれど、いちばん有名なベニスビーチでさえ街中からバスを使ったら90分はかかる。ハンティントンビーチへ行く理由はただ単純にエド・テンプルトンに会いたいという浅はかなものだったけれど、僕達がアメリカに来たと同時に、彼は写真展のレセプションか何かで入れ違いで日本に滞在しているところだった。もう秋も深まってはきているが、相変わらず水辺で遊んでいる人たちは多い。サーフィンをしているひとや、桟橋で釣りをしているおじさんたち、サイクリングをしている人もいればスケートをしているひともいる。かくいう僕達もTシャツ一枚の夏の装いで海沿いを何の目的もなくただ歩いているだけなのだけれど、それはとても素晴らしい時間の使い方だったと思う。桟橋の一番はじにはルビーダイナーというお店があり、たくさんのお客さんが店の外まで並んでいた。店内は60年代のダイナー風の装いをそのまま残していた。それは店員さんの制服に至るまで完璧に統一されていて、ピンク色のスカートをパツパツに着こなしている金髪のおばちゃんが妙に愛らしく見えた。
その後、「O.C.に出てきたダイナーに行きたい」という意見があり、少し南下したところにあるニューポート・ビーチへと向かう。結果から言えばその場所には目的としていたダイナーはなかった。もしかしたら潰れたりしてしまったのだろうかと不安になり一瞬絶望的な雰囲気になるが、そのダイナーは更に南下したところにあるレドンド・ビーチという場所にあることを突き止めた。レドンド・ビーチは美しい港だった。大きな船やお金持ちの所有物であろう豪勢なクルーザーやヨットが所狭しと船着き場に停泊している。アメリカのビーチにはたいていウッドデッキで作られたエリアにお店やダイナーが並んでいるのだけれど、その一角の一番端のところにそのダイナーはあった。そのダイナーの名前は「The Pier Diner」といい、どこにでもありそうなありふれた名前をしていた。外観、そして内観ともに理想的なダイナーだった。薄緑色のソファにクリーム色の壁紙。花柄のカーテンにうっすらと店内を照らすシーリングライト。店員の帽子やエプロン、そして接客も間違いなく「いい具合」だ。僕は「O.C.」というドラマについて深くは知らないのだけれど、浅倉いわく、そのドラマの登場人物達はお決まりの席に座って朝食を食べているらしい。それは入り口から入って真正面にある角の席だ。もし機会があればそこに座ってご飯を食べたのだけれど、僕達よりも先に仲の良さそうな若い黒人のカップルが座っていたので、その席の対角線上にある端の席に座って遅めの昼食を食べながら彼らのことを眺めていた。フィッシュ・アンド・チップス、クラムチャウダー、そしてチュロスにコーヒー。どれも最高の味付けだった。どの皿もカロリーの暴力と言わんばかりの油っぽさと量で、いい年をした男が三人やっとのことで食べ終わるくらいだった。甘すぎるチュロスはコーヒーと一緒に食べてもなかなか減らず、持ち帰り用のパックに入れて持ち帰った。
食べ終わってコーヒーを飲みながら一息ついているときに、「O.C.」への浅倉の思いを聞いた。そもそもアメリカの音楽、ないしはアメリカという国自体にに興味を持つきっかけが「O.C.」だったこと。中学時代には「O.C.」しか見ていなくて、それでアメリカという国への憧憬が生まれたこと。今回の旅では「O.C.」の登場人物のように101号線をロード・トリップができたこと。そして僕たちは翌日パームスプリングスに向けて旅立つのだけれど、それも「O.C.」のストーリーに沿っていること。昔テレビで見ていたこのダイナーの内装が何一つ当時と変わっていないこと。彼は「やっぱり、セス、ライアンとつながりますよね。」とボソボソと言っていたのだけれど、おそらくそれは自分が憧れたものや影響を受けたものにはいつか何かしらの形で巡り合い、自分の人生と交差する瞬間が来るということだと僕は解釈している。当時もし彼が「O.C.」を見ていなかったとしたら僕たちはこのダイナーに来ていないだろうし、一緒に旅もしていないかもしれないし、そもそもアメリカにも来ていないかもしれないし、むしろ友達になっていなかったかもしれない。こうして旅の間を毎日を楽しく過ごせているのは彼がアメリカという国に寄せる強い思いがあり、それを形にしているからだと思う。世界にダイナーが何百万軒あるのかしらないけれど、この一見ありふれたダイナーは世界に一つしか無い。こうして三人でこの場所に来れているのは当事者からしたら必然なのだけれど、もっと大きな目で見てみれば偶然以外の何物でもないことに気づく。だから「やっぱりつながる」という言葉が出てくるのだろう。僕達3人の中には共通してアメリカという国や文化への思い入れがある。そうして繋がった僕たちはこうして素晴らしい体験を共有できるんだと改めて思った。更に言うことがあるとすれば、このありふれたダイナーを特別足らしめた「O.C.」という作品はやはり偉大というほか無いだろう。どうしてこのダイナーなのか、正直明確な理由はわからない。しかし、そのドラマがこのありふれたダイナーに対して「ここでしか有り得ない」という感覚を持たせているのは間違いなく雰囲気や錯覚ではない。それは例えば目のつけどころだとか、付加価値だとか、そういった陳腐な言葉で語られるべきものではなく、あらゆる運命の帰結点としてこのダイナーが選ばれていることを心から理解したという感覚に近い。僕たちはこの感覚を「This Must Be The Place」と呼ぶことがある。言わずもがなこの言葉はトーキング・ヘッズの名曲から来ているのだけれど、この言葉と感覚については本当に大切なときにしか使わないし使えない。それくらいこの場所は代わりの利かない素晴らしい場所だったと思っている。
その後満腹になったお腹を抱えて、ベニスビーチへと向かう。今日は本当にビーチにしか言っていないのだけれど、一日に何度ビーチに行っても良いものは良い。特にベニスビーチには大きなスケートパークがあるから、それを見るためだけにでも訪れる価値はある。日本にもスケートパークはあるのだけれど、金網に囲まれていたり、おらついた人たちが黙々とスケートをしているばかりで近寄りがたい雰囲気が見えるくらい濃く漂っている。それに引き換えこの場所は、10歳にも満たない子供から女の子まで楽しそうに滑っているし、スケーター達も基本的にはとてもフレンドリーだ。彼らが果敢にバンクやスロープにチャレンジして身体を地面に打ち付けたり、転んでは起き上がってまた滑り出すのを人だかりの隙間から覗いていた。若くて細身の綺麗な女の子がものすごいスピードで目の前を滑っていく。風に流れる金色の髪がとても綺麗だったのをよく覚えている。僕はこうしたアメリカらしい風景を彼らに見てほしかったんだなと思った。
その後宿に帰ると僕はベッドに腰を下ろしてそのまま寝てしまった。目が覚めると浅倉と武知はテイクアウトの中華料理を食べていた。「O.C.だと何か嫌なことがあったときでも家族でテイクアウトのチャイニーズ食べて仲良くなるんすよ」と言っていたが、あまりの量の多さにふたりとも限界を迎えて普通に残していた。その日の夜もまたスウィンガーズにコーヒーを飲みに言って取るに足らない会話をしながら過ごしていた気がする。相変わらず店はうるさかったし、注文したアイスはベロベロに溶けてシェイクのようになっていた。こういう雰囲気は本当に最高だと思う。