SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY2
クレセントシティのモーテルで眼を覚ます。昨日の夜は散々な目にあって寝るのが遅かったものだから、しっかりと寝坊をしてしまい朝ごはんの時間には間に合わなかった。(アメリカのモーテルには朝ごはんを出してくれるところと出してくれないところがある。スーパー8やアメリカズベストバリューインは出してくれるところ。いちばん有名なモーテル6は出してくれない) ロビーに行ってみると朝ごはんを片付けているところだった。ダメ元で「パンを何個かもらってもいいですか?」と聞いてみると、「あとで部屋に持っていってあげるわ」と優しく答えてくれた。その後、本当に部屋までコーヒーやらベーグルやらバナナやらを持ってきてくれたのだけれど、その時食べたマフィンは本当に美味しかった。おそらく今まで食べたマフィンの中でも一番じゃないかというくらい美味しくて、こんなに気のいい店員さんのはからいもあって、朝からとても幸せな気持ちだった。
クレセントシティは海沿いの街で、国道101号線が通っている。もちろんただ南に下るだけであれば州の真ん中を走る96号線を走るのがもちろん一番早いのだけれど、そんな旅は全然面白くもなんともないのは知っていたから、僕の一存でこの海岸沿いを走ることを決めた。この日の天気は素晴らしい快晴で、道脇に車を停められるスペースを見つける度に車を停めて、みんなでカメラを持って写真を撮りに行った。まったく有名なビーチでもなんでもないのだけれど、何百キロ、いや千キロ以上も続くこのカリフォルニアのコーストライン全てが絶景に違いなかった。各々勝手に写真を撮ったりフィルムを回したりして、強い潮風に煽られながらタバコを吸う。三脚を立てて三人並んで記念写真を撮ったりもしたのだけれど、思ってみればこんな風に記念写真を撮ったことなんてなかった。すくなくとも知り合って10年以上は経つのだけれど。カリフォルニアの海岸はエメラルド色でどこまでも広い。ビーチにはほとんど人がいないし、ゴミも、何も落ちていない完璧なビーチだった。潮風を浴びて白く枯れた植物が美しい。海面に太陽が反射すると目の前が光りに包まれて、人のシルエットがかろうじて視界に残る。車のトラブルだろうか、駐車場に停めたセダンにもたれかかるティーンっぽい女の子たちや、ビーチで犬と一緒に散歩をしているカップルだとか、そういう光景含めて全てが圧倒的に完璧だった。この光景は完璧という言葉がふさわしいと改めて思う。こういう景色を彼らに見せることができて本当に良かった。
そのまま今日の目的地の一つのシーランチコンドミニアムへと進んでいく。日が高くなってくると、蒸発した海水が潮風に乗って濃霧になる。アメリカの西海岸では起きやすい現象なのだけれど、100m先まで見通せるかどうかという濃い霧の中をすすんでいくのは非常に怖い。ただその一方で、アメリカの田舎の牧歌的な風景が霧に包まれるのは映画のように幻想的で美しい。しかしながら、シーランチコンドミニアムまでの道は非常に厳しい。何十キロにも渡って細くうねる道が続くし霧で見通しが悪い。180度かそれ以上のヘアピンカーブが何度も何度も重なっているし、心の中では走り屋じゃないんだからもう勘弁してくれという感じだったのだけれど、目的地に着くまでは諦めるわけにはいかなかった。予定到着時間からはだいぶ遅れてシーランチコンドミニアムに辿り着いた。僕達が到着したときはあと少しで日が沈んでしまうという、所謂ゴールデンタイムと呼ばれる時間だったと思う。シーランチコンドミニアムは「建築というより風景だった」と武知が言っていたのだけれど、それ以上この建築について的確に表した言葉を思いつくことは出来ないと思う。当初、シーランチコンドミニアムという建築自体への興味があった。それは内装や外装といった建築設計に関わる部分で、この場所でどのように過ごすことができるのか、その時の体験や空間の雰囲気はどうなのかといったことだったのだけれど、この景観を見た瞬間にそんなことがどうでも良くなるほど、このシーランチコンドミニアムというランドスケープは素晴らしかった。西海岸の崖沿いの上に建てられたシーランチコンドミニアムは周囲の風景に溶け込んでいる。潮風が心地よく、海の匂いと音を運んでくる。近くには古びた牧舎があり、まるで手を入れられていないかのように自然に朽ちている。牧舎の前に建てられた木柵や周辺に映えている雑草も伸び放題。切り立った崖にはもちろん柵も何も設置されていない。これは日本的な発想とはかけ離れている。風景すらも作り変えて完璧なものに仕上げていくというよりも、完璧な風景の中に建築を収めていくことを意識しているように思える。もちろん、この「完璧さ」の定義が日米では違っていて、僕はどちらかと言えば圧倒的な景観の中に建築が収納されているかのように思える、アメリカの考え方のほうが好きだと思う。人工物を含めたランドスケープ、建築と風景が競い合ったり並立の関係にいるのではないということから生まれる美しさは、謙虚で誠実さの感じられるものだった。建築と風景の主従関係において自分の中では圧倒的に正しいと直感した。そして、そのような光景がテレンス・マリックの映画のような黄金色に輝く夕日に照らされていて、刻一刻とその色を変えているものだから、それは言葉を失うほど綺麗だったし、今こうして思い返してみても表現できる言葉が全く思いつかない。自分の人生においてこの場所以上に美しいと思える風景や建築に出会えるのかと思うと、それはとても難しいだろう。
シーランチコンドミニアムを見終わると、あたりはもう真っ暗で何も見えなかった。何も見えない中、さっきまで続いていた地獄のようなヘアピンカーブの連続を運転していかなければならなかった。アップダウンや急カーブで揺れる車はまるでジェットコースターのようだった。心の支えは浅倉が流すハリー・ニルソンの「Turn On Your Radio」のゆったりとしたメロディーだけだった。近くの街へ行きモーテルを探し、いくつか当たってみるもののどこも空いていない。何度か振られてようやく辿り着いたミルバレーという街のアメリカンベストインに入り、入念にベッドバクをチェックしてから眠りに着いた。