ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE / TRIP TO SOUTHERN DAY1

ベッドバグ襲撃後の姿

ベッドバグ襲撃後の姿

前回の旅から一ヶ月ほど経ち、僕のアメリカ最後の旅が始まる。そして一年近く過ごしたハリウッドのホームステイからも旅立つことになる。要らない荷物は寄付をしたり捨てたりしながらあらゆるものを整理した。旅立つ日の早朝に、整理した荷物を大きなスーツケース2個といくつかのトートバッグとバックパックにいれ、ジープの荷台に全て積み込む。自分の持ち物はこの荷台にあるもので全て、この家に返ってくることももう無い。本物の住所不定生活が始まる。ホストマザーのスーザンとおそらく今生の別れとなるであろう挨拶を交わして、旅が静かに始まった。

今回の旅はアメリカから来た武知、浅倉という古くからの親友二人と一緒に最初の1週間を過ごすことになっている。西海岸にある建築やサンフランシスコやロサンゼルスといった大都市を経由しつつ、国道101号線を通ってひたすら南を目指していく。ポートランドのチャイナタウンにあるソサイエティという名前の素敵なホテル(カフェのコーヒーが絶品)に向かい彼らをピックアップし、まず最初の目的地のマウントエンジェルという名前の神学学校へと向かう。オレゴンの南側の山間にあるこの学校に何があるかというと、アルヴァ・アアルトというフィンランドの建築家の建てた図書館があるらしかった。アルヴァ・アアルトの建築を知ったのは『火山のふもとで』という松家仁之さんが書いた小説によってだった。故・吉村順三がモデルと言われる主人公が、夏の間だけオフィスを浅間山の麓に移す建築事務所で働くそのひと夏の間の話なのだけれど、小説の中ではグンナール・アスプルンドやアルヴァ・アアルトといった北欧の著名な建築家について多く言及される。吉村順三の建築についてはこの旅のメンバー3人の中では共通認識として「良いもの」とされていて、むしろ圧倒的な正しさを持った価値観だった。そんな彼が主人公のモデルとなったこの小説で紹介されているアアルトの建築が悪いわけがなかろうと、多少の寄り道にはなるけれどもこの図書館にいくことを決めた。

ポートランドから車で一時間と少し、田舎の山奥の小高いエリアにその神学学校は静かに佇んでいた。アメリカに残されたアアルトの建築は多くない、おそらく片手で数えられるくらいではなかろうか。そのうちの一つがこうして自分が住んでいたエリアの近くに残されていたということは幸運だった。キャンパスを歩く人達はみんな新譜の着る長いローブを身にまとい、親切に挨拶をしてくれる。日のあたる大きな校庭にはたくさんのリスが日向ぼっこをしているようだった。図書館の入り口はシンプルで、建物自体も全く大きくない。中に入ると天井は低いのだけれど気持ちのいいエントランスと、小さな講堂があった。アアルトは家具のデザインもしていて、館内に展示してある椅子や机も非常にいい意味での北欧建築的な要素をもった美しさがあった。館内は円形で一階が最上階、山の斜面に沿って作られた建築であるため、そこから階段を降りて地下の三階まである構造だった。天窓からは優しく光が差し込み、それが白い壁に反射して柔らかく館内を照らしている。天から光を感じることができたり、螺旋を意識した館内の構造は神学学校にふさわしいものだったと感じる。勉強用のデスクランプや机も簡素で、年季を帯びた美しさがあった。自然で、荘厳すぎず、いくらいても飽きないような空間設計。この図書館はおそらく自分の人生において最も美しいものの一つだったと思う。

途中ウォルマートで旅用の食料や水の買い出しをしたり、サブウェイでサンドイッチを注文したりしながらどんどんと南へと下っていく。途中、夕暮れが近づいてきたので名もない街で車を停めて一服するために休憩する。各々、写真を撮ったり、8mmカメラを回したりしながらアメリカ色彩や光、そして影、雰囲気をフィルムにおさめた。こうした光景は僕が彼らに見せたかったものだったし、彼らもそれを喜んで受け入れることはわかっていた。ロードトリップにせっかくきたのだから、こうした場所に訪れなければ普通の旅とは何も変わらない。以前、僕がオレゴンの中を回ったときに、ニューポートという街の近くを通ったのだけれど、そのときに行きそびれた砂丘を行き掛けに見つけたので立ち寄る。あたりには誰もいなくて、管理人が暮らしていると思われるキャンパーに近づくと短パンにロングヘアのおっさんがかったるそうに出てきて、「写真撮るだけなら金は要らないから、さくっと見てこいよ」みたいな感じで許可をくれたので、全員で砂丘に向かって駆け出した。ボロボロの靴の隙間からは砂が入り込んで、さらさらの砂に足をとられて進むのはなかなか大変だった。しかしそこから見る砂丘と海はとても綺麗だった。そのまま海沿いを進んでいくとあたりは暗くなっていき、夜になる。適当な浜辺で車を停めて空を見上げるとそこには満点の星空が見えた。

モーテルの場所を決め兼ねているうちに時間はもう午前0時に近づいた。クレセントシティというオレゴンとカリフォルニアの境にある街のモーテルに泊まろうということになったのだけれども、ここからが大変だった。部屋を借りて荷物を積み込み、ベッドに横になっていると小さな虫がどこからかわいてきていた。全員で「まさか、、、」という表情になるが、そのまさかで、これはベッドバグ、日本語で言うところの南京虫と呼ばれる害虫だった。噛まれると死ぬほどの痒さと、人によっては高熱とだるさががでる虫で、その繁殖力たるやゴキブリ並みで、もし卵を産み付けられようものなら服や車の中ですら繁殖してしまう。画像検索をしてこの虫が確実に南京虫だということを突き止め、部屋を変えてもらうようにオーナーに交渉する。オーナーは一切その非を認めなかったが隣の部屋を貸してくれた。その隣の部屋を確認するためにドアを開けた瞬間、大きな蛾の死体が転がっているのが見え、僕たちはこのモーテルから出ることを決めた。これが深夜の1時くらいの出来事だった。生まれて初めてベッドバグに遭遇したけれど、アメリカ旅行で安宿を使うならこの問題はついて回る。その向かいにあったアメリカズベストバリューインに行き、事情を説明すると「まあ、なんと大変だったこと!それじゃあ来ている服を全部この袋の中にいれなさい。洗濯乾燥をさせるまで絶対にあけちゃ駄目よ」と大きな黒いビニール袋を渡された。この時間にチェックインしたというのに値段はとても良心的で、モーテルのオーナーもとても優しいヒスパニックのおばちゃんだった。酷いことというのはそうそう続かないもので、何か悪いことがあったときにこうして良いことがあると、普段の何倍も嬉しく感じる。部屋に入る前にお互いに着ている服に虫がついていないか入念に確認し、部屋に入り「念のため」シーツやマットをひっくり返してベッドバグがいないかどうかを見て回る。その後全員でパンツ一丁になって、来ていた服をゴミ袋にぶち込んで密閉する。ベッドに飛び込みスプリングの具合を確認しながら、隣で荷物を整理したりコーヒーを入れたりする友達をみていると、全員でこうしてモーテルに泊まりながら旅をすることはやはりとても楽しいと思った。一人の旅はそれはそれでいいけれど、こうして感覚を共有できる友達との旅はまた格別なものがある。そして、このアメリカズベストバリューインは間違いなくこれまででベストのモーテルだった。

hiroshi ujiietravel