ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SEE EVERYTHING ONCE -DAY23-

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朝ごはんを食べにモーテルの近くにあったワッフルハウスにいく。ワッフルハウスは前回アリゾナに行ったときに食べた面白いおじさんたちのいたレストランで、この店がチェーン店であることをこの時に思い出した。どの店でも変わらない看板、内装、店構え、そしてメニュー。陽気なスタッフとフレンドリーなウェイターさんたち。近所の常連客がスタッフの人達とにこやかに会話をしている風景もまるで変わらない、古き良きアメリカンダイナーのように見えてくる。ワッフルハウスにはジュークボックスが必ず置いてあり、その中の曲の歌詞には必ず「ワッフルハウス」という単語が使われているという、そのエピソードからしてこの店を愛さない理由は一切ない。店内がよく見渡せるように一番奥の角の席に座り、ワッフルとコーヒーを頼む。テーブルに置いてあるマスタードやケチャップ、そして赤いビニール張りのソファの硬さも最高だ。大きな二枚組のワッフルにバターを載せてメープルシロップをたくさんかける。格子状に凸凹になっているワッフルの表面にシロップがたまって染み込んでいくのを見ているのは幸せ以外の何物でもない。味はいい意味で単調、そしてそのワッフルをコーヒーでガンガンに流し込んでいく。この店ではコーヒーをおかわり自由だから、残りを気にせずいくらでも飲むことができる。おかわりする度に店のおばちゃんがユーモアたっぷりの会話とともに注ぎにきてくれるのだから、お腹がいっぱいだとしても店を出る前にもう一杯頼んでしまう。もし、僕がダイナーを経営することになったら絶対に「味の濃すぎない、まあまあのコーヒー」を「おかわりし放題」で提供するだろう。美味すぎないことと、高すぎないことと、気兼ねなく飲めるということはこんなにも素敵な体験をさせてくれるのだから。

ワッフルを食べているときにふと顔を上げて窓の外を見ると、大きな馬車が道路を通っている。ここランカスターはアメリカでもかなり大きなアーミッシュカウンティで、こうして馬車を見かけるのは日常になっている。今日はこのままウェストバージニア州のアパラチア山脈を目指して走る。アパラチア山脈というと、トランプ大統領が言うところのヒルビリーが住む土地とされている。ヒルビリーと検索するとアメリカの田舎者を揶揄したようなユーモラスな動画がたくさん出てくるのだけれど、その実、貧困から来るドラッグ問題、犯罪が多く、日本の限界集落を更に凶暴化させたような負の温床のような場所でもあった。語学学校でニューヨークタイムズなどの新聞を読んだときにアメリカの負の部分について知ることが出来たのだけれど、軽く馬鹿にできるほど簡単な問題ではなかった。炭鉱での労働は危険がつきものだし、その様子を想像するとサローヤンの小説を思い出した。ただ、これはあくまで自分が調べて得た知識だったから、実際にその光景を見てみないことには判断がつかないと思い、今回の旅ではアパラチア山脈を通るルートを選んだ。これが冬だったとしたらとてもじゃないけれどこのルートは取れなかっただろう。

どの道中にハーパーズ・フェリーという南部戦争時代のゆかりの場所を通った。ポトマック川とシェナンドー川の合流地点にある三角州にあり、弾薬庫や鉄道がある重要な拠点がかつてあった場所だ。街全体が観光地化されていて、当時の様子をできるだけ残した建物が多く残っていた。鉄橋はあるいてトンネルの前までいくことができ、そこから見下ろすポトマック川は青くて綺麗だった。気持ちのいい風が吹いていて、強い日差しがなければいつまでもそこに入れただろうと思う。遠くから鉄道が走ってくる音がすると思ったら、本物の鉄道が僕達のすぐ脇を走り抜けた。この線路は当時から今までずっとこうして使われ続けているのだと知った。

アパラチア山脈を目指して走っていると、ロストシティという名前のサインを見つける。僕の旅が長引く理由としては、こうした「かっこいい名前」の場所を見つけるとついついルートを変更してしまうことも一因だった。今回も例に漏れずルートを変え、ロストシティを目指して山の中を走っていった。ロストシティの近くにはロストリバーがあり、さらにその川沿いにはロストリバー州立公園があった。街は小さな田舎のスモールタウンだったのだけれど、家並みは綺麗とは言えず、人気もなかった。ロストリバー沿いに車を走らせると壊れた洗車場やらグロサリーストアやらが並び、州立公園には人一人いなかった。誰もいないバーベキューピットや野球場は鬱蒼とした森に囲まれていて、僕が出会ったのは二匹の鹿のつがいだけだった。そのまま山の中に進んでいくと森のなかにひっそりと佇むオンボロのトレーラーハウスがいくつかと、ほぼ廃屋とかした木造小屋があり、それらの前には同様にぼろぼろになった車が置かれていた。これがおそらくヒルビリーと呼ばれる人たちの暮らしの一部なのだろうと思う。そのまま進んでいくと畑や牧場をいくつか見かけた。道中通り過ぎる農作業用のトラックや、すれ違う車の運転手からはサムズアップをされたり、微笑んでくれたりしたのは印象に残っている。山の木々の隙間からはこれから紅葉を迎えそうな山並みと、黄金色に輝く夕焼けが見えて、その夕日が緑色の畑や草原を綺麗に染め上げるのは本当に美しかった。

山から降りる途中道を踏み外して、後輪が1mくらい下におちて車が危うく横転仕掛けたときはもうだめかと思ったけれど、ジープの堅牢な車体はそんなことにはびくともせず今まで通り進みだした。山から出たときにはもうあたりは真っ暗だった。途中で見つけたエルキンスという街でガスを入れるために車を停める。調べてみたところ、ここはヒルビリータウンと呼ばれる集落のうちの一つだった。確かに街は荒れているし、何よりガンショップがこの街で一番立派だったのがその理由だと思う。そのままフェアモントという街のモーテルまで走っていき、この日の旅は終わった。調べるだけでなくて自分の足を使ってその場所を見ることにはやはり意味がある。もし僕がもう少しこの集落や山間部に滞在できたらより深くをしれたのかもしれない。ただ、それはロードトリップにおいては難しいことで、移動しなければという思いが僕をこの場所に留まることをさせなかった。旅は本当に難しいと思った。

hiroshi ujiietravel