ESSAYS IN IDLENESS

 

 

TRIP TO TAIWAN -KAOSHIUNG~TOKYO / DAY13~14-

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DAY13

高雄二日目もこれまでと同じように何も決めず、何も考えずにただ街を歩いていた。ホステルからほど近い中央公園を経由し、そのまま歩いて海沿いへ。お腹が空いたらどこかの店に入ってみたり、本屋にいって雑誌を立ち読みしてみたり。レコード屋に立ち寄ってみたり、古本屋に寄ってみたり。川沿いにあったフィルムセンターのところには富田克也さんの名前が掘ってあった。唯一読める名前がそれくらいだったのだけれど、おそらく侯孝賢や有名な台湾の映画監督の名前もあったのだろう。その向かいに流れる愛河を眺めながら、ベンチに座ってタバコを吸う。このフィルムセンターの前にあるベンチはおそらく上映にも使われているようだった。川沿いの映画館で屋外での上映が見れるなんて最高じゃないだろうか。たまたま立ち寄った古本屋で、台北で諦めたベンダースの「Once」という本を偶然見つけることが出来た。あの時買わなくて後悔していたのだけれど、ここでまた巡り会えるとは!出会えたことの嬉しさと、手にとって改めて眺めた時の感動はひとしお。漢字で「一次」というのが「Once」に相当するらしいのだけれど、日本語話者としては少し違和感があっておかしな感じがする。※ちなみに中国語で全部書いてあるので何が書いてあるのか全くわからない、ただ装丁は中国語版のほうが素敵だと思う。

その古本屋の近くには高雄市立図書館がある。広い敷地の中に、真四角のガラスキューブのような近未来感のある建築物がそれで、一瞬、地元にある仙台メディアテークのような印象を受ける。高雄の風景の中にこうした建物が急に出てくるとそれはそれでちょっと仰々しいのだけれど、入らずにはいられない。エスカレーターで地上二階にある入り口に入る。建物は全部で八階建てくらいあっただろうか、かなり広いフロアがたてに連なり、屋上は開けていてだれでもが入れるようになっている。エスカレーターで屋上に登ると高雄市のエキシビションセンター、そして海が見渡せる。ちょうど夕暮れも終わりかけで、あたりは暗くなってきていて、海から吹いてくる涼しい風が心地良い。この時間までTシャツで過ごしていたのは僕だけしかいなかったけれど、持ってきたジャケットを軽く羽織ってしばらくこの素晴らしい展望を眺めていた。海が眺められる図書館がもし地元にあったとしたら、毎週でも通いたいと思うだろう。図書館の中を少し見て回る。目当ては欧米文学の中国語版を見てみることで、装丁や、中国語訳の名前から著者名を類推するのがとても楽しかった。別に中身も理解できるわけではないのだけれど、例えばヘミングウェイの『武器よさらば』は『永别了,武器』となり、日本人には容易に想像が着くのでわりと飽きずに、暫くの間いろいろな本の装丁を眺めていたように思う。図書館には中学校や高校指定のジャージをきた学生が一生懸命勉強している姿が多く目に着いた。本当に羨ましい環境だと思う。

晩御飯に何を食べるのかを考えるのももはや面倒だったので、昨日と同じ水餃子屋へといき、また30個の水餃子を注文した。昨日見かけたおじさんはこの日も店に立っていて(たぶん毎日いる)、こちらの顔をみるなりすぐに笑顔になり注文を取りに来てくれた。ピースサインに、両手を使って十字を示す。これは20個注文でいいか?ときいていることを表しているのだけれど、こっちは指を三本たてて、さらに両手を使って十字を作る。普通に「サンシー」と言えば30個ということになるのだけれど、このおじさんとの間に出来たこの奇妙な風習を使って意思疎通するのが楽しかったので、敢えてジェスチャーを使ってみた。旅行をするに際して、ろくに中国語の会話も覚えてこなかったのは少し後悔していて、英語があればなんとかなるだろうという奢りがどこかにあったことも自覚している。ただ、それは訪れる国への敬意が足りないと感じるし、次に台湾に訪れるときには店での注文くらいはできるようになっておこう。近い将来の話になるだろうし。

もちろん、そのあとの流れも昨日と同じで、グッドマンコーヒーのパティオの同じ席で、暖かいチャイを飲みながら通り過ぎる人々やスクーターを眺めていた。これ以上に心地良いと思える時間の流れ、過ごし方はそうそう無いだろう。この水餃子とコーヒーの流れを再現するためだけに毎年高雄に訪れてもいいと思えるくらい、僕はこの街のことが好きだと思った。結局、この街にいる間に考え続けた、「なぜ高雄は居心地がいいのか」ということについては明確な答えは出なかった。人が少ないこと、ご飯が美味しいこと、文化的施設や嗜好品を楽しめる場所があること、自然が近いこと、これらすべてを満たしているということ以上のものがある気がする。この街独自の空気感を再現できる街も都市も思いつかないし、もしそれを日本に見つけられたとしたら東京から離れて暮らすことをすぐに決断するだろう。

DAY14

朝起きて高雄の空港から東京へと戻る。これでついに俗世への期間となる。本当に長かった一年を超える海外での生活もようやく終わるし、住所不定の状態が三ヶ月以上も続くということもなくなる。文字通り地に足を付けた生活にもどっていくのだろう、なんてことを考えていたらすぐに眠りに落ちてしまい、あっという間に東京だった。想像では、旅の終わりを惜しんで飛行機の窓を眺めながら涙でも流すのだろうかと思っていたけれど、魔法にかけられたように眠りに落ち、夢も見ることもなく、ただよだれを垂れ流しているだけだった。空港で久々に食べる料理はリンガーハットで、それはとても自分にとっては懐かしい味で、でもやっぱり台湾で食べた牛肉麺のほうが美味しいし安いと思う。すでに台湾が恋しい。帰りの高速バスで徐々に東京の中心へ向けて戻ると、気づく頃には夕焼けになっていた。首都高はオフィスビル群の間を縫うようにして進んでいく。夕焼けがビルのガラスを太陽の色に染め、その光が反射してバスの窓から差し込んで来る。企業の看板やホテルのネオンサインが徐々に光を灯し始め、その光が後ろに次々と流れていく。これが東京のランドスケープだと、そしてそれが美しいものだと気づく。それが自分の中で新しい感覚だと思えたことは嬉しいことだった。海外から戻ってきたばかりだから、まだここが自分の居場所という気はしない。それでまだ自分が海外にいるような気さえしてくる。東京駅に着くと、年明けで仕事が始まったサラリーマンがぞろぞろと歩いているのを見かける。その人達の隙間を重い荷物を引き釣りながら縫うように歩いて、ルノアールでコーヒーを飲んで、代田橋にある友人宅へと帰った。明日から本格的に日本の生活が始まるかと思うと残念な気持ちにもっとなるものかと思ったけれど、意外と淡々と事実を受け容れている自分がいることに気づく。そう言えばまだアメリカの旅を振り返ってもいないし、諸々の整理もしていない。やることがたくさんあるけれど、しばらくは実家でゆっくりと身体を休めたい気もしていた。代田橋について浅倉と話すと、やっぱり東京にいるのは楽しいなとつくづく思う。

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