ESSAYS IN IDLENESS

 

 

CAMPING IN THE COLD NIGHT

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アメリカでの日々の記録を見返していると、まだ文章に起こしていない部分があることに気がついた。アメリカの旅の記録をする前に、少しだけポートランドでの日々を綴っていきたい。アメリカから帰った後に友達によくする話の一つで、マウントフッドというポートランドから車で一時間ほどの場所にある「オレゴン富士」と呼ばれる山にキャンプをしに行った時の話。

当時は2017年の10月の半ばで、アメリカ第二回目の横断の少し前だった。日本人の友人2人と一緒にキャンプに行こうという話になった。当日にウォルマートで格安のテントと冷凍食品を買い込み、ボロボロの中古車に乗って山を目指した。「いや〜、車持つかな〜、大丈夫かな〜?」という友人の言葉は、半ば冗談だと思っていたが、旅が進むにつれて徐々に危なげな予感がしてきた。無論、山に向かうということは上り坂を登っていくということになる。エンジンに負担がかかっているから、ギアがうまく入らないということが度々起きる。エンジンから異音がするのでたまに車を休めたりするものの、上りがきつくなったところで社内の空気が若干白んで来ていることに気づく。後ろを振り返るとまるでバルサンを炊いたように車の中に煙が吹き出してきているではないか!急いで車を路側帯に止め、ボンネットを開けてありったけの水をエンジンにぶっかける。それだけでは足りないのでウォッシャー液もぶっかける。ハイウェイでスタックしたのはこれが人生で初めてなのだけれど、不思議と怖くないというか、なんとかなる気がしてくるのが面白い。そして車を止めた場所はマウントフッド中腹の渓谷の部分で、ガードレールの下は何百メートルあるかわからない崖だった。落ちたら死ぬかもしれないな、と思いながらその崖の縁までいって用を足す。間違いなく人生ベストの景観でトイレをしている。遠くからこの光景を望遠レンズで撮ったら、きっと渋谷ゆりさんのヨセミテの写真のようになるに違いないと思った。タバコを吸ったりしながら時間を潰し、エンジンがある程度冷えたところで車にエンジンを入れる。トリリウムレイクという非常にきれいな湖の畔にあるフリーのキャンプサイトが今日の目的地だったのだが、そこまで30分ほどドライブをした。

キャンプサイトは鬱蒼とした森の中にある。アメリカの森林は密度が濃いし一本一本の木の高さが日本の森よりも高い。まだ夕方まえだったけれど、森の中に車を進めると夜になったように暗くなった。そして寒かった。まだ光が残っているうちにテントを張って、食事の準備を済ませる。火をうまく起こせなければ今日は寒空の下で空腹を我慢するしか無い。樹木は全部湿っているものだから使えず、トランクに偶然入っていた炭とダンボールを利用して着火する。100円均一で買った鉄板と網を駆使して冷凍食品に手を通していく。なぜキャンプではすべての食材が信じられないほど美味しくなるのか、その理由は知らないけれどただ焼いただけのソーセージや出来合いのチャーハンがやたらと美味しく感じられた。食べ物を食べ終わると、身体がどんどん寒くなってくる。10月半ばとはいえ、ここは標高3000m近い山の中。余裕で耐えられると高をくくっていたけれど、既に足は徐々に感覚を失ってきていた。当初、食べ物を持ち込まず釣った魚でキャンプをしようと楽観的に考えていたけれど、もしそれを実践していたら本当に大変なことになっていただろう。

トリリウムレイクというのはオレゴンの観光名所に挙げられるほど有名な場所で、晴れた日にはカヌーやSUPができたり、泳いだりもできる素晴らしい場所だ。湖から見えるマウントフッド山頂は信じられないほど美しい。頼りないキャンプファイヤに当たりながら空を見上げると、鬱蒼と茂る木の枝の間から、空一面にまばゆく輝く星が見えた。もしこの火を放置して、湖に行けばとんでもない光景が見れるのではないかという期待から、全員で車に乗り込み湖を目指した。湖まで文字通り真っ暗な道(街灯もなければ対向車もいない)を10分ほど走り湖へ乗り付ける。暗すぎて車止めが見えず、後輪が着水してしまってかなり焦ったけれど、車から降りると今まで見た中でも一等美しい星空が見えた。純粋な星の輝きだけで浮き上がるマウントフッドと、頭上に広がる満点の星空には雲一つない。その星空が湖に鏡のように反射し、上も下も星の輝きで満たされている。月も出ていないし、周りに都市のあかりもなく、星を見るには絶好の機会だった。あまりの凄さにアドレナリンが出てしばらく寒さを感じなかったのだけれど、いったん冷静になるともはやその寒さは耐え難い。急いでキャンプサイトに戻ったけれど、せっかく起こした炎は今まさに消えゆくところだった。仕方ないので歯を磨いて寝袋に入る。持ってきた毛布を身体にぐるぐる巻きにして置いたのに、足先は凍るように冷たかった。

翌朝起きると顔は凍っているんじゃないかというくらい固く冷たくなっていた。身体はバキバキでまったく疲れが取れていない。もうこれは温泉にいくしかないということで、マウントフッドの中にあるバグビー温泉という無料の温泉を目指して車を走らせた。Google mapで道を探してみたところ、40分で行ける近い道と、1時間40分かかる大回りの道が提示された。この先の運命を知らない僕たちはなんの迷いもなく近い道を選んだ。今思えばこの選択は本来このように考えるべきだった。「短いが大変困難な道か、それとも時間はかかるが普通の道か」

意気揚々と現代の知の集積ことGoogleの指し示すままに進んでいくと、どんどんと道が細くなってくる。最後にたどり着いたのは森林伐採の大型トラックやブルドーザー、オフロードカーが通るような極めて状態の劣悪な酷道だった。もしかしたらイケるかもしれない、となぜその時考えたのかは分からないが、この社内にいる3人のうち誰も引き返そうとは言わなかった。極度にぬかるんだ道にタイヤを取られ、重いタイヤに削られた地面には深い泥の水たまりが無数に出来ている。ルートを取り間違えればこの中でスタックするし、あまりにスピードを出しすぎるとその中に潜んでいる大きな石で車の底を強打してしまう。慎重に進みながらも、その水たまりは避けられず、すべてのガラスが吹き上がる泥によって赤茶色に塗りつぶされてしまう。ワイパーを動かしても、すでにウォッシャー液はエンジンの冷却に使い切ってしまっているので、絵の具をブラシで伸ばすかの如く、事態をより悪化させることにしかならなかった。飲料用の水をまどにかけてワイパーを動かし、なんとか視界を確保すれども、水たまりは無限に続いている。もうどうしようもないと判断し、その酷道の中腹で別ルートを取ることを判断した。この車は本来銀色の車体なのだけれど、今は泥でボディのすべてが茶色になってしまっていた。もちろん車体の底の部分も茶色だし、地面から吹き上がった泥はエンジンルームのすべてのパーツにしっかりとかかってしまっていた。もはや笑うしかなかった。

もう一つの道は平坦で、極端な上りもくだりもなく、順調に進んでいた。まず間違いなく正午には温泉につけるだろうという見込みで、先程のトラブルなんてなかったかのように、車窓からかろうじて見える渓谷を流れる川や、美しい山並みを堪能していた。その時、「あれ?」という声とともに車のスピードが落ちていく。「ギヤが入れへん。」そう、恐れていた事態が起きてしまった。それは故障により自走不可能になることだった。しかもこんな電波の入らない山のど真ん中で、車通りもめったにないところで。。。。

ひとまず車を手で押して路側帯に寄せる。誰かが声をかけてくれるようにボンネットを開けてひたすらまつ。待てども待てども人は来ない。仕方ないので、トランクに積んであったサッカーボールで遊んだり、バレーボールで遊んだり、スケートボードで下り坂をひたすらプッシュで下ったりしていた。アメリカ人というのは人助けを自発的に行える人種である。これはアメリカに1年滞在してわかったことだ。だから明らかに困っているという雰囲気を醸すことによって、必ず助けてもらえる、少なくともここポートランドでは間違いなくそれが通用する。その思いは通じたのか、ある時間をすぎると何台か車が通り、そのうちのほとんどの車が僕達に声をかけてくれた。
 

・気前の良さそうな犬を連れたヒッピー風カップル
「ヘイ!大丈夫かい?走れないんだったら、この近くの街にいってレッカー移動頼んでおいてやるぜ」
「はい、お願いします!僕たちは携帯が使えないのでここで待っていると伝えてください」


・ベンツのGクラスに乗ったおしゃれな若者
「こんなところでスタックするなんて辛いよな。俺の車じゃあ牽引も出来ないし、してやれることがないよ。俺も昔アラスカのどっかわからんところ(Middle of nowhere)で吹雪の中動けなくなったときは死ぬかと思ったよ。もうマリファナ吸うしかやることがなかったね。マリファナ吸う?」
「いえいえ、いまはハイになってる場合じゃないんで(笑)」


・自称メカエンジニアのメガネを掛けたお姉さん
(道路に落ちたオイルを触って指でこすりながら)「ん〜、これはトランスミッションオイルね。残念だけどこの車はもう走れないわ。後続の車に牽引を頼むか、レッカー移動しか無いわね、グッドラック!」
一同「かっこいい〜〜〜〜」

・サブマシンガンのようなごついライフルを積んだ、糞でかいハマーに乗っている完全にイカれた風貌の汚れた迷彩服のセットアップを着たハンターの二人組
「へーい!よお大丈夫か!こいつはメカエンジニアだから車の修理ができるぜ」
「ちょっと見せてみろ、うーん、どれどれ、、、(エンジンのオイルの匂いをかぎ、少し舐める)あぁ、これはダメだ。完全にミッションがイカれちまってるし、そもそもこのエンジンルームは死にかけじゃねーか。修理どうこうって問題じゃねーぞ」
「すみません、ありがとうございました。ところで車の中に積んであるのはライフルですか?」
「おおよ!ちょうどハンティングから帰ってきたところだからな。気持ちいいんだよハンティングは!まあとにかく頑張れ!グッドラック!」

・ポートランドで教師をやっているという男
「君たち大丈夫かい?」
「すみません、ポートランドまで行くんですか?!だったらこの男を街まで連れて行っていただけませんか?」
「僕も保育園に息子を迎えにいかなきゃならないからなぁ。。」
「そこを何とか!」
「じゃあひとまずここに乗ってくれ」
「ありがとうございます!」

そんな感じで、3人のうちの一人をポートランドに送り返して別の車で僕らをピックアップしてもらう計画を立てた。あとはレッカー移動の車を待って、どこかのガレージまでこの車を移動してもらい、車は手放すという算段だ。レッカー車がいつ来るかわからないので、またひたすら道路脇でぶらぶらしながら時間を潰した。レッカー車はレッカーされる距離に応じて費用が変わるので、少しでも安くしようと全く動かない車を押し進めてみることにした。坂の上までひたすら押し、下り坂に入ったら開けたドアから乗り込む。その繰り返しだ。下り坂のときに車の屋根に乗ってみたりしたけれど、サーフィンをしているみたいで楽しかった。しかし数マイルも進むと疲れがピークに達し、もはやこの作業にどれだけの意味があるのかもわからないので、川の見えるところに車を停めて昼寝をした。

レッカー車が僕達をピックしにきたのは午後の五時をまわったあたりだった。少なくとも5時間くらいは待っていた気がする。Tシャツに、スキンヘッド、信じられないくらい太い腕、アメリカの親父をそのまま体現したような体格のおじさんが大きなレッカー車から降りてきた。おじさんは慣れた手早い手つきで車を荷台に載せる。僕らはそのレッカー車の助手席に乗り込み、おじさんと一緒に近くのエスタカーダと言う街まで40分ほどドライブした。日が沈むと、あたりは昨日と同じくらい寒いのだけれど、おじさんは窓を開け放ち、暖房をかけることもせず、太い腕をいかにも「クソあちぃぜ」という感じで窓から出している。窓から吹き込む風でこちらは凍死寸前だったのだけれど、そんなことはお構いなし。Tシャツ一枚と肉の壁で彼の身体は完璧に守られていた。これは日本が戦争のみならずあらゆるスポーツでアメリカに勝てない理由にほかならないような気がする。

エスタカーダのガレージにつき、車を一時的に預かってもらう手続きを済ませると、ポートランドに戻っていた友人がちょうど迎えに来てくれるところだった。その車に乗り込むと同時にすごく安堵感が感じられた。まともな車の乗り心地と、何があっても目的地につけるだろうという安心感と、この長く退屈で危険な一日の終りとが同時に感じられたからだと思う。その日は疲れ切っていたので、家に帰るとすぐに眠りに落ちてしまい、日記に記すことも出来たなかったけれど、いまこうして思い出しながら書いていてもその時の光景も言葉も鮮明に思い出せるのは、この時の体験が自分の中に強く刻み込まれているからだと思う。この体験のことを面白おかしく話すことができる、というのは本当に幸せで、もしより厳しい季節に同じ目にあっていたらもっと危ない事になっていたかもしれない。だから、次の旅ではしっかりとメンテナンスされた車を使おうと思ったし、危ない道は極力通らないようにしようと誓った

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