ESSAYS IN IDLENESS

 

 

TRIP TO TAIWAN -TAITUNG~TAINAN / DAY6~8-

台東のバスからの風景

台東のバスからの風景

2018年1月22日月曜、外は数年ぶりの大雪。外は降り積もる雪で明るく、身を切るような寒さで煙草を一本吸いきることができない。たくさんの人が帰る方法を無くしたり、いつもと違う外の様子にはしゃいでる中、実家の石油ストーブの前で暖かかった台東のことを思い出す。
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DAY6

電車の中で眠りこけているうちにいつの間にか台東へと到着。かろうじて起きていた時に見えた電車の車窓からの風景はまるでアメリカのアムトラックでカリフォルニアコースト沿いを走っていた時のようだった。古めかしい電車の窓は横に長く広い、そこから広がる青い空と海はこれまで見てきた灰色の景色とは全く違う、南国らしい青さだった。台東駅に到着し、ホステルへと向かう。繁華街から少し外れたところにある、気持ちのいいパティオのある素敵なホステルだった。そのパティオにはたくさんの野良猫がまるで飼い猫のようにたむろしている。中に入って手続きを済ませているとソファに座っている僕の脇に、そのうちの一匹のずんぐりとしたふわふわの猫が来てのんびりとあくびをした。どうやらここが彼の定位置らしい。

手続きを済ませて近所にあった食堂へいく。近くには人気の食堂がたくさんあったようで、お昼前になると地元の人で賑わう店が多かった。なんとなく忙しい店に入るのは気が引けたので、そのお店の近くにあった別の店に入ると店員のおばちゃんが優しく笑いかけてくれた。野菜炒めと台東名物の米苔目(カツオ出汁の米麺)、そして魯肉飯を頼む。一口食べたときに、あまりにも美味しすぎて笑ってしまった。これまでも美味しい料理は台湾でたくさん食べてきたけれど、その中でも群を抜いて美味しい。各エリアごとに微妙にスープの味や麺の種類、魯肉飯の肉の味付けや大きさが違う。そしてこの台東の基本的な味付けは自分にとってとてもマッチしていた。帰りしなにお茶を買っていったんホステルに戻り、パティオに座ってお茶を飲みながら煙草をふかしていた。気温は高く空は快晴。流れる空気は穏やかで優しい。一応リゾートなのだろうけれど変に気取るところもなく、ぬるい風を感じつつ、時たま走り去るスクーターの音を聴きながら暫くぼーっとしていた。この空気感は台北の他のどの街とも違っていて、似ているようで非なるものだと思う。そしてそれは当初一泊する予定だったこの街に、もう一泊する理由になった。

歩いて海までいけるというホステルのオーナーの話をきいて、夕方までは海の方を回ってみることにした。少し寂れた街の雰囲気はこの快晴の空にもマッチする。沖縄には言ったことがないのだけれど、もしかしたらこんな雰囲気なんじゃないかとも思う。海には僕の他に数人の若い観光客がいるだけだった。少し執拗なレンタサイクルの押し売りをスルーしつつ砂浜へと向かう。こじんまりとした1キロもないくらいの海岸は青い波が高く押し寄せている。風は強く肌が潮風を浴びてべたつく。しかし12月も末だというのに26℃もある台東の空気は、それすらも心地の良いものにしてくれていたように思う。海岸線をゆっくりと歩いていくと、森林公園があり、その中をまたゆったりと時間をかけて散歩をする。森の中の日向に野犬が10匹くらいダラっと気持ちよさそうに寝ている。そういえば台東の街は番犬が番犬として機能していない、それはこのゆるりとした空気と暖かさがきっと関係している。赤道に近づくに連れ居眠りする犬が増えるらしいのだけれど、どうやらそれは本当のようだ。そのままひたすらあるき続け台東の繁華街へと戻ってくる。歩くと言っても3時間もあれば十分なほどで、それほどこの台東という街は小さい。ホステルに戻る前にお茶を買って火照った体と、痛くなってきた足裏を休ませることにした。

旅先のことについて調べる、ということが嫌いで効率のいい旅が全くできない。そもそもする気がないのだけれど、いつもは泊まった宿の人にローカルの人が好んですることを聞いてみることにしている。ホステルの人に聞いてみたところ夕方以降に楽しめる場所として、知本温泉という温泉街がバスで40分くらいのところにある。ここは観光客にも人気のスポットだけどオススメだよ、とのことだったので、これまでの旅で自転車に乗ったり歩き通したりすることが多く、体を休めるためにも行ってみることに決めた。おそらく海外かどこかの会社の払下げの大型のバスが長距離用の運行バスとして使われているのだろう。僕の乗ったバスはボルボ製で、無駄に豪華な内装が田舎のリゾート感をより演出する。バスに乗ったら眠ってしまったみたいで気づくとバスは鬱蒼とした山の中を走っていた。とっくに知本温泉は通り過ぎていたため、追加の運賃を払いすぐにバスを降りる。山沿いの空は灰色で曇りがちで、この空の色を見ているとこれまでの旅のせいか少しだけ懐かしい気分になる。おそらく2キロほどだろうか、バスが通った道を歩いて戻る。廃れた温泉街の雰囲気と生い茂る緑は不思議なくらい良く合っている。紹介された温泉以外にもたくさんの温泉施設が点々と道路沿いに看板を出している。どこからかチープなカラオケ音源が鳴っていると思ったら、温泉施設の脇のあばら家のようなスナックでおじいさんが台湾の歌謡曲を歌っているところだった。その声は山間にぎりぎり響かない、なんとも言えない音調だった。僕が温泉についた頃にはもう辺りはすっかり暗くなっていて、夜道を歩くのは不安になるほどだった。温泉は広く、サウナや水風呂も完備されていた。日本の温泉のような豪華絢爛なものを想像していると少しがっかりしてしまうのだけれど、毎日狭い個室シャワーで過ごしていた身としてはゆっくり体を伸ばせるだけでありがたいというもの。湯船に長く入るのが好きではないのだけれど、この日だけは何度もサウナに出たり入ったりしているうちに一時間以上も経っていた。更に驚くべきことに温泉の効果で自分の肌が間違いなく滑らかになっていて、嬉しいのだけれどなんだか気持ちが悪かった。

温泉からバスで帰る時にそれは起きた。45歳くらいの中年のおじさんが、バスを運転し始めた途端車内で音楽をかけ始めた。そしてそれは90年代風のサイケデリックなチープなトランスミュージックだった。あまりにもあらゆる雰囲気を無視した、死角からの攻撃に一瞬面食らうもなぜか笑いが止まらない。そしてバスの窓から見える檳榔子の虹色のネオンの光が暗い車内に差し込んで来た時、このバスの中のアシッドな雰囲気は最高潮に達していた(はず)。刻まれるアホらしいビートは僕の身体にすぐに溶け込んでくる。全く好きでもない音楽なのに否応なしにのらざるを得ない。今すぐボングもってこい!と言わんばかりのこの光景は空賊のサウダージのような退廃を思い起こさせ、台東という一見のんびりとした田舎にとっての一服の清涼剤となった。夜ご飯も近くの料理屋で食べた。野菜麺と水餃子。閉店間際にいったけれど、暖かく迎えててくれ、身振り手振りで商品の説明をしてくれるおじさんは本当に優しかった。全く何を言っているかわからなかったけれど、閉店時間だけどゆっくり食べろ、と言ってくれていたと思う。時折聞こえるのが「ドンウォーリー!」ということだけは暫く経ってからわかったのだけれど、その優しさを含めてあの小汚い食堂は最高に優しい味がしたと思う。


DAY7

だいぶゆっくりと眼を覚まし、朝ごはんを探しに街へと出る。早點大王という地元の人もよく来るお店で焼餅と油條(揚げパンとチュロスのようなもの)、そして暖かい豆乳を頼む。これがいわゆる台湾流の朝ごはんらしい。素朴な素材の甘さが素晴らしく、もちもちとした焼餅は少し酸味のある豆乳との相性も抜群だった。味も濃くないのでさくっと食べれるかと思いきや、食べるほどお腹の中で膨らむ焼餅と油條は寝起きにはあまりにも辛い。なんとか食べきるが暫くは動けなかった。僕が食べている間にも地元の人達は大勢この店にやって来ては大量の焼餅を持ち帰っていった。

ホステルのオーナーの話では台東を満喫するコツはただ一つ、スクーターをレンタルすることだけらしい。「そして君がいくのは9号線か11号線だけだ!!」と決め台詞のように行っていたが、少し運転が不安なのとレンタルバイク屋が遠かったのでバスで台東近郊にある鹿野という街へといくことにした。日本人村があるというこの街は、昔の日本人が建てた家屋の残る数少ない街らしい。正直その情報はそこまで重要ではないのだけれど、台東の田舎を自転車で走ってみたいというそれだけだった。再び無駄に豪華なバスに乗り込み1時間弱の山道をバスに乗って進んでいく。僕の他には数名のご年配の方々が乗っていて、ご近所ばなしのようなことを隣同士でしていた。とその時、昨日の夜に聞こえてきたあのトランスミュージックがまた車内で聞こえてきた。穏やかな田舎の山間の昼下がり、ご年配の方々の談笑をかき消すかのように鳴らされたマッドなダンスビート。それを聴いた瞬間に思わず窓の外を見てニヤニヤとしてしまうのだけれど、その瞬間に窓から見えた大きな川が綺麗だった。普段だったら絶対に許せないミスマッチも、なんだか許せてしまうのは台湾に来ているからだろうと思う。そんな時間を何十分か過ごすと、何もない山中の平野部にある鹿野という小さな街についた。バス停の近くのレンタサイクルでボロボロの小さなマウンテンバイクを借りて、パイナップル畑の間の道を走ってみたり、汗をかきながら高台に登ったりしてみた。高台に登る最中にあまりに車体がギシギシと軋むものだから、途中から漕ぐのをやめて歩いて登った。高台から見る村や、山間を流れる川、そして渓谷と気持ちのいい風を見るとその疲れも吹き飛んでしまう。その景色はとてもありふれた光景なのだけれど、日本で見ることは敵わないのかもしれないなとふと思った。街と街の距離感だったり、山の勾配や川のうねり具合や山の緑色だったり、点在する民家がポツポツと山の中に佇む様子だったり、そうしたいかにもありふれた光景が目の前に広がっていたことはこれまでなかったのかもしれないと思った。だから、高台から自転車で降りてくる時に何度も漕ぐ足を停めて、景色を眺めては無駄に休みを入れていた。普通の観光客ならば、ここで自転車を返しに行くのだろうけれど、僕はそこから10キロくらい先にある別の街まで自転車で行っていた。ひたすらサイクリングロードを走り続けた先にあったのは本当に、本当になにもない小さな村だった。あまり観光客が来ないエリアなのだろう、道行く車や歩く人全てが僕のことを変なものを見るような目で見ていたと思う。開いてる店も一つもなかったので、そのまま来た道を引き返した。自転車屋の人に「どこまで行ってきたの?」と言われた。してきたことを答えたら、そんなことをした人は今までいない。と言われ笑われた。

街へ戻り、シャワーを浴びて夜ご飯を食べに行こうと思ったその時、僕の他に停まっている唯一の男性客がロビーにいたので話しかけてみた。なぜ話しかけたのかといえば、その人が読んでいたのが本が「日本史」と漢字で書かれた分厚い本だったからだ。日本語で読んでいるのかと聴いたら中国語で読んでいるといった彼は、数年前に中国のとある田舎で英語を教えていたらしい。実は、朝方に街の中に歩いた時に行こうと思った珈琲屋でも彼の姿を見つけたが、真剣そうな表情でこの本を読んでいたので話しかけるのをためらったのだった。彼は大学院の博士課程の入学までの期間に本を持って旅をしているらしく、今回は台湾に来てみたということだった。卒業できれば二つ目になるという博士号について語る彼の顔は落ち着き払っていた。彼の知性は言葉の選び方や所作、佇まいによく現れていて、鼻につく感じやいやらしさが微塵も感じられない。せっかくなのでということで一緒によるご飯を食べにいくと、慣れた中国語で僕の分まで注文を取ってくれた。そのあと、一人で夜の街をうろついていると駅の前で中学生くらいの男の子たちが数人、Childish Bambinoをプレーヤーで流しながらスケートボードやBMXで遊んでいるのを見つけた。僕はそれを飲み屋の屋外のカウンターで串焼きをつまみながらぼーっと眺めていた。台湾のこんな田舎でアメリカの音楽を聞くとは思っていなかった。そこでかかっていた音楽なんて僕以外の誰も気にしていなかっただろう。彼らの持つ雰囲気と流していた音楽は、ゆるりとした台東の夜にはすごくマッチしていた。少なくとも僕はそう思ったし、そう思っているうちにいつの間にか一時間以上も経っていたのだった。

DAY8

翌朝目覚めて、台南へ行くために駅へと戻る。カウンターでチケットを尋ねると、台南行きは既にチケットがほとんど売り切れていて、一番早いものは3時半発とのことだった。しかも途中からは席が無いので立ち乗りになると。その時の時間は10:30くらいだったから、だいたい5時間は時間を潰さないといけなくなってしまった。台東駅は駅と繁華街が離れているし、駅と繁華街をつなぐバスが1時間に一本くらいしかない。そのため駅の周辺にとどまらざるを得ない状況に追い込まれてしまった。仕方ないので、改札前で売っているお弁当とお茶を買い(本当に安い)、いつもの3倍くらいの時間をかけながらゆっくりと食べた。それでもまだまだ、まだまだ時間は余っていた。人を眺めたり、たまに外に出て煙草を吸って戻ったりしても時間はなかなか過ぎなかった。本を日本から持ってこなかったことをこの時かなり後悔した。ただ一点すごくよかったのがお昼を回ったあたりから、駅の中に心地よい風が吹き抜けてるようになったことだった。日が傾いて、若干薄暗くなり、西日が駅舎の中に差し込むようになると、この風が更に気持ちよく感じる。アメリカをアムトラックで旅をした時は、こんな駅舎が気持ちがいいなと感じる瞬間はあまりなくて、寒すぎて早く電車が来て欲しかったり、誰かに荷物を取られやしないかと思ってろくにトイレにも行けなかったりしたものだ。そう思ったらなんだか眠くなってきてしまったので、控えめにアラームをかけて一番後ろの端っこの席で昼寝をした。台南行きの電車に乗る頃にはもう夕方になっていて、電車の中から見えるいつまでもつづく青い海が綺麗だった。座って二時間、立って二時間、だいぶしんどかったけれどもなんとか台南についた。台南の駅前は台北よりも、もちろん台東よりもだいぶと発展していたし何より人が多い。広いロータリーのタクシープールには次々とタクシーがやってきては、スクーターと道路を取り合ってクラクションが鳴り続けている。ギラギラとしたネオンと大きなビルがロータリから放射線状に広がっていて、街の喧騒はこれまでの何倍にも感じられる。少なくとも台東のアンビエントさに慣れた見としては、この街の喧騒はやたらと騒がしく思えた。ここをアメリカに例えるなら、勝手に行ってもいないマイアミだと僕は言い切るだろう。ぶっきら棒なタクシーの運ちゃんにホステルまで連れて行ってもらい、夜に水餃子を食べてその日は眠りについた。ホステルのおばちゃんは深夜だと言うのに世話を焼いてくれて、とても嬉しかった。

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日記は書いているうちにどんどんと長くなっていってしまう。誰かが見てくれているのだろうけれど、不真面目だから添削もしてなくて、話は支離滅裂だし話調もバラバラになってくる。自分がその時感じたことや見たものの記録というのを言い訳に、書きながらいろいろと思い出した結果長くなってしまうのだけれど、許して欲しい。いつもすぐに書き終わろうと思って書いているのだけれど、思い返したりあれやこれやと思ったりしているうちに数時間立っていることがままあり、わりと自分の中で大きなことになっている。書きながら何度か縁側に出て煙草を吸ったりするのだけれど、この寒さのせいで引き戸のステンレス製のレールが氷のように冷たくなっていて、足の裏がキンと冷たくなる。深夜すぎに煙草を吸いに出て、この足の裏の冷たさを感じるたびに祖父の死を連想してしまう自分がいる。僕がいる間にも祖父の体重は減り続けている。先日からついに風呂に入れなくなってしまったため、母親がタオルで身体を拭いてあげるようになった。祖父の身体はテレビで見るインドの飢餓状態の人々のような身体つきになってしまっているようで、「こんな風になってしまった〜」と母親にぼそっと言っていたそうだ。ECDが癌の闘病のすえに亡くなり、その姿を見ると祖父と重なるところがある。テレビでとある著名人が癌の闘病の末に亡くなったというニュースを聞くと、いつもより過敏に反応してしまう。こういうことは旅の日記に付け足すように書くべきでは無いのだけれど、思ったことを記しておかないと本当に思い出せなくなってしまう気がしたので記しておく。

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