ESSAYS IN IDLENESS

 

 

TRIP TO TAIWAN -JIUFEN~SHIFEN~HUALIEN / DAY4~5-

十份駅

十份駅

DAY4


台北を出発し、九份方面へと向かう。さっそく新幹線を寝過ごしてしまいよくわからない駅へと降り立ってしまった。ひとまず電車から降りて40分ほど時間を潰す。目に入る景色はなんだか欲望の翼のラストシーンのような景色で、曇り空、椰子の木、全体的に彩度の低い看板や家の壁などがならんでいて、美しくくすんだ世界が広がっていた。電車に乗り直して、平渓線へと乗り込む。侯孝賢の映画は電車のシーンが印象的だと個人的には思う。悲情城市や恋恋風塵でも電車の長回しのシーンから始まり、その車窓から見える台北の田舎の景色や人々の暮らし、トンネルから出たあとに目に飛び込んでくる優しくて鮮烈な自然の緑色がいつまでも脳裏に焼き付くようだった。その瞬間を見たくて九份と十份駅へと向かったようなものだ。ただ、びっくりしたのはこの普段人がのらなさそうな平渓線は観光客で溢れかえっていて、悠々とボックス席に腰掛けて写真でも撮ろうと思っていた自分を殺したいと思った。ドアが開くと乗客が一斉に「まだ入ってくるやついるの?」と言わんばかりの視線を送ってきて、大きな荷物を抱えていることが申し訳なくなってしまう。ただ、唯一運がいいことがあるとしたならば、ドアの目の前に建てたことで外界の景色を見れたことの一点に尽きる(カメラを構えるスペースすらなかった)。悲情城市で玉音放送を聞くシーンで使われたという大華駅はほぼ廃墟で、みすぼらしく廃れた駅舎が一件のみのほぼ無人駅のような感じだった。そこがまさに映画で見た光景と一致しているような気がして、一人混沌とした満員電車の中で嬉しい気持ちになっていた。まず先に平渓線で十份駅へと向かう。

十份はかなり賑わった観光地で、観光客が狭いホームにごった返してはランタンを空に飛ばしてたり、線路の上でセルフィーを撮ったりしていた。喧騒を避けるために人気のない通りに出る。朝から何も食べれていなかったので、民家が営んでいる小料理屋で牛肉麺と魯肉飯を食べる。軒先に出されたキッチンで豪快に茹でられる麺から盛大に湯気が上がる。向かいのテーブルで煙草を吸いながら退屈そうにしている店主は、自分と目が合うと優しいにこやかな表情を向けてくれる。知っている中国語が「ハオツー(美味しい)」しかないので、とにかく「ハオツーハオツー」とその店主に言うと更に柔和な表情になっていくのが楽しかった。十份駅の周りを歩きまわり寺院や民家の様子を見る。混雑している駅の周りとは違い、畑で作業している数人の人たちや野良猫くらいしか見かけなかった。コンクリートの2階建ての家や、銀の扉のついた平屋が川沿いに並んでいるのは台湾の昔ながらの町並み、と言えるのかわからないけれど、郷愁感のある光景だったと思う。

そこからまた平渓線に乗り、九份との間の適当な駅で降りる。たしか三貂嶺駅だったと思う。この駅は本当に何にもなくて、人一人見ていない。駅舎から降りると道らしい道がなくて自分が正しい場所を歩いているのか不安になるくらいだった。だいたい駅から線路脇を1キロ弱ほど歩いたところでようやく小さな集落を見つける。ほとんど休業状態の食堂と宿らしき建物が一件あるだけだった。線路のすぐ脇にこういう建物があるのだけれど、線路を挟んで向かい側には猫しか住んでいない廃食堂が一件と、崩れた家屋があった。集落を歩いているうちに日が沈んできた。霧がちになった山間に夕日が差し込むと、憂鬱な楽園のワンシーンさながらの気だるい美しさで辺りが包まれて息を飲んだ。

九份駅へと向かう途中のバスは乗車率が150%くらいだったと思う。荷物をたくさん抱えた観光客ですし詰めとなった車内にはバスドライバーの怒号が車内に飛び交っていた。対向車を破壊していくのではないかと思うほど荒すぎる運転で、立ち乗りの乗客は左右に揺られる度に辛い思いをしていた。九份の街が有名な観光地として知られているのは有名なジブリの映画の影響もあるのだけれど、そもそも悲情城市という侯孝賢の映画が大きい。観光客の何割がその映画のことを知っているのかわからないけれど、僕がここに来た目的はそれでしかなかった。メインストリートに入ると土産物屋や飲食店が所狭しと立ち並ぶ。幅2mくらいのこの道に人々がまたもごった返しているが、それだけでなく原付きや、更には軽トラまで(幅ギリギリ)入ってくるから驚きを隠せない。ひとまず名物だというぜんざいのようなもの(芋圓というらしい)を食べるが、あまりにも美味すぎたので違う店でもう一度食べた。悲情城市で使われた食堂は名前を変えて「悲情城市」という名前で運営されていて、せっかくなのでと思いそこのテラス席から街を見下ろしながら若干高めに値付けされた回線焼きそばを食べた。街は提灯でライトアップされていて、その向かい側にある元映画館だった場所には「恋恋風塵」の大きなポスターが貼ってある。(しかしここは資料館となっていて映画は見れないらしい)。この食堂の隣には「戯夢人生」という看板が見えたのだけれど、どういう業態の店なのかはわからなかった。ただひとつ言えることとしてはそういった侯孝賢にちなんだものを一つ一つ見つける度に自分がなんだか嬉しい気持ちになったということだけだ、それが例え安っぽくて商業的な匂いがしたとしても。こういう場所で食事を取っていると悲情城市の食事のシーンを思い出す。暗い画面の中に赤く光が差し込んでいて、そこでゆっくりと長めの箸を使って台湾料理を食べるシーン。それがどうしようもなく綺麗で、そして見ているととにかく美味しそうで腹が減ったその記憶。ホステルに戻ると、台北で服飾デザインを学んでいるという女の子と、高校を卒業したばかりだという18歳の男の子がいて、彼らと基隆山へ夜景を見に行くことにした。30分ほどかけて登山道を登っていくと、九份や金瓜山の町並みが見渡せるという場所から見えたのは、その町並みが美しい光の粒となって山の斜面全体に敷き詰められ輝いている光景だった。少しだけ冷たい風が吹いていたけれど、その場所にだいぶ長いこととどまって、おしゃべりをしながら下に広がるもう一つの星空を眺めていた。

 

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DAY5

朝起きて、昨日行きそびれた食堂へ行って名物だという魚のすり身が入ったスープを食べ、ついでに芋圓を食べたあと、更に東へと向かうことにした。この時まで台中方面へと向かうか、台東方面へ向かうか迷っていたのだけれど、いろんな人に話を聴いた結果、台東方面へと東回りで下っていくことを決めた。台中方面へ下れば「冬冬の夏休み」やその他様々な映画で使われた場所をローカル線を使って見て回ることもできたのだけれど、なんとなくそれはまた次の機会に回しても良さそうな気がして、東廻りでいくことを決めた。それくらい昨夜の基隆山からの光景は素晴らしかったように思う。

目指すは花蓮という台湾中東部の街。原住民が多いことで知られる地域で、正直この地域に関する知識は何もない。花蓮と向かう電車から見える光景は綺麗だった。水の張られた水田が広がり、それが鏡のように曇り空を反射していた。田んぼ道の両脇にヤシの木が生えていたり、ポツポツと見える古い民家や工場の屋根は色あせていて、長閑だけれどもどこか陰鬱な雰囲気を醸していた。その予感は当たっていて、花蓮の駅周辺は陰鬱さに包まれていたように思う。多くの檳榔ショップやナイトクラブやラブホテル(らしき建物)がある。特に檳榔ショップについては台湾の他地域に比べ格段に多かったように思う。檳榔について補足しておくと、檳榔は英語名でビートルナッツといい覚醒作用のある果実のことだ。主に東南アジアで親しまれていて、位置づけとしては噛み煙草のようなものだと思っている。実に灰を付けて噛むと中から赤い汁が出てきて、それを口に含み、ある程度溜まったところで吐き出す。その汁は苦く独特の臭いがする。台湾の路上で赤い血のような跡が地面に見られることがあるけれどそれは殺人現場でもなんでもなく、ただ単に檳榔を誰かが吐き捨てた跡だ。タクシーの運転手や地元の食堂のおじさんの口が真っ赤になっていたり、歯が黒かったりするのはこの実を常用しているためだ。なぜこんなにこの実について詳しいかというとかつてミクロネシアに研修に出かけた際にこの実を噛んだことがあるからだ。やることがないととりあえずこの実を取りにいく。5mはありそうな棒を車に乗せて檳榔の木をバシバシと叩き果実を落とし、噛む。それが東南アジアの暇人の暮らしなのである。そのイメージがあるせいか、檳榔とラブホテルがひしめく(と言っても街自体は閑散としている)駅周辺を見ていると、退廃的なイメージをどうしても捨てきれなかった。

ホステルへとチェックインし、レンタサイクルを借りて海まで出てみる。目指すのは七星潭という海で、この花蓮の有名スポットらしい。ボロボロでメンテナンスなんて到底行き渡っていなさそうなマウンテンバイクにまたがり1時間ほど自転車を漕いでいくと七星潭へと到着する(途中坂道でブレーキをかけたら身体が一回転して派手に転倒してしまった)。初めて見る台湾の海は波が高く、水は真っ青だった。風は強く、吹き荒れていると言っても言い過ぎではない。海岸線は1キロ程度だと思うが、海岸線沿いに立ち並ぶ寂れたホテルが人がまばらな砂浜と相まって哀愁がある。肌が潮風であっという間にベタついてくる。煙草は強い風でミリミリと音をたてながらいつもより数段も早く減っていった。そのままサイクリングロードを粛々と漕ぎ続け、夜市のある市街地へと向かう。活気のある水餃子屋に入り、よその家族と円卓を共にする。食後にはお茶を飲んだり、その地域で有名なデザートのかき氷のようなものを食べてみたりした。九份や台北と比べ、花蓮は原住民の割合が多いらしく、そもそも観光客が少ない地域のせいか異国感がより強い。英語があまり通じないことや食文化の微妙な違いもあるだろう。そういう違和感は自分の中では新鮮で、台北で味わった便利さによって忘れてかけていた旅をする感覚を取り戻してくれたように思う。紙に文章を書いたり、絵を書いたりしながらコミュニケーションを取っていると、ほんの少しの意志の疎通が大切な経験になったような気がして嬉しい。辺りがすっかり夜になると、ホステル周辺のラブホテルやナイトクラブのネオンがきらめき出す。僕にはまったく無縁な空間なのだけれど、せっかくなのでその周辺を自転車で流しながら、中国語のネオンを眺めたりしていた。

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