TRIP TO TAIWAN -TAIPEI / DAY2~3-
DAY2
朝起きると同時にお腹が減る。台湾の楽しみといえばまず屋台のご飯。魯肉飯が大好物(というよりそれしか知らない)な自分にとっては、毎食、毎屋台ごとに頼みたいくらいだ。ゆっくり目に起床して、コーヒーを飲んで外に出るとパーカーを着ているのがバカバカしくなるくらいに暑い。さっと上着を脱いで半袖になり、屋台を目指して歩き始める。しかし、冬の到来がよほど嬉しいのだろう、台湾の人たちは照りつける太陽の下でもダウンジャケットを着ている。そして中年、壮年世代の女性の方々のまとう衣服は軒並みピンクや赤色が多い。一度婦人服屋の前を通ったら赤だけでカラーグラデーションが構成されていて笑ってしまった。早速屋台に入って魯肉飯とスープを頼む。適度な油分と塩分、そこに八角の香りが混ざるともはや懐かしい魯肉飯の味がする。手早く食事を済ませ、街を歩く。あえてメインの通りは外して古いアパートに挟まれた小路を縫うように歩く。どの家の前にも植木鉢や植物がこれでもかというくらい添えられている。ベランダやテラス、窓の前の少しのスペース、駐車場の屋根の上、隙間さえあれば植木鉢が置かれている。この極端な風水信仰は台北の街の独特の雰囲気を作り出している。どの路地を見て回ってもところ狭しと止めてあるスクーターや、民家の一角で営まれている床屋、軒先に干してあるカラフルな洗濯物や布団。ふと足を止めて耳を済ませると古びたアパートのどこからか聞こえてくるラジオや、ピアノの練習の音。自分がずっと忘れていた(もしくは体験したことがないかもしれない)台北の風景が大好きだと思えた。こんなに発展した街なのに、雑多で、野暮ったくて、時代に取り残されたように今でも営まれている懐かしい暮らしが大切に思える。
台北の本屋とコーヒーショップはとても素敵な場所が多い。日本でもほとんどみたことがない海外の雑誌や写真集などを扱っているところも多いし、台湾の会社から出版された本もデザインが秀逸だったりする。たまたま入った本屋の店主と話す機会があった。たどたどしい日本語で話しかけてきた店主はもう58歳になるそうで(見た目は45歳くらいにしか見えない)、年に数回日本に古本の買い付けに行くそうだ。日本の古い書籍のデザインが好きなことと、台湾では出版社の数が多くないため、品揃えにバリエーションを出すためにそうしているらしい。そもそも日本という国が好きだと面と向かって言われると気恥ずかしいし、何か買っていきたいような気持ちになるのだけれど旅の途中に荷物を増やせなくて泣く泣く店をあとにした。書いたかった本はヴェンダースの『Once』という本だったのだけれど、これは後に奇跡の出会いを果たすことになる。歩いているともうお昼すぎ。レストランは外して、常に質素な食堂を選ぶ。店内はだいたい机と椅子をおいただけの質素な作りで、たまに人が入ってはささっと食べて出ていく。その光景を見ていると、日本のレストランなどの内装が実は過剰すぎるのではないかという気さえしてきてしまうのは不思議だ。とりあえず牛肉麺と魯肉飯を食べるが、毎度の食事でその味の良さにいちいち感動してしまう。
思い返すと、台北にいる間はほとんど電車に乗らなかったため毎日10キロくらいは歩いていた気がする。新品の靴底は早々に丸くなり始め、足の裏は疲れを通り越して痛くなってくる。台北に点在している夜市をくまなく見てみたり、映画館を探して回ったり、なにか匂いを感じる通りに入り込んだりしているうちに、街の外れのほうにレコードショップに併設されたカフェのような店を見つけ、休憩がてらに入ってみる。きれいな若い女の子2人で運営されたそのカフェには「スクラッチ」という名前の子猫がいた。壁一面を埋め尽くさんばかりに置いてあるレコードの棚と、テーブルや椅子の隙間を縫ってその子猫が走り回っていた。僕の膝に飛び乗ってきたり、机に乗ってみたり、人懐っこいのでなんだかんだ1時間くらいは居座ってしまったように思う。日本の音楽が好きだという店員さんにお気に入りのバンドを聴いてみると「フリクションの2nd」という答えが返ってきたので、思わず「なんで知ってんの!?」と聞き返してしまった。そんな話を少し続けているうちにまたお腹が減ってしまったので、夜の街に今日の晩御飯を探しに出かけた。
一人でホステルに泊まったのはおそらく大学生の時以来。ロビーでテレビを見ながら持ち帰ったご飯を食べていると元気そうなシンガポール人の女性に声をかけられた。フルーツを食べきれないほど買ってしまったということで一緒に食べていると、外から欧米圏の若い男性が3人ほどホステルに戻ってきた。話の流れでみんなで一緒に夜市に繰り出してお酒を買ったり、デザートを食べ歩き、気付くと夜も一時を回っていた。英語がある程度話せるようになって、こうして様々な国の人達と何時間も一緒にいれる、というか友達を簡単に作れるようになるのは素晴らしいことだ。夜店の射的でもらったプラスチック製のゴキブリのおもちゃはいらなかったけど、ホステルに泊まってみるのも悪くないなと思った。
DAY3
3日目もとにかく歩き通した。台北の東側から中心に向けてゆっくりと、狭い通りに目を通しながらじっくりと街を観察する。台北の東側はどちらかというと高層ビルや新しい建物が多い地域で西側に比べるとより発展した印象を覚える。その結果わかったこととしては、やはり新しくて仰々しいものはどうしても好きになれなさそう、ということだった。例えばガラス張りの建物が並ぶ光景は壮観だけれど、それは取っ掛かりがなくて、その国らしい個性が見いだせず、何を好きになったら良いのかわからない凡庸な風景に見えてしまう。松園創造公園など、前回台湾に来たときに感激した建物(タバコ工場をリノベーションしてできた美術館等)のように、古さがあり代替の効かないもののほうが遥かに尊いように思えてならない。そのまま華山創造公園のほうまで歩いていき、公園の脇の高架下にあるスケートパークを見て回る。このあたりはところどころ荒んだエリアが見つかり、グラフィティやステッカーが貼られた公共物が目立つ。街で滑っている人たちは一人も見かけなかったけれど、ここに台湾のストリートカルチャーがあるのだろうか?
流石に三日間の疲れがたまったのか、夕方、夜ご飯を探しに行く前に疲れ果ててしまう。近くに開いてるカフェはないかと探し、適当な珈琲屋に入ってカフェラテを注文した。店員さんが飲み物を持ってきてくれたときに、「メリークリスマス!」と言ってお菓子を一つサービスしてくれた。そう、この日はクリスマスだった。台北の街はクリスマスなんてまるで知らないかのように、いつもと変わらない日常が流れていた。そうか、今日はクリスマス。そう思ってカフェの外を見回すと足裏マッサージの看板がやたらと目に着く。ここはどうやら台北の中でもマッサージに特化したエリアらしかった。クリスマスの日くらいマッサージくらい受けてもいいだろう、とよくわからない理由から適当に店を決める。結果から言えばかなり後悔している。足裏マッサージは逃げられない痛さの極みである。なぜか自分が今入れずみを入れているのではないかとさえ錯覚するほどの、痛み。「イタイホウガイイ」と拙い日本語でマッサージのお兄さんが話しかけてくる。おまけに痛みを感じた場所に応じて、その足裏のツボがどの臓器に結びついてるかを教えてくれるのだけれど、こそっと「ミギノキンタマ…」と言われたことがショックでならない。
失意と披露の中、ホステルへ戻ると昨日の面々が楽しそうに話をしていた。みんなでビールを買ってきて飲みながら、くだらない似顔絵をお互いに贈り合ったのだけれど、それがあまりに酷い出来すぎて腹が捩れるくらいに笑ってしまった。2017年で一番笑った瞬間だった。いい年の瀬を迎えられそうな気がした。