TRIP TO TAIWAN -TAIPEI / DAY1-
アメリカから帰って東京に少しの間だけ滞在し、その後実家に戻る前に台湾に行こうと決めたのはなんとなくではない。理由を聞かれるとその場のでまかせで適当なことを言ってしまうものだけれど、侯孝賢の映画の撮られた世界というのをもう一度自分の目で確かめておきたかったからというのが本当の理由だった。なぜ彼なのかと言われたら、思い出す限り映画に対して誠実に向き合う姿勢という点に置いて、彼に比肩する人間はそういないからだと答えるだろう。特に自分の中で強く思い出されるのは、以前スクリーンで見た「風櫃の少年」だった。(この思い出に関しては、映画館に蓮實重彦が訪れていて、上映終了後のトークイベントでいの一番で彼が感想を述べていたことも合わせて思い出される。蛇足。)
映画の中で個人的に印象的なのは、澎湖島という台湾の離島に住む少年たちが映画館に忍び込んで大人に混じって映画が流れているスクリーンを見つめるシーン。そして廃墟のビルの大きく空いたコンクリートの骨格から高雄の街を見下ろすシーンだった。このシーンが僕にとって意味するところは「映画を通して世界を見る」という一点に尽きる。忍び込んだ映画館で見た映画によって外の世界を知り、そして映画内の世界において映画の延長であるかのように演出されたこのカットによって、少年たちに対して開かれた世界が提示される。映画のスクリーンと廃墟のビルはつまるところ「同質」であり、この2つの窓とも呼べる構造から見えるものは、それすなわち「世界」ということなのだと思う。そして少年たちが見下ろした「世界」を、私たちは映画館のスクリーンによって見る事ができる。この窓を通して構築された複雑な入れ子構造こそが、映画を愛する人間によってしか成し得ないものであるという直感はおそらく間違っていないはずだ。それはオリヴィエ・アサイヤスの『イルマ・ヴェップ』であったり、トリュフォーの『アメリカの夜』と同様の構造(映画内映画)であることも、自分の直感を後押しするものとなっている。
今回自分がしたいと思っていることは、この入れ子構造を現実世界において体験すること。つまり映画内に提示された世界を見たのと逆の方向、現実世界から映画内の世界を見るということだった。ただ、映画が撮られた当時の風景とどう変わっているかだとか、そういうことはあまり気にせずに、映画の中に流れる時間と風景を今の目線で見てみたいということを強く意識していたように思う。美化された過去を追いかけるのではなくて、過去に対して自分の感性を絡ませること、良いところも悪いところも受け止めることが必要だった。とまぁ、少し頭でっかちなことを書いてしまったけれど、最終的にはもっと気楽に、のんびりと台湾を旅しながら、もしかしたら侯孝賢が映画を撮るときに訪れた地を見れたらだとか、台湾という国に流れる空気と人々の持つ雰囲気を見れた、といったほうが近いのかもしれない。
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桃園空港に降り立つとすでに日本とは違った気候であることに気付く。simカードをさっと交換し、ネットワークを確認して早速台北市街へとMRTで向かう。登園空港から台北までの30分ほどの電車の移動、車窓から見える景色は日本と似ているようでどこか違う。水田の中に佇む小さなコンクリート造の家屋や、ヤシの木。街を駆け抜けるのは大量のスクーター。ビルの看板の漢字が新鮮に感じられる。家と家の距離感や色彩、建物の高さや生えている植物、空の色や畑や水田の割合がどこか昔なつかしい気がするのは、台湾がかつて日本統治下にあったという事実以上の何かがあるのではないかと思わせる。電車の車窓からでも感じられるこのゆるりとした雰囲気が妙にしっくりくるのは台湾を旅する上でのこの上ない嬉しさだった。
台北にたどり着き、士林夜市の近くにあるホステルへと向かう。時刻はもう夕方近くなっていて、さほど広くない道を大量の人と車とスクーターがせめぎ合うように渡っていく。渋谷の交差点のような閉塞感というよりは、東南アジア的な雑多な熱狂。この類の喧騒は自分が旅に身をおいている気分にさせてくれる。駅に向かって緑色の野暮ったいジャージを来た中高生くらいの若い子たちが歩いてくる。彼らが駅前でたむろしていたり、友達と話しているその姿は近代化してきている台北の中にあってほほえましい。あまりにも野暮ったいものだからとおりすがりながら必死に笑いをこらえる。目の前をスクーターの二人乗りや三人乗りが通り過ぎていく。おじいさんとおばあさん、若いカップルや夫婦、2人の子供にサンドイッチのように挟まれた忙しそうなお母さん。屋台を展開する疲れた人たちが遠くに見える。体験してすらいない昔の日本の風景をどこか想起させるこの眺めは妙に愛おしかった。
ホテルから歩いてすぐにある夜市を少し見て回り、顔ほどの大きさのあるチキンを食べ、前職時代の同僚に会いに行く。東門駅から少し離れたところにある小料理屋へと赴く。美味しい台湾のクラフトビールと、台湾ならではの蓮の炒め物やパリパリとしたイカの和物などをいただく。そのときに聴いた話で興味深かったのは、台湾の人たちはどこか自分たちのアイデンティティが揺らいでいるように見えるということだった。日本統治下、そして中国統治下という時代を経ている台湾という国の人達は、いつもどこか自信なさげで、自分たちが帰属しているのがどこなのかを常に模索しているように見えるらしい。日本という国にいてまったく気づかないけれど、日本は他の国と比較してもかなり長い歴史を連綿と受け継いでいる数少ない国だっんだと気付いた。と同時に自国の文化を蔑ろにしている自分という人間は、なんと恵まれた立場にいるのだろうと思う。
久しぶりに合うと話は尽きず、近くの若者向けの洒落たカフェでゆっくり話を続ける。今風という言い方はおかしいかもしれないけれど、東京にあるカフェと比べても全く引けを取らない居心地の良さ、そしてコーヒーの美味しさだった。店内は若いスタッフで運営されていて、内装やデザインも素晴らしい。小さな通りの一角に構えられたこじんまりとしたカフェなのだけれど、パティオがあり、そこでぬるい夜風に当たりながらアイスを食べたりお酒を飲んだりしているとすぐに時間は過ぎてしまう。ある程度酔いも回ってきたところで解散し、ホステルへと戻る。もう時刻は23時を回っていたけれど夜市はこれからが本番と言わんばかりに人が溢れていた。通り過ぎる人々とたまに肩をぶつけられたり、美味しそうな屋台の匂いに釣られながら、その喧騒の中を歩くことは刺激的で、新しい旅の始まりの日としては最高ではないだろうか。