ESSAYS IN IDLENESS

 

 

A SCORCHING HOT DAY

ここ数日、死ぬほど暑いという言葉がぴったりの日が続いている。摂氏にすると35度以上、下手すると40度を超える日もしばしばあったりする。雲一つない快晴のため、強い紫外線で肌が焼けるように感じる。地面から照り返す熱気で5分くらい外を歩くだけで意識が少し遠くなる。湿気がそこまでないから汗はあまりかかないのだけれど、とにかく日本とは質の違う暑さに苦しめられているといっていい。広々とした駐車場には蜃気楼が立ち上り、遠くに停まった車がゆらゆらと揺れるように見える。日本でも35度を超える日は毎年のように体験していたけれど、その時働いていて仕事に集中していたせいか、ピーク時を覗いてはそこまで暑くないからか、それとも日陰が多かったりしたせいか、今思うとそこまで苦しまなかったような気がする。そんなクソほど暑い時にシャツやらスーツを着て出勤しなきゃいけない不合理や、その不合理に苦しむ人達がすし詰めにされた地獄のような満員電車のほうがよほど辛いのは間違いない。家ではホストマザーのスーザンが一日3度の庭の水やり(一回1時間くらい)をし始めている。なぜそこまでするかというと、火事を防ぐためだ。アメリカの家にはスプリンクラーが設置されている家が多いけれど、それは彼らが合理的に物を考えた結果、手間を省くためにスプリンクラーに頼っているということもあるけれど、それ以上に火災の防止という意味も兼ねているのだとこの時分かった。アメリカの家屋は知っての通り築100年も経とうとする木造建築が珍しくない。住宅街でもし火災が起きればその瞬間にその一帯が消失してしまう。庭の木々の枝葉が擦れた瞬間、庭に置いてある椅子や何かが太陽光を吸収し発熱した瞬間、そうした日常に潜む当たり前の中に危険が潜んでいるんだなと気づいた。そんなことを思っている間に、隣のカナダでは大規模な山火事が発生し、その山火事の起こす煙のせいでポートランド一帯が煙っぽくなっていてそれはそれで美しい。そんなことを言っては不謹慎なのだけれど、それも北米での暮らしの一コマなのかもしれない。

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