DEATH TO BIKE THIEVES
これは友達の友達の話になるのだけれど、このポートランドという街の両面を伝えるためにはピッタリのエピソードになると思う。そしてこの日ほどポートランドという街が素晴らしいと思えた日はこれまでなかったように思う。そしてこの街を選んで本当に良かったと心から思える。
友達の友達であるミンヒョンさんはカナダからアルゼンチンまで行く自転車旅の途中にポートランドに立ち寄った(ここまでで十分彼のクレイジーさが際立つと思う。ちなみに彼は3年前にヒッチハイク日本縦断を達成している)。ミンヒョンさんの友達であるジンくんは、ポートランドのホーソンという通りで落ち合って久々の再開を果たした。そしてご飯を食べて、自転車に乗ってそれぞれ帰路につこうとした時異変に気付いた。彼の荷物が全て一切合切消えていたのだった。この街にはホームレスが溢れている。どこを歩いていても、路上で生活している人やゴミ箱を漁ったり小銭を求めて徘徊している人がいる。おそらくはそうした人が生きるために彼の荷物も自転車も持っていってしまったのだろう。ここまでは、ポートランド、ないしはアメリカの都市におけるありがちな暗いストーリーだと思う。彼はそこで諦めなかった。警察、テレビ局、地元新聞、彼にできそうな場所にコンタクトを取り続けた。するとその数日後にはその連絡に興味を持った地元テレビ局2社の取材を受けることに成功。そのインタビューはその日のうちにオンエアされ、彼を支援したいという人たちからの連絡が彼に相次いだという。自転車乗りのためのウェブサイトにもそのことは掲載された。その結果、その次の週には彼を支援するためのパーティがバーで開催された。パーティを企画してくれたのは彼の見ず知らずのブランドンさんという方で、何から何までその彼が全てやってくれたそう。僕もそのパーティに顔を出したいと思い行ってみると、自分の予想を遥かに超える人達が集まっている。後のレポートでは45人という話だったけれど、出入りした人たちを合わせればもっと多くの人が来ていたのではないかともう。彼のニュースを聞きつけてシアトルからわざわざ2時間もかけてドライブして寄付のためだけに来ている人もいた。パーティに来ていたのはこの街のアジアンコミュニティの人や、自転車乗りの人たちがメインだった。その人達が純粋な善意から、ミンヒョンさんを支援したいという思いだけでここに集まっているということがにわかには信じられなかった。彼に声をかける人たちの言葉の一つ一つが暖かく、優しかった。
「俺も昔ヨーロッパを自転車で半年旅したことがあって、旅の途中に自転車を盗まれたなんて聴いたら放っておけなくって」「君の持ってるストーリーが素晴らしいから支援したいと思ったんだ、絶対にアルゼンチンまでいってくれ!」「何か自転車の装備品で必要なものがあったらなんでも言ってくれ、昔使ってたものを譲れるからね。遠慮しないで!」「なんでも良いから寄付したいんだけど、お金そのポケットに突っ込んどけばいいの?」
この街の人々の心の暖かさや気前の良さははっきり言って異常すぎる。彼に話しかける人々のキラキラとした表情はおそらく一生忘れることはないと思う。もちろん、このバイク乗りの青年の物語が素晴らしく勇敢だということも間違いない。然るべき人間には然るべき運命を引き寄せるだけの力があるのだろう。彼は何十万円にも及ぶ装備を失ったけれど、その悲しみ以上のかけがえのない、言葉にできないくらい素晴らしい体験ができたのはないだろうか。そして多分この街全米で一番いい街だと確信した。少なくとも人間的な意味では。いつか僕が南米にいったときに彼のテントに泊めて貰う約束をしたところで、僕も幸せな気持ちで帰路についた。