A ROAD TRIP THAT REMINDS ME LANDSCAPES OF AMERICA -DAY1-
DAY1
ふと思い立って、車を借りて、オレゴンの名もないような街を目指して車を走らせる。少しもプランをたてずに、その日行きたい場所に行ける限り行く。ただひとつのルールは見知られた街や自分の聴いたことのある名前の街には行かないということだけ。この旅で自分がどれほど運転する必要があるのか、いくつの街を通り過ぎるのかは考えずに、自分だけの地図を作るような気持ちだけがあった。大きな貨物列車と並走しながらハイウェイを走っていく。左手にはコロンビア川の雄大な流れ、右側にはフッド山を望む絶好のロケーションだ。一時間ばかり車を走らせ、ハイウェイを降りる。すると岩肌に囲まれた細い道に侵入していく。車の数もぐっと減り、いよいよ自分の旅が始まるんだという気持ちが高まる。少し走っては路肩に車を停めて煙草を吸う。目の前に広がる一つ一つの景色をゆっくりと眺めて、自分の中に呼吸と一緒に取り込んで行く。目の前を通るトラックが巻き上げる砂埃を何度も見送った後に、深く息を吐き出してから車に乗り込みエンジンをかける。実際のところ、こうして落ち着くための時間を入れないと極度の緊張と興奮が入り交じり脳内物質の出すぎなのかわからないけれど頭痛がしてくる。こうして走っては休みを繰り返しながら、旅は始まった。更に少し車を走らせると目の前には草原地帯が広がる。どこまでも広がる草原の奥にはポツリと生える木や、さらにその奥には遠い山並みがうっすらと見える。路肩に見えるもはや誰が住んでいるのかもわからない街や、廃屋と化したガススタンド、ボロボロの牛舎やそこで暮らす牛や馬たち。足を一旦止めて、こうしたアメリカの原風景とも言えそうな光景を眺める。空の青、草原の黄色、そして木の緑、家屋の白色や茶色が描き出す美しいコントラスト。アメリカの風景は様々な要素が編むようにしてつくられていることに気づく。それは色合いだけのことではなくて、時間を経ることでしか作り上げることができない、色あせながらもいくつもの意味を持った美しい風景だと言えるのかもしれない。壊れていることや、古びていること、色あせていること。それらが自分の頭のなかにあるいくつもの小説や映画のシーンと繋がり独自の物語を作っていくようにすら感じる。そうした光景を通り過ぎながら、最初のシャニコという街にたどり着いた。シャニコはアメリカ開拓時代の風景が残された美しいスモールタウンだった。まるでウォーカー・エヴァンスの写真に出てくるような家並み(と言っても家は数件しかない)や、壊れた車が家の裏の広大な空き地に放置されていたりする。ひっそりと佇む教会や民家は一切の人気を感じさせず、まるで時が止まっているかのように見える。事実、この街を歩いている最中にこの街に住む人間は一切見ることはなかった。この美しく疲れ切った街に暫く佇み、照りつける太陽の光で何十年か前にあったであろうこの街の暮らしに思いを馳せた。




この日のうちになんとか少し大きめの街にたどり着き、宿を取る必要がある。しかし最寄りの街までは200マイル以上も離れていて、運転時間は4時間を超える。この街にいつまでもとどまっていたいという気持ちもありつつも、先々のことを考えて車を南に向けて走らせる。暫く走らせると砂漠地帯へと突入する。その間にもいくつか小さな村を通り過ぎる。数件の民家ともう営業をしていないと思われる廃れたジェネラルストアだけがあり、学校や郵便局もないような街だ。いったいどうやってここに住む人達が暮らしているのかわからない。買い物にいくにも、ガスをいれるのにも、いったい何十マイル、もしかしたら100マイル以上も車を走らせなければいけないだろう。そしてこういう街に住む子どもたちはどのようにして学校へ行くのだろう?予定ではもっとスムーズにこの日の最終目的地へとつくはずだったのだけれど、途中で車を降りては当たりを見回して写真を撮ったりしていたせいで予定よりも数時間遅れてしまった。特に夕焼けに染まる田舎の景色はは文字通り死ぬほど美しい。山間の街の広大な牧草地帯によくある巨大なスプリンクラーから水が放出され、その吹き出した水に夕日が反射する様。バックミラー越しに見る西日を受ける荒野。その西日をカメラのファインダー越しにのぞくと視界全てが黄金色にそまる。その光景はアメリカの原風景の一つであることは間違いないだろうと思う。
そうしているうちにあたりはあっという間に暗くなり、途中路上に飛び出してくる鹿や鳥をうまいことかわしながら夜道を走らせる。街灯もなく、後続車も先頭車両もない。自分の車のライトが照らす範囲だけが自分の世界であるかのように思われるほどあたりは暗い。あまりの暗さに自分がどれほどの速さで走っているのかも、どれくらいの距離を走っているのかもわからなくなるほどだ。おそらく2時間くらい走った後だろうか、視界の遠い先に街の明かりが見え始める。この時の安堵感は非常に大きかったことが自分の中では印象深い。これまでは街の灯は都会に生きる人間のものだと思っていたけれど、旅人のためにあるものなのかもしれないと気づいた。目的地だったバーンズという街につく頃にはすっかり夜になってしまっていて、空いているレストランも、モーテルすらも無かった。仕方ないのでスーパーマーケットの駐車場に車を停めて車中泊を試みる。深夜12時も回ろうとしているけれど、せっせと閉店作業をすすめる店員さんたちに申し訳ないような気持ちを覚えつつ眠りについた。途中あまりの寒さに何度も眼を覚ましたけれど、いつの間にか強い日差しが車の中を温め、気持ちいい朝を迎える。身体の節々は痛かったけれど、この日の旅のことを思うと自然に意識が引き締まる。この日はオレゴンの中心部から海沿いの街までいくことに決めた。