ESSAYS IN IDLENESS

 

 

LAZY SUNSHINE

ポートランドの天気は安定せず、晴れたと思ったら雨が降ったり、またその逆だったりする。せっかくの週末だと思って勇んで出かけてみたものの、大雨、しまいには雹が降ってくる始末。この時期はもう自転車で移動するポートランドの人たちも多く、ずぶ濡れになった身体で駅に飛び込んでくるのを見ているといささか申し訳無さすら覚えるほど。「これが5月のポートランドだ、ガハハ!」と豪快に笑い飛ばすおじいさんの脇で電車を待っている。この週末の予定としては、サタデーナイトマーケットがメインになる。

サタデーナイトマーケットはポートランドの風物詩の一つみたいなもので、フファーマーズマーケット、サタデーマーケットと同様にこの街のクリエイティブな雰囲気を伝えるのに大きな役割を担っている。大きな倉庫の中にブースがたくさんあり、お酒やお茶、革や木工系のクラフト、バッグや衣類、アクセサリーなど地元の人々が任意に出店できる仕組みになっているようだ。倉庫の裏側にはフードカートがたくさん並び、ローカルブランドのビールやピザ、ハンバーガーなどが食べられるようになっている。倉庫二階には怪しげなサイキックリーディングブースやマッサージブース。小さなライブステージがあったり、壁にはよくわからない誰かの作ったアートワークが所狭しとかけてある。客層は若い人を中心に、家族連れや老夫婦まで幅広い。歩く度に誰かと肩がぶつかるほど混雑している場内は活気に溢れていて、これからこの街で有名になろうとするアーティストやショップオーナーが一生懸命に客引きを行っている。あいにく風邪をこじらせてしまいビールは飲めなかったのだけれど、その活気に溢れた場内を見るとこちらも元気が出てくる。欲しいと思ったバックパックや自転車用の製品を売っているインディーメーカーがあったのだけれど、少し値段が張ることもあって購入は見送った。

「台湾の夜市はもっとすごいからな!」と一緒に行った台湾人のケニーは言う。確かにそうかもしれない。二年前にいった台湾の夜市は訳の分からない熱気と匂いにあふれていて、ナイトクラブにでも行ったかのような高揚感が漂う。あのゴミゴミしく、明らかに衛生面の行き届いていなさそうな東南アジアの屋台感。それはそれで異国情緒に溢れ、旅に来たことを実感できる瞬間でもある。ポートランドのナイトマーケットはどちらかというともっと洗練されたDIY感に溢れ、典型的なポートランドの雰囲気を味わうための場所と言えるだろう。そういうこともあり、足早にナイトマーケットを後にし、この日は何とも言えないラーメンをみんなで食べて帰った。なんだかそろそろアジアの雑多な雰囲気も少しだけ恋しくなってきたのかも知れない。
 

次の日、特にすることもなかったのでアルバータ通りというポートランドでも屈指の(個人的に)イケてるベニューを目指してバスに乗り込む。アルバータ通りはおしゃれな雑貨屋、カフェ、レストラン、そしてギャラリーやアート系書籍を扱う店が多く、知識欲を満たしたい人間にはピッタリの場所だ。チープなドーナツ屋があるのも嬉しい。朝方は雨がこれでもかというほど降っていたのにもかかわらず、僕が厚着をして出かけた瞬間に天気は晴れ、むしろ汗をかくほど暑い。日曜のブランチの時間帯に偶然見つけたカフェに入ってサラダとスープを食べる。レンガ造りの建物だけれど、壁一面が背の高いガラスでできていて、そこから差し込む日差しがなんとも気持ちいい。コーヒーを飲みながら店内に流れるBGMを聴いているだけでここに来た価値があるなと感じられる。BGMはマック・デマルコやビーチハウスといった僕のお気に入りの音楽が流れるプレイリストで、このカフェのけだるい昼下がりにぴったりだった。音楽を聴きに来ているわけではないのだけれど、音楽の作り出す空間にゆったりと浸かるように椅子に深く腰掛けて本を読んだりしているとなんとも言えない幸福感がある。むしろ幸福というよりも安心感というほうが近いのかもしれない。それは僕を受け入れてくれそうな雰囲気をこのカフェが持っていることだったり、そういう雰囲気を持っているカフェにいる人がみんないい人に見えるからだろう。

アルバータ通りを何気なく歩いていると、なぜだかわからないけれどマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシガレット・イン・ユア・ベッドの後半の転調して疾走感が出てくる部分(分かる人いるかな、、)がまた別のカフェから流れて来るのが聞こえた。この曲はマイブラの曲の中でも特に好きな曲で、そして好きな理由はこの転調にある。そしてお昼にコーヒーを飲んだばかりだと言うのに、またすぐにカフェに入ってコーヒーを頼んでしまう。足早にこのカフェを出て通りを歩く。ギャラリーに入ったり、本屋に入ったりして、日本にいた頃と同じような過ごし方をしていることに気づく。ふらりと入った本屋でルイジ・ギッリの読んだことのないエッセイが出ていたので反射的に購入し、その本を読むためにまた別のカフェに入る。そろそろコーヒーの飲み過ぎで胃がやられるかも知れないと思ったけれど、誘惑に負けてコールドブリューを頼んだ結果、体調が完全にやられてしまい読書どころではなかった。夜中の三時半まで眼がキンキンに冴え渡り、お腹が減っているのに何も食べたくないという矛盾した体調に苛まれながら、その時間までルイジギッリの残した言葉を一つ一つ丁寧に追っていった。この本の感想はまた別なところに書くとして、彼のしてきたことと、彼のアートワークに込められた概念を知ると自分のしていることに戸惑いを感じる。それは彼に影響されるがあまり、彼の言っていることやしてきたことが全て正しいと感じられてしまうある種の依存のようなものだと思う。これはある意味正しいけれど、同時にとても危ういことで、自分でしっかりと彼のしてきたことを咀嚼し、”利用”することに迫られているのだとうっすらと感じた。

hiroshi ujiieday