ALASKA PART5 -THE NORTHERN LIGHTS-
ライトやワイパーの動きを一つ一つ確認する。深呼吸をした後、恐る恐るアクセルを踏み込む。ゆっくりと借り物のフォードがバックしていく。車のラジオからゴリゴリのヘビーロックが大音量で鳴っているのを、即座に止める。僕はこれまでこれほど命を脅かされたことがあっただろうか、、、携帯も他人の力も借りることができない状況がこれほど心細いとは。法定速度を遥かに下回る速度で走行する車の中で落ち着いて考える。ハイウェイの乗り口はどこだ、この道は逆走ではないのか。中央線はどこだ!この路側帯には車を止めて良いのか。ひとまず考えを落ち着けるために停車しようとするも、雪が深すぎて路側帯に停車したつもりが、思いっきり道脇の雪に突っ込んでしまった。ゴリゴリという鈍い音が車体に響く。そして周りの車の動きを確認する。一台の車が自分の脇を通り過ぎたのを確認した後に、その車についていくつもりでアクセルを踏み込む。
「Whoooooooooooooooooooon」
激しく、そして頼りない音が車内に響き渡る。動かない、車が動かない!!どうやら僕の車はこの雪深い路側帯から簡単には出られないらしい。一瞬で脂汗が体中から吹き出す。急いでギヤをバックに入れ動かし、ギヤをローに入れ直し、少し動かす。粉雪が辺り一面に舞い上がる。タイヤは何度も空転を繰り返す。今まで運転してきて空転したことなんて一回もなかったので、なまじノーマルタイヤでも大丈夫だろうと高をくくっていたのが間違いだった。そんなことをちまちまと10分くらい繰り返すうちに、なんとか路側帯から脱出することができた。なんて頼りない装備だろうか。気を取り直して出発し直す。前の車についていくうちに、事前に調べていたルートとは全く違う場所に来てしまった。何度も行ったり来たりを繰り返したり、進入禁止ゾーンに入ってしまったりしながらなんとかハイウェイに乗り、目的地に少しずつ近づいていく。ハンドルに覆いかぶさるようにして前方を凝視しつつ、常に後方への確認も怠らない。見たことのない標識に驚き、道路の真ん中に止まったりしてしながら進んでいく。明らかなストレンジャー感を醸す運転を敢えて心がけることで、アラスカの荒くれすら自分の車に近づけさせないスタンス。そんなことをしているうちに徐々に車線が2本になり、1本になる。街灯もなくなり、車の数も少なくなってくる。それと同時に道路には白く氷がこびりつき始めているのがわかる。
「雪はまだいい、凍った道には本当に気をつけろ」
空港まで送ってくれたタクシードライバーの助言が頭の中をリフレインする。絶対に50キロ以上は出すまいと慎重にスピードをコントロールしていく。あたりは徐々に山の景色に変わっていくと同時に、道は一面氷と化している。真っ暗な道を自分の車のライトが頼りなくてらしている、まるでカーマ・ポリスのPVのような感じだ。山道なのでところどころ急カーブやアップダウンがでてくるのだけれど、その度に後輪が横滑りしたり、ちょっとした段差で空転してしまう。あまりの恐怖に車を路側帯に止めようとするも、また出れなくなったらどうしようという恐怖が先立ってしまい、止まろうにも止まれず、引くにも引けず、退路を絶たれた上で前に進むしかなかった。下り坂ではブレーキを踏むにも踏めず、危うく100キロ近いスピードで暗黒のヘアピンカーブ(ガードレールなし)に突入仕掛けたときは本当に死ぬかと思った。
山に入ってから40分くらいたったあとだっただろうか、目的地のロッジの看板が見える。やっと車を停めることができるという安堵感と恐怖からの開放感が芽生え始める。すると遠くにポツリと光が見えた。それが目的地を示す明かりだった。予定よりも1時間以上も遅れて命からがらロッジに到着したのだった。広い駐車場に車を停め、すぐにエントランスに入る。しかし何か違和感がある。静か過ぎる。予定では23時まではバーが営業しているはずだが、、、、すぐにフロントデスクに電話をする。
「すみません、今日チェックインの氏家ですが」
「・・・・・ガチャ」
そのままロビーで10分ほど待機するも全く何の音沙汰もない。どうやら今日はまだ終えられそうにないらしい。外気温は摂氏-20℃に近いくらいだった。このまま待っていても埒が明かないので、一旦車に戻り車中泊の準備を整える。それは持ってきた服を全部着込むということを意味する。靴下を3重に、タイツを2重に履き、その上に登山用パンツと雨具を着る。靴の中にはホッカイロを仕込む。上着には高機能インナー、ニット、フリース、ダウン、スキージャケットを2着。帽子にネックウォーマー、厚手の手袋ももちろん装備している。その状態で温度が保てれば問題なかったのだが、僕は自分の膝から下の感覚が既に消えていっていることに気づいた。おそらくこのままここで寝た場合、最悪死ななかったとしても凍傷で足の指くらいは失うことになるだろうか、という考えが脳裏をかすめる。それは登山靴を買ったときに
「雪山にいくなら、もっといい靴が必要だよ。僕は君が足の指を失っても責任は取れないからね」
と言われたことに由来する。こういう状態に陥って、あの時あの人の言うとおりにしておけばよかったとか、そういうことを学ぶんだなと痛感する。車のエアコンを付けようにも、ここまで外気温が低いとバッテリーが持つかどうかが不安過ぎる。もしこのバッテリーが尽きたとき、それは本当に自分の命が危険に晒されることを意味する。得てしてこういう極限状態では何かしら予測不可能なことが起こるものだ。こういった条件を考慮し、
1. 基本的に夜は寝ないで過ごすこと
2. 足先の感覚がなくなった場合、エアコンを10分程度起動すること
この2つのルールを定め、それに従い行動していた。アラスカ鉄道の中で胃もたれするほどお菓子を食べたはずなのに、もう身体が冷たくなってきている。お菓子袋の中に微かに残されたナッツやドライフルーツを頬張り、カロリーを摂取する。なぜこんなことをしなければいけないのか、もし俺が死んだら誰が責任を取ることになるのか、、、そんなことを考えながら必死に時間が過ぎるのを待った。正直なところテンションを上げるためにSkrillexを車の中でかけたりしてみたけれど、頭が狂いそうになったので止めた。足が冷たさを感じる、そして痛みを感じる。それを通り過ぎると下半身に力が入らなくなってくる。そこで車にエンジンを入れ、エアコンを全開にかける。その瞬間の極上のカタルシスは真冬の露天風呂に勝るとも劣らない。そしてある程度身体が温まったところでエンジンを切る。車の車内灯も消え、エンジンの音も消え、自分の発する音以外は何も聞こえない静寂と、あらゆるものを凍らせる極寒の世界がたちまち現れる。
ふとフロントガラス越しに空を見上げると、「宝石箱をひっくり返した」という宮沢賢治の比喩がぴたりと当てはまるような素晴らしい満天の星空が広がっている。光っていない部分を探すほうが難しいくらい空一面に星が瞬いている。寒い地域は星が綺麗にみえるというけれど、それは本当なのかもしれない。その時ふと、北側の空にうっすらと靄のようなものがかかっていることに気付いた。フロントガラスの曇りかと思い、ガラスを手袋で擦ってみるも消えない。その時、その白い靄がゆっくりとではあるが色形が変わっていることに気付いた。それがオーロラだった。絵で見たオーロラよりも、どちらかというと天の川に近く、自分の予想していたよりも遥かに小さくてあっけなく、感動の薄いものだった。しかし、これを逃したらいつまた見れるかもわからない。凍えてガチガチになった身体でカメラのセッティングを行い、勢い良く外に出た。カメラの構図を決めるために3分くらい外に出るともはや立っていられないくらい身体が寒さを感じ、慌てて車内にもどり暖を取る。そんなことを何度か繰り返していた。その時だった。北西の空のオーロラの色が少しずつ濃くなり始めてた。慌てて頭上を見上げると、自分の視界全てに白い靄が伸びていた。
そこからはあっという間の出来事だった。北西の空のオーロラが物凄い勢いで渦を巻くように旋回をしながら、くっきりと肉眼で認識できるほど明るい緑白色と赤紫色に変色した。まるで生きた魚の群れのように不規則に激しく動き回り、かと思うとオーロラのカーテンが東西に伸びて一瞬で空を上下に分割する。カーテンというよりも、美しい着物の生地を空に向かってぶん投げるような勢いと色合いだった。真上を見上げればそんな超常現象が自分に向かって天から降り注いで来る。あまりに自分の想像とかけ離れた状況に言葉も出ない。そしてこの地球規模で起こっているだろう現象が、信じられない位の速度で動いていて、そして全く音がない。それはもはや畏怖や恐怖といった感情を自分に抱かせていたように思う。その間、ろくにファインダーも覗かず、夢中でシャッターを切っていたからどんな写真が撮れているのかは定かではなかった。ものの2-3分だっただろうか?その後オーロラは霧散するように消え、また薄いベールのようなオーロラがゆらゆらと北の空を舞っていた。車に戻り、今見た現象を整理しようと半ば凍りかけている水を飲んで頭をすっきりさせる。興奮していて気付かなかったけれど、自分の身体はほぼ凍傷になりかけていたように思う。急いでエンジンをかけてエアコンを最大出力でかける。眼を閉じてさっき見た光景を反芻すると、アラスカ物語冒頭で出て来るフランク安田の見たオーロラの描写がこれ以上ないほど当てはまっていることに気づいた。まるで矢が降り注ぐように辺り一面に、音もなく光をばらまく。美しいというより現実離れしたその光景は不気味さすら覚える。そんな光景が頭のなかで延々と音もなく再生されていた。
そして眼を開けると、強い日差しが眼に飛び込んでくる。どうやらそのまま寝てしまったらしい。エアコンはいつの間にか止まっていた。時刻は朝の七時半。ガチガチに固まった身体を徐々に解しながら、自分が無事生還できたことを実感する。陽の光が自分の身体を徐々に芯から温めていっているように感じられたとき、安心感でまた眠くなってしまった。辺り一面は雪に覆われていて、自分の目の前にはいかにもアメリカの田舎という雰囲気のロッジが建っていた。外に出てカメラを回収すると、自分のカメラや三脚は完全に凍りついていて真っ白に変わっている。助手席においておいた水も完璧に凍っている。外に出て冷たい風を頬に浴びながら、朝日を満喫していると、犬が二匹駆け寄ってくる。そのあと、おばちゃんが歩きながら近寄ってきて僕に声をかける。
「あなたがヒロシさん?昨日電話ごめんなさいね〜〜!!!」
僕はその時、人生最大級の作り笑いを浮かべながら「I’m totally fine.」と返事をした。でもよくよく考えると、もし僕が無事チェックインできていたとして、ストレスフルな運転にメンタルをやられてベッドで熟睡してしまったとしたらあのオーロラの大爆発は見れなかったかもしれないと思えた。僕が非常に疲れている旨を伝えると、すぐに部屋を手配してくれた。ロッジの部屋の内装は自分の人生の中で間違いなく一番だと思えるほど素晴らしく、そして何よりとても暖かかった。横になった瞬間靴も脱がずに眠りに入ってしまい、そのまま昼過ぎまで意識を失っていたらしい。空腹で眼を覚ます。食堂にいって、おじさんに食事をしたい旨を伝えるために声をかけると「お前か昨日車中泊したやつってのは!ガハハハ、お前は命知らずの大バカか!」みたいなことを大声で笑われた。今となっては自分でも笑えて本当に良かったと思う。この車中泊についてはロッジ内の全職員に知れ渡っており、会う人全員に「ロッジに泊まれなくて車中泊したんですって!日本人は本当に律儀な人ね」「ロッジの駐車場で車中泊した人初めて見たわ」みたいなことを言われ続けた。このロッジの長い歴史の中でもどうやら僕だけらしく、僕が宿泊している間はもはや伝説みたいな扱いになっていたように思う。とにかく生きていてよかった。いかにもアメリカという感じの馬鹿でかいハンバーガーと雑な味付けのフライドポテトを生きている実感とともに噛み締めた。