ESSAYS IN IDLENESS

 

 

SOLANGE @ARLENE SCHNITZER CONCERT HALL

今振り返るとなんという得難い日だったのだろうと思う。そして間違いなく僕の音楽体験を大きく変えた、というよりも変えられてしまった一日であることは疑いようがない。4月一番楽しみにしていたことといえばこのSolangeのライブで、チケットがそんなに安くない(といっても日本で見る外タレのライブと同じくらいなんだけれど)のでなかなか買い渋りながら、ようやく一人でいく決心を付けて購入を決めた。

ライブ会場はArlene Schnitzer Concert Hall(通称シュニッツ)という、ポートランドのランドマーク的な歴史と伝統がある素晴らしい会場だ。そして、この会場はポートランド市民にとって最も大切な場所でもある。このシュニッツの紹介文はこう始まる

「これは私たちの物語ではなく、あなた達の物語なのだ。」

1917年に市立の講堂として始まったこの場所は、イベントの開催や様々の公演の需要から運営が民営化されパラマウントシアターとして改名さた。その後パラマウントによってこの会場が駐車場として改築されることを提案されることになる。ポートランド市民はその提案に対して徹底的に抵抗した。その結果当時の市長がこのシュニッツを新しい芸術的ランドマークとして作り変えていくことを宣言させるに至った。時に寛大な支持者による寄付、そして市民の協力を受けながらこの場所は運営、保護がなされて今に至っている。この場所はポートランド市民の努力と闘争の結晶であり、歴史そのものであり、そして芸術やアートを愛する市民の気質を表しているという意味でポートランドそのものとも言えるのかもしれない。

シュニッツの向こう側の通りから煙草を吸いながら入場時間まで時間を潰す。すると、タクシーや車が次々と開場前につけてくる。車から降りてきたり、入口正面の横断歩道を渡り歩く人たちが全員揃いも揃っておしゃれ過ぎるくらいおしゃれで、一瞬ドレスコード必要な会場だったっけ?と冷や汗が出る。シュニッツの派手に輝くネオンサインと電光掲示板が颯爽と入り口に向かって歩く彼らを明るく照らしている。僕もその波に紛れて中に入ると、まるでタイムスリップしたかのような西洋式の素晴らしい建築が目に飛び込んでくる。高く設置された大きな窓からは西日が差し込みエントランスを照らす。地上3階まで吹き抜けになった入り口正面からは、バルコニーで談笑する人たちが見える。彼らは豪勢なシャンデリアの光を受けながらお酒を飲んで開演までの時間を過ごしている。この光景があまりにも美しすぎて思わず呆然と立ち尽くしてしまう。そのまま中へと歩みをすすめると、中世のサロンのような雰囲気のバーカウンターがあり、ボトルやグラスが薄明かりの中で気品よく輝いている。さながらミッドナイト・イン・パリに出てくるワンシーンのように見えてくる。中にはこれでもかというくらいおしゃれな人が溢れんばかりにごった返している。ポンパドールのように髪を盛った黒人のお姉さんは、ビビッドな配色のドレスからスラリと人間離れした長さの手足が伸びている。そんな感じの往年のR&Bシンガーみたいな格好良い人達がたくさんいたり、金髪を美しく輝かせるおしゃれでセクシーな白人女性はディアンジェロみたいな黒光りしたヒスパニック系のハンサムな男達と楽しそうに戯れていた。音楽好きそうなおじいさんはセットアップに身を包んで家族とお酒を飲みながらゆったりと過ごしている。そんな人達がポートランドのランドマークに一同に会し、これからSolangeを見るのかと思うとなんとも言えない高揚感が身体のどこからか湧き上がってくる。その一方で小汚いまるっきり普通の格好をした僕は居場所がなく、押し流され、存在感を消しながら誰も見てなさそうな階段の下の凹んだ部分に挟まりながら、その圧倒的にセンスの良い空間を憧れとともに眺めていた。そしてこの人だかりの中で一人でこの会場に乗り込んできたのは自分だけなのだろうとうっすら気付いてしまった。

ライブ開始前になり、メインホールに向けた豪勢な扉が開くと、それまで談笑をしていた人たちが自然に扉の方に流れていく。僕の席は2階バルコニー席。チケットを握りしめながらいざメインホールに入ると、これまで自分が見たこともない、言葉では形容し尽くせないような雰囲気の素晴らしい空間が広がっていた。映画の中でヨーロッパのオペラハウスのシーンを見たことが何度かある。そしてその空間はまさにそれだ。太い石膏の柱や天井に張り巡らされた繊細で芸術的なディティール。真紅に染まった脇幕。レトロな照明から照らされる薄暗い光がこの空間全体を包み込み、格調高く歴史ある雰囲気に仕立て上げているようにも感じられる。その奥ではステージには既に機材が静かに佇んでいる。僕の席はというと、バルコニー席最前の一番左端だった。なぜか僕の隣には3席しか椅子がなくて、しかも周囲が満席の中、僕の隣はいつまでも空席だった。それが特等お一人様席のような扱いに感じられて些か寂しかったのだけれど、もうそんなことを気にしてもしょうがないので周囲の様子を写真に撮ったりしながらライブまでの時間を過ごした。

そんなことをしているうちに照明が落ちる。大きな歓声が沸き起こる。オープニングアクトはハービー・ハンコックやロバート・グラスパーとの活動でも知られているJamire Williams。ミステリアスな真っ白いジャンプスーツに身を包んで、自身で再生したトラックに合わせて淡々とドラムを演奏してく。そのビートは太く、音はクリアだった。あんなに遠くにプレイヤーが見えるのに、楽器の音が自分の側で鳴っているように聞こえる。荘厳な会場内に満ちる洗練された音が観客を陶酔へといざなっていく。演奏を眺めていると隣から「HEY」という声が聴こえる。すると信じられないくらい綺麗な金髪をした美しい姉妹が僕の脇に座った。一瞬集中を乱されたけれど、彼の作るビートを聴きながらきっとこの後のライブが凄まじいものになるであろうことは想像に難くない。なぜなら今日の会場はこれまでいったどのライブよりも音も観客の雰囲気も最高だったからだ。

ブレイクを経て、会場が暗転すると会場に割れんばかりの歓声が沸き起こる。まるでNBAの観戦にでも来たと錯覚するほど激しい歓声の中、ステージに向かって焚かれた赤色の照明の光を受けながら、赤色の服を来たメンバーが一人ひとり会場に入ってくる。ステージにSolangeが入ってくると会場は狂気に満ちたようにより一層大きな歓声が上がる。その会場に響き渡る歓声を止めもせず彼女は歌い始める。彼女の声は会場中に霧のように満ちた歓声の中、まるで一筋の強い光のようにまっすぐに僕の身体を突き抜けていった。一曲目は「Rise」、靭やかで艶やかなボーカルとコーラスのハーモニーが信じられないほどに美しく折り重なる。その声を聞いた瞬間に全身に鳥肌が立ち、意識が遠のくような陶酔感を覚える。この短い2分弱の曲を聞いただけで、このライブが今まで聞いてきたどのライブよりも圧倒的に素晴らしいということを確信した。まるで何かの演劇を見ているかのような、ダンスと照明による舞台演出。時たま発するSolangeの奇声や不可思議なダンス、一挙手一投足に観客が全力で呼応し歓声を上げる。気づけば僕はうっすらと涙を流していることに気付いたのだった。数年に一度、こういうことがある。想像を超えるくらいの何か”格好良い”ものを見た時に、憧れが強くなりすぎて自分の中で処理がしきれなくなった時に出る涙だった。前回この涙が出たのはトーキング・ヘッズのライブドキュメンタリー「Stop Making Sense」の爆音上映を見たときだったと思う。スクリーンに映し出されたデビッド・バーンとそのパフォーマンスを見ながら、その圧倒的な芸術性とオリジナリティに完膚なきまでに打ちのめされた挙句に出た涙がこれだったように思う。その時の感覚を何倍にも増幅したような、心を締め付けられるような感動をこのライブでは感じていた。

「君はSolangeの大ファンなの?」と隣にいた綺麗なお姉さんが耳打ちしてくる。おそらく一人でこの会場にやってきて涙を流しながらステージを見つめる僕を哀れに思ったに違いない。「もちろんです。」と一言添え、その後少しだけ会話を続けた。その後、「Some Things Never Seem to Fuck」のタイトなドラムのビートが聞こえてきたと同時に観客が次々と立ち上がる。今まで座っていたのが嘘みたいに、バルコニーを後ろまで見渡すと誰も座っている人がいなくて、みんな自分の席で思い思いに踊っていた。その状況に対して隣のお姉さんも眼を丸くしたと思ったらすぐに立ち上がって、「このライブって本当に素敵ね」と耳打ちしてから踊り始めた。本当にこんなに素晴らしいライブは見たことも体験もしたこともない。このアルバムが全米一位になってることだとか、黒人や女性の人権を歌っていることとか、そういうことはもはやどうでもよくって、空間にいる全員が音楽に夢中になっているのが信じられないくらい楽しくて、それだけあればもう何もいらないだろうと思えた。

観客の熱狂はライブが終わるまで途切れることはなかった。曲が終わりと始まりに起きる大歓声、指笛、声援、やまない拍手。曲が始まれば会場全体が心地のいいグルーブに合わせてゆらゆらと動いて、夜の海を見ているようにゆったりとした波のように見える。その中の一人として僕もゆらゆらと揺れているうちに、あっという間に、本当にあっという間にライブは終わってしまった。ステージから走り去っていくSolangeの後ろ姿を眺めて、音楽が止まる。そうすると会場からこれまでよりもより一層大きな声援がステージに向かって降り注いだ。会場が明るくなるとまるで魔法が切れたように会場全体が我に返る。みんな口々にこのライブがどれほど良かったかを口にしている。メインホールから出ると、廊下や吹き抜けのバルコニーでも多くの人が今日の感想を口々にシェアしあっていた。なんだかこの素晴らしい空間から出るのが本当に惜しいという気持ちで、無駄に会場をぐるぐるとまわり、15分くらいかけてエントランスから出る。見送りをしてくれたドアマンの男性に感謝の言葉を一言かけて外に出ると、そこにもたくさんのおしゃれな若者がこの空間から出るのを惜しんでいるかのように、目がくらむほど明るいシュニッツのネオンサインの下にたむろして、いつまでも離れることはなかった。僕はその光景を愛でるように眺めながら煙草を一本吸って帰路についた。

こうしてブログを書いている間に、次々とライブの光景が頭に浮かんでくる。それと同時にもう思い出せないところや、言葉にできない感覚があることに気づく。感覚を言葉にするというのは、雲の中に手を差し込んでいるかのようで、いつまで経っても終わりがない。人は何かを表現するときに、自分の言葉で書いたり、誰かの記憶を借りたり、月並な表現を織り交ぜたりすると思うのだけれど、表現したい本質に近づいたように思えたときでも、その実、逆に遠ざかっているようにも感じる。僕がこのライブに関していくら言葉を尽くしたとしても、このライブの良さの1%も伝えることはできないと思う。ただ、僕が言える、そして約束できる唯一のこととしては、間違いなくこの人のライブは今世界で一番見る価値があるということだけだ。

hiroshi ujiieday, music